第8話

 暗い闇。

 水の流れる音。

 自分の吐息。



 鉄のにおい。


 血のにおい。



 地下はいい。なんとも落ち着く。やはりこうでなくては、世界は意味がない。


「この狂人ども……こんなことをやって、お前らただで済むと思うなよ……」


 眼下では椅子に括り付けられた男が息を絶え絶えに悪態をついていた。

 世界に益をもたらさず、ただ恫喝とゴマすりによって他者から金品をだまし取るだけの、全く取るに足らない存在。


 横からデイルードが――拘束された中年が一切の戦意を喪失するまでずっと背後でびくびくしていただけだった腰抜け貴族気取りは――手にしているロッドで頬をひっ叩いた。乾いた音が鳴り、うめき声が漏れる。


「この盗賊が!お前、お前は、誰に何を喋った?言え!さっさと言うんだ!」


 デイルードは荒々しく息をしながら、顔を紅潮させていた。暴力に酔いしれているらしい。


 台無しだ。この男がいるだけで、興ざめも甚だしい。暗闇とは、静寂であってこそ価値がある。

 もうやってしまおうか?どうせ後か先かの差だ。どちらでもいい。


「へ、へ……知るもんかよ。商売柄、一日じゅう喋りどおしでね。誰に何を喋ったかなんて、いちいち憶えてらんねえや……」


 デイルードは逆上し、さらにロッドを振り上げた。そこに鉄道卿レイルロードの仮面を被った社交界の紳士はいない。単なるチンピラになり果てていた。


 このままではデイルードはこの男を殺すだろう。別にこの男の生死はどうでもいいが、情報を引き出さなければいけない。


「警察に売り渡したのはこの場所だけではないでしょう?」


 横から口を挟むと、デイルードはこちらを睨みつけてくる。

 鬱陶しい視線を無視し、さらに語り掛ける。


「魔剣の情報も。そうよね?」


「……へ、へ、へ……そうだな、喋ったさ。ああ、喋った気がするな」


「貴様!」


 なおも噛みつこうとするデイルードがいい加減邪魔なので、無防備な脇腹を蹴とばして黙らせる。

 鍛えておらずなんの防具も無い細い身体に、脚部防具レッグスに仕込んだ刃が突き刺さり、体をくの字に折り曲げて宙を舞い、倒れる。

 ようやく静かになり、私は厳かに聞いた。


「なぜ貴方が〈アジタート〉を知ってたの?」


 魔剣〈アジタート〉は、一連の騒動である元凶とも言える魔剣だ。所持者の魔力を高めたうえに、魔術師としての知識を授けるという優れた代物だが、その存在があまりにも知れ渡りすぎていた。

 なにせ、ダミーの所持者とダミーの剣によって幾重にも巡らせた偽装工作が全く用を為さず、本物が奪取されたのだ。

 特に、冒険者・警察関係者までがその存在を知っているというのは不自然だった。確かに強力な上に最近になってイグニダイト加工まで施された希少価値の高い物ではあるが、それを差し引いても違和感がある。


「教えてくれたのさ、奴が……アーロスがな……」


「アーロス?へえ、がねえ……」


 あの魔術師は、確か飼い主だった、そこで転がってる男から離れて地下に潜ったとは聞いたが。

 デイルードへの復讐だろうか。充分考えられる。

 ルヴァル・デイルードは大した権力を持っていない、鉄道卿とは言えど、末端の男だ。権力も能力も平凡以下としか思えない。


 殊更に裏社会に通じることによって意味の分からない優越感に浸っているようで、アーロス・リークフォンもデイルードの傭兵を務めていた。

 ライバルになりそうな他の鉄道卿を脅し、時に殺していた。

 最近は元老院スティールセネットになるべく、総裁プレジデントの周囲をハイエナのように嗅ぎまわって、〈絡繰夜叉〉という悪人の情報まで嗅ぎ付けたと聞いたが……。


 リークフォンについて考えを巡らせていると、がちゃがちゃとした金属が鳴り響くような音と、大きな足音が聞こえた。

 複数人いる。しかもこの音、相手は近衛隊か。


「あまり楽しめなくて残念。でもまあいいわ。ジャンクフードでお腹を満たすのはもったいないもの」


 手を一閃し、さっと身を引く。


 仲介人ブローカーだった男の喉元から鮮血が吹き出し、鉄の臭いが充満した。




 ややあって、扉が派手に開け放たれた。

 というより、吹き飛ばされた。


 両手用ライフル銃〈ランカスター〉による一撃は、至近距離で浴びると大砲と見まごう程の威力である。相手は常に最悪の凶悪犯と思えという教えに実直な、近衛隊らしい先制攻撃だった。


「全員手を上げろ!近衛隊だ!」


 最初にへ飛び込んだ隊長が叫んだ。


 が、絶句した。


 何しろ、部屋には凶悪犯どころか、椅子に括り付けられて首を切断されたらしい無残な死体がひとつと、床で血を流して蹲った、白い礼服のようなものを着ている、身なりの良い男が一人いるだけだった。


 近衛機動隊第2小隊長アルバ・エディレッドが死体を見るのは、これが初めてだった。


 部屋には鉄の臭いが充満し、ささやくような声で男が助けを求めていた。体が硬直してしまう。


 武器を持って襲い掛かってくる暴漢ならともかく、こういう時は一体どうすればいいんだ?

 助けるべきだろうか?だが、こいつだって怪しいもんだ。見たところそこらの浮浪者ではないようだが、そこらの鉄道卿から奪い取った衣服を着ているだけの盗人なんじゃないのか?


 疑念によって身動き一つとれないでいる間に、部下たちが続々と部屋に踏み込んでくる。

 彼らは部屋の様子に驚く前に部屋のあちこちを手分けして警戒し、二人――いっぽうは死体だが――の周囲を取り囲んで武器を突きつけた。


 小隊長としての見栄と使命感によって怯懦を打ち消し、手近にいた部下に指示をした。


「この男を治療しろ。ただし拘束したうえで、充分に警戒するんだ」


「はっ!」


 打てば響くような返答に、アルバは満足を覚えた。

 我らは騎士。総裁の号令一下によりて悪に鉄槌を下す、正義の使者なのだと思い出させてくれる。


 部下の一人が1Hワンハンドで扱える拳銃〈サーペンタインガン〉を懐中から取り出し、術式を起動し、倒れた男に弾丸を打ち込んだ。

 魔動機術【ヒーリング・バレット】を身体に打ち込まれ、腹部に受けていた傷がみるみる治っていく。

 白い洋装は血で真っ赤に汚れていたが、じきに目を覚ますだろう。そうなる前に、手足を拘束し、本部に連行する必要がある。


「おっさん!」


 場違いな声に、全員の視線が部屋の出入口に注がれる。


 そこにいたのは、礼服のような戦闘服を着こんだリカントだった。黒を基調とした色合いに、肩と腰が金属で補強されている。


 リカントは魔法使いが少なく、武器らしい武器を持っていないあたり、拳闘士グラップラーかとあたりをつける。


「なんだ、お前!」


 部下がリカントにサーベルを突きつけて威嚇する。


「俺は……俺は、IMCのジフだ!その男を調べさせろ!」


 そのリカントは、聞き捨てならない事を言った。

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