第12話

 仮眠室の扉から二人の女性が現れ、歩み寄ってきた。


 ジフには面識がないが、IMC本部に当然のようにいるということは、やはりIMCの構成員だろう。

 彼女たちはファルクごしに興味ありげに――悪く言えば値踏みするように――ジフを見ていた。


 いま毒づいた発言をした女性は、無邪気そのものの笑顔で自然にファルクの隣にある椅子に座った。

 動くたびにオレンジ色のウェーブがかった前髪が弾むようになびいている。

 薄汚れた青色の作業着を着用しており、前はだらしなく開けられている。インナー越しに豊かな乳房が揺れているが、本人はまるで気にしていない様子だった。

 だがなにより特徴的なのは、前髪に着けられている大きな花飾りだった。花にこだわりでもあるのだろうか、まるで本物のようだ。


 めんどくさそうにファルクは言った。

「お前は会ってなかったな。ジフ、この失礼極まりない奴はイベリス。こう見えて諜報員だ」


「正確には諜報員兼、整備長ね。新入りくん、ヨロシク。気にしないで、お仕事続けちゃって」


 どうも、とジフが適当に返事をしている間にも、イベリスという女性は書きかけの報告書をいかにも興味津々といったように凝視していた。

 胸に視線がいきそうになり、慌てて書類に取り組む。

 が、正直いって、無遠慮にすぎる視線のせいでやりづらくなってしまった。


 もう一人の女性は会話の輪に入ろうともせず、窓から外を眺めていた。

 尖った耳で細い長身。エルフであることは見て取れた。

 さらりとした真紅の長髪が陽光に照らされ、物憂げとも無気力ともつかない表情を露にしている。

 自分が画家であればこの構図は使えただろうな、などとどうでもよい考えを巡らせていた。


「あっちはエイヴリルだ」ジフの視線に気づいたファルクは言った。

「元狙撃手で、今は武器を造ってる。お前が直接使うことはないかもしれんが」


 話題が自分のことに及んでも、エイヴリルという女性はこちらに見向きもせず、窓からの景色を眺め続けていた。


「武器を造る?剣とか?」

 しかしそれはジフの脇から書類を眺めまわしている作業着のイベリスの方がしっくりくる。

 ファルクと同じIMCの制服を着こなしたエイヴリルはどう見ても諜報員そのものだった。

 元狙撃手と言われてみれば、確かに切れ長の瞳からのぞく眼光は遥か遠方の敵を正確に射抜く――と、言われても違和感がない。

 所詮はイメージの話だが、ジフにはこれまでごろつきといくらか戦闘を行った実績もある。己の直感を捨てきれなかった。


「剣ではない。銃だ」落ち着いた声でエイヴリルは言った。


 へえ、とジフは思った。

 武器を使う者が決して逃れることのできない運命がある。それは武器を手入れすることだった。

 戦士の武器は剣や槍などの近接武器、または鎧だが、戦場での手入れはさほど時間はかからない。

 むろん、丁寧にやるならきりのない作業ではあるが……。


 射手は、戦士以上に神経質にならざるを得ない。扱う武器が近接武器よりも繊細だからだ。

 その最たるものが、銃だった。銃は一日ごとに手入れをしなければ簡単に動作不良を起こす。

 それにしても普通の射手でも手入れは出来るだろうが、単なる射手であれば造ることなどまずできないだろう。


 銃に対する正確な知識と共に、魔動機術に対する理解、それに実力も必要なはずだ。


 狙撃手を引退したのがいつなのか、ということと、"射手"ではなく"狙撃手"と明言されているあたり、好奇心が刺激される。


「ねえ、新入りくん」


 いたずらを目論むような声が聞こえ、ジフの思考は中断された。


「この、真っ赤な全身鎧オトコってさあ。魔動機だった?」


 書類の一節を、イベリスは細く白い指で指し示している。そこには、ジフが地下で戦った大男の事が書いてあった。


 ジフは瞑目して記憶を掘り下げ、考える。

 殴り、蹴り、しかし倒れる気配を見出せぬ巨人。


「魔動機の仕掛けが鎧の一部にあった、とは思う。ただ、全身魔動機のかたまりというわけではないと思う」


「ほう、ほう。その根拠は?」


「まず、大男は近衛隊の魔動機を動けないようにする……ええと、なんというか……『力場』みたいなものを生じさせていた。あの鎧も魔動機であったなら、本人も動けなくなっていたように思う。それと、頑丈すぎる」


「金属鎧が頑丈なのは普通じゃん?大男っていう体格は、その内部に魔動機が仕込まれていたかも、って思わない?」


「殴ったから分かるが、あの装甲は分厚かった。内部に魔動機が詰まって、その中に人間がいるとは思えない」


「じゃあ……きみの言う『力場』を自分だけは無効化できるとしたら?相手は実は男ではなく、でかい魔動機なのかも」


「ええ?」

 思ってもみない仮定に、ジフは困惑を隠せなかった。

 確かに、『力場』の効果範囲にいながらにして、自分はその効果を受けないという都合の良いなにかがあるのであれば、前提が崩れ、その無茶苦茶な理屈も通るような気がしてならないが……。


「もうやめてやれ」ため息まじりにファルクが会話を制した。


「実際に死にかけるような戦闘を味わったジフ自身が違うと言ってるんだ。いったん、相手は人族の、全身金属鎧フルプレートアーマーで身を固めた戦士であると仮定すべきだと思うが」


「でも考えてもみてよ?キングスフォールの魔動機は日々、加速度的に増えている。そんな中で、邪魔な他人の魔動機を沈黙させ、自分の魔動機だけが動かせる『力場』を作ったとしたら……?」


「はあ?」

 なにが言いたいのかわからないでいるファルクが、同じく何が言いたいのかわからないジフと見合った。


「そんな発明したら、テロだって起こしたくなるに決まってる!」


 叫ぶように言ったイベリスは天井を見上げ、両手を上げた。拍手喝采を受けた芸人のようだが、そこにはしらじらしい空気が流れていた。


「お前……結局、未知の魔動機があるという願望に基づいての、か?」


 ファルクは呆れたように言い、イベリスが立てた仮説、の意図を真面目に考えていたことを後悔するかのようにうなだれていた。

 ジフは未だになにがなんだかよくわかっていなかった。


 つまるところイベリスは諜報員である前に魔動機技術者であり、技術者である前に探究者なのだ。

 未知の魔動機に関する技術があるかもしれない、という幻に等しい可能性が放つ強烈な誘引力に引きずられ、とんでもない仮説、その追及をこそしたいと願う事は、イベリス女史からしてみれば当然なのだった。


「でも、可能性は否定できないでしょ?」


「……トカゲの鱗よりも薄い程度の可能性はあるだろうな」


 だったらさ、と更なる仮説を言い立てようとするイベリスを、エイヴリルは静かに彼女の肩に手を置くことで、横から制した。


「そんなことはどうでもいい」

 優しげとも取れる見事な所作から、冷酷なほどの一刀を加えた言葉を真紅の長髪を流しながら言い放ったエイヴリルは、毛ほども苛立ちをあらわさずに本題へ切り込んだ。


「喫緊の課題は、グランドターミナル駅を消し飛ばす、という大言壮語にあると思うが」


 確かにそうだった。

 大男が傲然と言い放った脅し文句は大言壮語だが、嘘であるとはどうしても思えなかった。

 あの男は、虚言で人を惑わすのではなく、剛腕と実行力によって人を黙らせるタイプと思えてならなかった。


「おう。それなんだが、課長の耳に入ってるよな?」


 ファルクはイベリスとエイヴリルを見た。

 ジフは今まで意識を失っていたから、ファルクはジフから詳しい事情聴取を行っていたから、それぞれIMC課長を務める灰毛の老タビット、ダラス・ラルヴィダインに報告していなかった。


 だが、近衛隊の報告が内閣府を騒がせ、都市中枢を騒がせている。きっと誰かが報告しているに違いない。

 ファルクはそう思っていたし、ジフもそう考えていた。


「私は言っていない」エイヴリルが冷然と言った。

「あたしも。ていうか、いま知ったし」イベリスが言った。自身の仮説について、まったく話したりないようだった。


 数秒の沈黙が部屋を満たし、ファルクは言った。


「やっぱ報告書、後にしよう。うん。いまはとにかく報告だ」




「お前たちの忠勤精神はよく分かった」

 IMC本部にある課長室で一通りの報告を受けたダラスは、エイヴリルの言葉よりも鋭利な白刃となって、彼らの部下へと切り込んだ。


「仕事には優先順位があるという基本を忘れずにいてくれる部下がいてくれてまことに助かるよ」


「それはうれしいですな。働き甲斐があるというものです」

 ファルクの減らず口は明らかにその切れ味を落としていた。

 別に彼らとてサボタージュを行ったわけではない。ファルクはジフから詳細を聞いてから情報を精査しようとしていたし、ジフは意識を失っていただけだ。


 やましい部分があるとすれば、意識が回復しだい即刻出頭すべきだった……かもしれないな、と二人は思っていた。

 彼らは未だに全面的には自らの失態とは考えたくない、そういった青い部分が存在していた。お互い言葉に出してはいないものの、こんなところで通じ合うものを見出したことに気まずさを感じてしまう。


「課長。グランドターミナル駅を消し飛ばすというのは、果たして可能なのか」


 ジフはエイヴリルに倣って、そう切り込んだ。


 イベリスとエイヴリルも、その課長室に居合わせていた。

 イベリスは勝手に課長室にある椅子に座って、足を組んで楽な姿勢になっていた。

 エイヴリルはジフとファルクの背後に立っていた。ジフからは見えないが、恐らく彼女の目線は窓だろうか、と思っていた。


 近衛隊の真面目そうな隊長、アルバがいたら士気崩壊も甚だしいといって怒り狂うだろうか?


 ジフとしては、この光景が好ましく映っていた。課長も嫌味を飛ばしてはいるものの、処罰だなんだと言う気はないらしく、イベリスに注意勧告などもしていない。

 ただ、職務を忘れなければよいのだ、という思想は、ジフにとっては分かりやすく、堅苦しすぎず、愉快ですらあった。


「そう急くな。ひとまず、情報を整理しよう」

 銀縁の丸眼鏡をかけ直し、ダラス課長は微苦笑とともに明言を避けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る