3-8 若手衛士、陛下のために文字通り血を流す

 作戦、開始。

 リックの奴は、確かに腕の立つ武官だ。

 けれど情報員としては脇が甘いというか、間が抜けているところがある。

 付け込める要素はきっといくらでもあるはずだ。

 なにかしらのニセ情報でリックが「陛下とイノさんは実の親子である」と思い込んでくれればいい。


「さて、それをどのように用意するかなんだけどな……」


 難しい問題に頭をひねりながら、俺が見回りの仕事に戻ると。


「あ、陛下だ」


 住宅街の方から商店街へとのんびり歩く、陛下の後ろ姿があった。

 その歩みはいつにも増してゆっくりで、ときおり立ち止まってはうつむいて地面を見るような格好になる。


「蟻でも観察してるのかな……」


 なんてバカなことを考えていると、陛下が突然その場に膝をついてうずくまった。


「へ、陛下、大丈夫ですか!?」

 

 俺は慌てて側に駆け寄り、その体を支える。


「う、うぅ……」


 陛下は苦しそうに短くうめき声を発して。


「ごはっ」


 その口から、地面に大量の、どす黒い血を吐いた。

 俺はそれを見て一瞬、頭が真っ白になりかけたけど、なんとか持ち直して。


 ピリリリリリリ! ピリリリリリリ! 


 衛士の応援を呼ぶ、警笛を2回鳴らした。

 これは、怪我人、病人がいるという合図の際の鳴らし方だ。


「しっかり! すぐに医院に連れて行きますから! 気を確かに!」


 俺は陛下に声をかけ、住宅街一帯に向かってさらに叫んだ。


「誰か! 手を貸してくれ! 病人がいる! 人が倒れてるんだ!!」


 声を聴いた周辺の住民が、なんだなんだと俺たちの周りに集まる。


「陛下、どうしたんだ?」

「おいおい、血を吐いてるじゃねえか!」

「どこかから荷車を引っ張って来い!」

「顔の向きに気をつけな! 吐いた血が鼻や喉に詰まっちゃいけないからね!」


 俺が指示しなくても、住民たちはめいめいが自分で判断し、適切に動き出す。

 みんなの協力もあり、俺は陛下を乗せた荷車に付き添って、そのまま医院へ向かうのだった。

 細い息でひゅうひゅう言っている陛下を、なんとか医院に運ぶ。

 そこで医師の先生は、心配そうな顔で居並ぶ俺と住民たちにこう言った。


「みなさんの中から、どなたか血を分けていただける方がいらっしゃいませんか? 患者さまは多くの血を失ってしまったので、治療に必要なんです」

「血を分ける? なんですかそれ?」


 知らないのはどうやら俺だけらしく、街の人たちは声を揃えて「いいよ」と言っていた。

 大きな街の立派な医院は、そんなわけのわからないことをするのか……。

 田舎者の俺が知らない世界だけど、俺もみんなにならって、もちろん了承しておいた。

 と、そこに。


「父が! 父が倒れたって聞いたのですが!」


 イノさんが息せき切らして駆け込んできた。

 陛下が運ばれた医院から、イノさんの働く学舎はすぐ近くだ。

 誰かが知らせてくれたんだろう。

 髪を振り乱して慌てるイノさんを落ち着かせるように、医院の先生は優しく、ゆっくりと説明した。


「落ち着いてください、娘さんなら血の相性が合う可能性も高い。お父さまの治療に必要なので、血液の検査をさせていただいても?」

「も、もちろんです! 私の血で役に立つなら、いくらでも!」


 イノさんと俺たちは医院の人の指示に従って、まずはほんの少しだけ、検査に使う量の血を提供した。

 小指の腹にちくりと針を刺されて血を取られるのだ。

 なんか、小さい頃に流行り病の予防薬だとか言われて、腕に傷をつけて薬を塗り込められた記憶があるな。

 あのときの痛みと傷跡が、消えずに今も俺の記憶と腕に残ってるので、医院は苦手だ。


「大丈夫ですよ、イノさん。きっとお医者さんがなんとかしてくれます。こんなにでかい建物で、わけのわからない薬もいっぱいあるんだし」


 俺はそう言ってイノさんをなだめる。


「は、はい。ありがとうございます。みなさんにはお世話をおかけしてしまって……血液の提供まで申し出てくださるなんて……」


 俺はそのことをよくわかっていないんだけど、さっき医者が言っていたことがふと気になった。


「イノさん、さっき医院の人が言ってた、実の娘なら相性がどうこうって……」

「ええと、親子だからと言って必ずしも血の相性が同じというわけでもないはずです。赤の他人でも合う人はいますし」

「そ、そうなんですか」


 うーん、イノさんの説明を聞いても、よくわからん。

 そもそも血の相性ってなんだよ、知らねえよそんなのって話だからな。


「ですけど、本当に珍しい血液を持っている人とかが稀にいて、そういう場合は何万人に一人とかの確率じゃないと、血の相性が合う人を見つけられないと聞いたことがあります」

「見つからないってことは、治療に他人から血を貰えない、ってことになるのかな」


 そんな、何万分の一なんて確率を気にする必要はないと思うけど。

 しかし、その後に姿を見せた医者の先生が、いささか興奮した様子で俺たちを呼んだ。


「ご家族のイノさまと、カニングさま、ちょっと、こちらにいらしてください」

「俺?」


 俺とイノさんは医者と一緒に別室に移り、話を聞いた。


「残念ながら、お嬢さまのイノさまと患者さまの血液は、相性が適合せずに治療に使うことができません」

「そ、そんな……!」


 絶望の表情を浮かべるイノさん。

 でも、俺がここに一緒に呼ばれたって言うことは……。


「どうか落ち着いて、ご安心ください。お父さまの血液はとても珍しい型式で、普通であれば適合する血液の持ち主を見つけることは難しかったでしょう。ですが、本当に幸運に、適合者はこの場にいました。こちらの、カニングさまです」

「やっぱりか。良かったあ……」


 俺はほっとして、今まで緊張してこわばっていた肩の力を落とした。

 イノさんの表情もふわっと明るくなり。


「で、では、父は……」

「はい、ただちにカニングさまにご協力いただければ、処置にとりかかれます。おそらくお父さまは胃に悪いできものが出ていると思われますが、それも薬と魔法で対処していきます」

「じゃあ、さっさと持って行って下さい、血」


 血を取られるという話に多少の恐怖はあるけど、俺はもちろん快諾した。  

 その後、俺は処置室に運ばれて陛下と並んで病床に寝せられて。


「では、楽にしてくださいね」


 ウサギ獣人女の医者にそう言われ、額に手を当てられて。


「安らぎをつかさどる大地の神々よ、この者にひとときの眠りを与えたまえ」


 眠りの魔法をかけられてしまうのであった。

 ふわーっと気分がよくなり、俺は夢の世界へ旅立った。



 その後、目を覚ました俺が味わったのは、猛烈な倦怠感と、めまいだった。

 治療が始まる前とは別の部屋で、陛下は隣にいなかった。


「な、なんか、寒い……」


 悪寒もあるし、吐き気もあるし、体中が嫌な冷たい汗でびっしょりだし、もう最悪。

 手の指も、唇もなんか震える。

 目もシパシパして、視界がぼんやりする。

 

「大丈夫ですか? 貧血のような感覚がありますか?」


 先ほどのウサギ耳女が、俺の顔を覗き込む。


「え、ええ、そりゃもう、盛大に……」


 俺、死ぬんじゃねえの?

 そう思うくらいに体調がひどいんだけど、ウサギ医者は平然とした顔をしている。

 これくらい、騒ぐほどのものじゃないってことなのかな……。


「無理をしないで、ゆっくり体を起こしてください。飲めるようでしたら、これをゆっくり飲んでください」


 そう言って渡されたのは、果物の汁に砂糖をぶち込んだような、猛烈に甘い飲み物だった。

 きっと血を抜かれて弱っている俺の体力を、戻すために飲むんだろうな。


「は、はい、大丈夫です、飲みます……」


 震える両手でなんとか杯をつかみ、ちびちび、ちびちびと甘い汁を飲む。

 陛下の治療は、上手く行ったのだろうか。

 血を吐くような症状だし、しばらく入院しなければならないのだろうか。

 そんなことを考えていると、次第に意識もはっきりしてきた。


「なんで俺、眠らされる必要があったんですか? どんなことするのか、はじめてだし見たかったのにな」

「医療の専門的な行為は、悪用されてはいけないのでなるべく秘匿しているんです。治療中に混乱して暴れる方もいらっしゃるので」

「それでもなにかあったとき、死人に口なしになるじゃねえか……」


 俺は小声で不満を述べたが、ウサギ医者に黙殺された。

 なにか腕に痛みを感じるな、と思ったら、肘の内側にあたる部分に綿布と包帯が巻かれている。

 ここから血を取ったのだろうか。

 自分がなにをされたのかわからないというのは、嫌なものだな……。

 やっぱり医院も医者も苦手だ。


「カニングさん、大丈夫ですか……?」


 今まで陛下のいる病室にいたであろうイノさんが、俺の様子を見に来た。

 不安にさせちゃいけないと思い、俺は精一杯の気力を振り絞って、にっこり笑う。


「全然、平気ですよ! なにがあったのか詳しくわからないのが残念だけど」

「良かった……カニングさんの血液のおかげで、父もなんとか持ち直しそうです。胃の治療のためには、しばらく病院のお世話にならないといけませんけど」


 そこに、最初に治療の説明をした男の医者が顔を出した。


「いやあ本当に、偶然とはいえなんたる幸運でしょう。私も勉強はしていましたが、このような珍しい血液の方に、一度に二人もお目にかかるなんて。いい経験をさせていただきました」

「はあ……」


 あんたの経験のために血を提供したわけじゃねーけどな。

 でも、俺なんかが役に立てたというのは、いい気分だった。 

 しかし、そのいい気分を害するような不安になることを、この医者は言ったのだ。


「ですが、カニングさまがもしも怪我や病気で大量の血液を必要とした場合、血の提供者はそう簡単に見つからないでしょう。あちらのお父さまはご高齢ですから、提供者にはなりえませんし」

「要するに、俺がそうなった場合、運よく何万分の一の確率で存在するであろう誰かさんを、草の根分けて見つけなきゃならないってこと?」

「はい、そうなります。今回のような偶然がまたあるとは、考えにくいですね」


 俺と陛下はお互い珍しい血の型をしており、それが赤の他人であるのに偶然にも一致した。

 しかし、次があるとは思わない方がいいということだな。

 ふと、俺の頭に一つの考えが浮かぶ。


「あの、このことを知ってるのはお医者さんとイノさんと俺以外に、誰かいますか?」

 

 医院には野次馬の住民たちが、陛下の容態を案じて押しかけている。

 陛下が倒れて騒ぎになっていることは、情報員のリックも聞きつけているだろう。

 きっと今も医院の周りでこそこそ動き回って、情報を集めているに違いない。


「いえ、詳しいことは特に他の方たちには知らせてはいませんが……皆さまに説明することでもありませんし」


 俺は医者のその言葉を聞いて、心の中で拳を握った。

 そして医者の先生にこう頼んだ。


「集まってる人たちの中に、花屋の旦那さんと八百屋のムスクロさんがいたら、呼んで来てくれますか。話したいことがあるんで」

「私が呼んできましょうか?」


 そう申し出たイノさんに対し、俺は首を振る。


「イノさんは、しばらく医院の中にいて、この病床に横になっていてください」 

「はあ……?」


 俺はふらつく体に鞭を打って起き上がり、わけが分からないという表情をしているイノさんの肩に手を置いて、言った。


「大丈夫、俺に任せてください。これできっと、全部上手く行きますから」


 そして、俺は病室にやってきた花屋の旦那とムスクロさんに、あるお願いをするのだった。

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