第19話 意志のままに



 白神工芸資料館。一般人たちが避難した静寂の中、二人のロゴス能力者が対峙していた。

ロゴス能力と醒遺物フラグメントの悪用を抑止する者、ディアドラ・オルムステッド。そしてこの場に眠る、名も知らぬ醒遺物フラグメントを奪うべくやってきた男。名を、海東西山という。


「随分とお強いのですね。機関が詳細まで把握していなかったのが不思議でなりませんわ」

「のらりくらりやり過ごしてきたしなーぁ。ギリ目立たない程度に小銭稼ぐが、俺の流儀さ」

「随分と金銭に執着するのですね。機関に転職すれば、報酬は弾みますよ?」

「悪ぃが先客がいるんだよぉ。まずは俺の部下をボコった{ “代償を払ってもらおうか ”}


 海東はディアドラから距離を置きながら、キーワードを唱える。同時にディアドラを襲う、正体不明の重圧。

昨夜、彼女が受けたロゴス能力と同じものだ。


「くっ! またこれですか!」

「勝負で勝つ鉄則はなーぁ、相手に何もさせないに尽きる。手も足も出ないだろーぉ?」

「手も足も出なくとも、口は出せますがね。既に私は、この能力の正体を知っています。お望みなら、原理を解明した上で抜け出して見せましょうか?」

「強がるな。抜けられるならもう抜け出してるだろ? 生殺与奪を握られてるんだからな」


 海東が笑いながら告げる。完全に見抜かれていると、ディアドラは悔しそうに歯噛みした。

 海東の能力は、敵を拘束する力だ。それを解除する手段自体は、ディアドラが既に推測済みである。機関のデータベースから、彼と思しき男の情報を手に入れ解析を済ませたからだ。


 だが拘束を解除しても、再度拘束能力が飛んでくる。その間の僅かな隙を突く攻撃手段を、彼女は持ち合わせていなかった。もしも共に戦う者がいれば、また違ったかもしれないが。


「(こんな事なら、強がらずに誰か仲間を連れ……。

 いえ、そんな人員の余裕なんて、機関にない。そもそも、皆と一緒に戦う事を拒んできた私に、彼らと共にいる資格なんて)」


 彼女は、今までの自分を後悔していた。幼少期のトラウマから、人を遠ざけ続けた過去を。

 今の状況は、そんな自分の愚かさに対する報いなのだと、諦観にも似た思考が脳裏を奔る。


「(一緒に戦ってくれる人、かぁ)」


 そんな思考の中に浮かんだのは、一人の少年の顔だった。

 能力も制御できないのに、協力を申し出た少年。ある日突然非日常に叩き込まれた、かつての自分と同じような少年。長久始。誰よりもお人好しで、優しくて。だからこそ、誰よりも傷ついてほしくない人。


 故に遠ざけた。けれどディアドラは初めて、その行為に対し後悔を覚えた。その理由を探す中で、昨夜の戦いの記憶が浮かぶ。彼と互いの名前を言い合った、あの日の記憶。


 あんなにも暖かく、安心した気持ちで誰かと共闘したのは、彼女にとって初めての経験だった。

 誰かに守られるではなく、守るという感覚。それはとても新鮮で、どこか気恥ずかしくて。なにより、彼に感謝される事が嬉しかった。

 故に思う。願わくばもう一度、彼と戦いたいと。


「……馬鹿みたいですわね。彼がまた助けにきてくれるなんて、あるはずないのに」

「なんだーぁ? 聞こえねーよ嬢ちゃん。まぁ諦めもついたろ。ここは他の連中に任せて、俺はお目当ての醒遺物フラグメントでも探すとしようか。っつーわけでーぇ、頼むわお前ら」


 海東が命令を下すと、目のぼやけた複数人の男たちが、倒れるディアドラへと群がった。

 海東のロゴス能力に操られている者たち。彼らは普段のディアドラならば、容易く蹴散らせる相手だ。

 だが今の彼女は、重圧と孤独という二重の要因により、意志を激しく摩耗させていた。


 誰も助けに来ない。ならばもう、これで終わりか。

 そう彼女が諦めかけた、──────その時だった。



「どぉぉぉぉりゃあああああっっっ!」



 非常口の扉が凄まじい勢いで蹴り開けられ、一人の少年が飛び込んできた。

 勢いのままに、少年は強盗たちを纏めて殴り抜ける。その見知った姿を見て、ディアドラは唖然としつつ飛び込んできた少年の名を呼ぶ。

 先の思考の中で何度もその顔を思い浮かべた、少年の名前を。


「──────始、さん? どうして……?」


「ごめん、ディアドラ。俺、ロゴスを使う。使って、守るために戦う」

 飛び込んできたその少年は、決意に染まった瞳でそう告げた。


 ◆


「戦う? その意味が、分かっているのですか!?

 貴方の力が次に暴走したら、貴方は!」

「大丈夫。心配しないで」


 ディアドラは、俺を叱る時の姉みたいな顔色で叫んでいた。

 そんな彼女を安心させるべく、俺は笑いかける。そして襲い掛かって来る連中を、気絶させる程度に力を抑えて叩きのめす。力を加減するのは正直かなりきつかったが、下手に殺してしまうのは嫌なので全力で力を抑えた。おかげでなんとか、連中を殺さない程度の一撃で済ます事が出来た。


「制御、出来ているのですか? そんな、一体いつ!?」

「それは本当についさっき。まだ不格好だけど、なんとかコツは掴めた。

 これもディアドラのおかげだよ。意志が大事だとか、知る事は力だって、俺に色々教えてくれたから」

「私の? けれど始さんの力は醒遺物フラグメントだから、能力の詳細の知りようなんて……。

 っ! まさか理解したのは、力ではない? 自分の意志の輪郭を、掴めたという事ですか?」

「うん。俺は俺がやりたい事を、何も知らなかった。俺自身がどういう意志を持っているかって、ちゃんと把握できていなかった。けど気付いたんだ。俺はディアドラを──────皆を助けたい」


 俺は俺の意志を、湧き上がる願いを言葉にする。その瞬間に、力が沸騰する感覚を覚えた。

 それは決して錯覚じゃない、確かなる直感。『これが俺の意志だ』という、強い理解を感じる。

 そんな俺を見ながら、ディアドラは呆然としていた。まぁ、当然と言えるだろう。俺みたいな奴が、自分勝手に戦いに混ざってきたんだから。もしかしたら迷惑かもしれない。

 ──────けど。


「どうも俺は、君の言うようにお人好し過ぎるみたいだ。それでも俺は、どうしても皆を守りたい。

 確かにディアドラには、そっちの都合も知らずに、勝手に同情していた。それは謝りたい!

 けどそれ以上に、ディアドラが傷ついたり、苦しんだりしているのが嫌だった!」


 流れ出るように、俺の内側から言葉は溢れた。意志が言葉になり、言葉が力となるのが手に取るようにわかる。

 ああ、俺はこんなにも、誰かを助ける事を力に出来るのか。無力さに歯噛みしたからこそ、俺はその事実が嬉しかった。


「いや、ディアドラだけじゃない。俺の手が届く場所で誰かが苦しんでいるなんて、俺は嫌だ! 誰かを助ける事が出来る力があるのに、何もできないのは嫌だ!

 これが──────、俺の意志だ。揺らぐことのない、真っ直ぐな俺の魂だ!!」

「……始、さん。貴方はそんなにも、みんなの事を考えて」

「ごめん。俺が邪魔だったら、後でいくらでも拒絶していい。そっちにも都合があるっていうのに、俺がやりたいからなんて、身勝手な理由で戦いに割り込むのは謝る!」


 周囲にいるチンピラどもを、一斉に薙ぎ払う。加減しつつも、俺はディアドラへと続く道を作る。

 俺の中の意志を言葉として叫びながら、俺は彼女へと歩みより、そして彼女を囲う敵の群れに風穴を開けていった。


「だけど、今だけは一緒に戦わせて欲しい! 君がこれ以上苦しむのを、俺は見たくない!」

「その申し出は、私への同情からですか? それとも力を得てしまった事への責任感?」

「違う!」


! 俺はそれが嫌だ! だから俺は、君を助けたいッ!」


 辿り着くと同時に、俺は彼女へと手を差し伸べる。辛そうな彼女を、もう見たくないからだ。

 こんな一方的な手助け、彼女にとっては傲慢に映るかもしれない。1人で戦いたいという彼女の想いを踏みにじる、身勝手かもしれない。

 けれど仕方がないんだ。これが俺の意志だから。誰かを助けたいという思いが、俺のロゴスの根源だから。


「──────まったく。それが貴方の意志だというのなら、仕方ありませんわね」

「怒らない、のか? あんな、失礼なことを言ったのに。ディアドラの過去を何も知らずに、俺は」

「気にしていませんわ。なにより、私も自分自身の意志にようやく気付けたところですので」

「? ディアドラの、意志?」

「ええ」


 どこか吹っ切れたように。あるいは、憑き物が落ちたかのように爽やかに笑いながら、ディアドラは俺の俺の差し出した手を、グッと握り締めて立ち上がる。


「私はずっと、1人で戦おうとしていました。けどそれは、傷つきたくないから逃げていただけだった。

 本当の私は──────ずっと誰かと寄り添って、戦いたかったのです」


 その立ち上がろうとする彼女の所作から、身体中に重圧がかかっているのが見て取れた。恐らく、昨日俺たちが受けた重圧のロゴス能力だろう。 だが、その表情に苦痛は無い。むしろ何処か、快活そうな笑顔だった。


「共に戦う立場な以上、油断の無いように。良いですわね?」

「……ありがとう、ディアドラ。一緒に奴らを倒して、醒遺物フラグメントを守ろう」

っ~。随分と効いたぜーぃ? クソガキぃ。他の連中も揃ってのしやがってーぇ。

 こぅもバカスカとボコられちゃー、人件費もあがったりなんだがねーぇ?』


 彼女の笑顔もつかの間、気絶させていた1人の男が、呻きながら立ち上がった。聞き覚えのある低い声だ。

 振り返ると、薄手のコートを羽織った男が見えた。窓から差す夕焼けの逆光でよく見えないが、細められた目と苛立ちに歪んだ表情だけは辛うじて見て取れた。

 昨日面識があるからよくわかる。連中を率いている、強盗達の親玉だ。


「へーぇ、嬢ちゃん立てるのかい。もう数十人分は負債がのっかってるだろうに。やるねぇ」

「舐めんじゃねぇぞオッサン、この程度でへばれるかってンダよクソッタレ」

「おーぃおぃ口調まで変わっちまって。気合十分じゃーぁねぇか」

「一度見知ってても、急に口調が変わるのはやっぱりビビるよなぁ」

「んでそっちのガキは、昨日のヤバいガキか」


 いきなりのディアドラの変貌に驚いていると、コートの男が俺に視線を向けた。

 興味深そうな、あるいは苛立ちの混ざったような視線で、俺を探るかの如く見続けている。

 そして懐からレンズのようなものを取り出すと、それを通して俺を観察し始めた。


「ほーぅ、随分と高い“意力”だ。昨晩より相当強くなっているようだなぁ」

「なんだ? その、意力って」

「意志の強さのことだよ。達人を前にして気圧されるとか、あンダろ? ああいうの。あのレンズは、そういった意思の強さを視覚化する道具だ。俺も持ってる」

「だが強い意力を持てたとしても、どうせ付け焼刃だろーぅ? 不意打ち喰らっちまったが、冷静に対処すりゃ容易く捕縛できそうだな。醒遺物フラグメントも宿しているし、高く売れそうだな」


 男は下卑た様子で笑う。人を売る、という発言の不愉快さに俺は眉をひそめた。

 どうやらあいつは、清々しいほどに金しか考えていないようだ。こんな奴が醒遺物フラグメントを得れば、どうなるかなど火を見るよりも明らかだ。


「お前……そうやって人の命だとか、醒遺物フラグメントすらも他人に売り払って、金に換えてきたのか?」

「そうだよーぅ? 俺はそうやってずーっとクライアントの依頼を受けてきたんだ。金がなくちゃ飯も食えねぇ。

 家賃も払えねぇし、お気に入りのコートをクリーニングにも出せやしねぇ。だから醒遺物フラグメントもお前さんも、どうか俺の生活のために、金になっちゃくれんかねーぇ?」

「そうやって売った醒遺物フラグメントが悪人の手に渡ったら、どうなるか分かって言っているのか?」

「さぁねーぇ。大勢死ぬかもしれないが、俺に関係ない場所ならどうでも良いさ。俺は金を払ってくれたクライアントに、醒遺物フラグメントを届けるだけだ。それが善人だろうが、悪人だろうがな」

「……大勢が死ぬような手段で手に入れた金なんて、無価値でしかないのに」


 俺は無意識に、そう呟いていた。

 こいつが醒遺物フラグメントを得れば、金と引き換えに大勢死ぬだろう。そんな行為で得た金に、意味なんて無い俺はと考える。だって命は、何物にも代えがたい存在なのだから。

 だがこいつは平然と、人が死のうがどうでもいいと言ってのけた。許せない。

 そう怒りを滾らせていると、ゾワリと背筋に悪寒が走った。


「──────無価値?」

「……っ、そうだ。そんな事をして、命を犠牲にして得た金なんかに、価値なんか────」

「無価値だとっ!? 俺のやろうとしている事がぁ! 意味ねぇだとぉぉッ!?」

「ッッ!」


 爆発と見紛うほどの威圧感が、突如として膨れ上がった。

 圧倒的なる畏怖が、周囲を支配する。瞬時に崖っぷちへ立たされたかのような、悍ましい圧がそこにはあった!

 ビリビリと肌が震える。背筋が凍りつきそうになるのを、気合で撥ね退ける。この威圧、これが意志の強さってやるか!?


 見ると男は先ほどまでと打って変わり、凶戦士のような顔つきになっていた。明らかに、俺たちを敵と見定めた修羅の顔だ。

 どうやら、なにか地雷を踏み抜いたらしい。


「名乗れよ、ガキィ……ッ! 舌の根引き抜いた後に、値札に記載してやるァッ!」

「人に聞くンダったらまずテメェが名乗れ! ビジネスマナーも知らねぇのか!?」

「海東商会代表取締役! 海東西山! テメェらを売り飛ばす男の名だァ!」

「長久始。あいにく学生だから、名刺とかは持っていない!」

「律儀に答えてんじゃねぇよ馬鹿!」


 完全に場を支配された。奴の能力の正体に関しては、正直に言うとなにもわかっていない。


 ただこれだけはわかる。俺とディアドラを合わせても尚、奴の能力はきっと手ごわい。

 一瞬で場の空気を支配するその強い意志からも、その力の差は即座に理解できた。

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