過去の私を知るあなた

PROJECT:DATE 公式

青い炭素


長束先輩が居なくなって

早2ヶ月も過ぎてしまった。

6月も半分が終わりかけている。

その間に学校では様々な単元が終わり

新しい内容へと進んでいる。

スーパーでは旬のものが変わり、

関東甲信地方あたりでは梅雨入りした。

シャンプーだって詰め替えたくらいだし、

シャープペンの芯を切らし

近所のコンビニで買ったほど。

それほど、時間は経たのだ。

早2ヶ月。

されど2ヶ月。

…。


麗香「…。」


しっとりとした肌に張り付く髪、

紙、黒鉛。

つぅ。

顎から一つ、手元の紙に色を付けた。

じわじわと滲んでしまって

それを眺めているうちに

自分が汗をかいていたと思い知る。


手元の紙を徐に撫でる。

紙特有の乾いた音がした。

手を持ち上げてみると

紙と接していた部分は何があったのかというほど

黒光りして止まなかった。

びっしりと炭素が張り付いている。

日差しを反射していた。

あぁ、こんなに書いていたのかと

今更ながらに思う。

ずっと海底にいた気分だった。

潜っていた気分だった。

呼吸なんてしないでもいいと思う程。


あてはというと

彼女を探し出すために

今も尚机に向かっていた。

何故、机に向かっているのか。

無論勉強ではない。

勉強だって人並みにはしているだろうけれど、

先輩が居なくなる前と比べたら

格段に減っていた。


あては、これまでに起きた

不可解なことをはじめ、

先輩との時間を紙に書き残していた。

いつに出会った、この時はこんな話をした、

そして宝探しではどんなものがどこで見つかり、

先輩は居なくなる直前何をしていたのか。

全て全て、先輩の影を書き残した。

書き残そうとした。

だが、やはりあても人間だったようで、

出会った少し経た頃の

何気ない会話は相当抜け落ちている。

書き残そうと絞り出しても、

それはあての空想ではないか、

あって欲しかった会話の内容ではないかと

疑問は留まることを知らない。


麗香「…いたっ…。」


いつからか、腱鞘炎が治らなくなっていた。

それほどまでに書いたらしい。

机の端には堆く積まれた

コピー用紙が確かに存在していた。

…。

元よりそう外に出るような性格ではなかったが

長束先輩のお陰で

時折公園で待ち合わせをして

1週間分ほどの言葉を話して帰っていた。

その習慣だってなくなった。

先輩が居なくなってすぐの頃は

夜中まであの学校近くの公園で

彼女を待っている時も多かった。

だが、次第にそんな日々も減り、

記憶にあるものを書き残した方が

有益な時間だと捉えたあては

もう思い出の場所にすら行かなくなった。


麗香「…先輩…。」


ぎゅっとペンを強く握るたびに

じりじりと腕が

焼き切れるような痛みが走る。

あてはこんなになるまで

先輩のことを思っているのに、

探し続けているのに。

…なんで、こういう時に限って

先輩は現れてくれないの。

前は助けてくれたのに。

あてが辛い時、いつだって助けてくれたのに。


麗香「…っ。」


そしてまたペンを動かす。

関係なさそうな話まで

1から10までを記すと決心して。


ひと息付き、また動かす。

それを幾度となく繰り返した時。


ぴーんぽーん。

そう、遠くで鳴る。

気づけば午前は終わりかけて、

もう午後と呼ばれる時間帯になっている。

どうやら、また潜っていたらしい。


麗香「あーもう、くそ。」


今は親が家にいないこともあり、

客人が来ようと自分で出なければならない。

こういう、甘い親への依存を自覚しては

苛々としてしまう。

どうせ何かしらをネットで購入したのだろう。

誰かを確認することなく

無警戒に玄関を開いた。


すると、これまで部屋の空気が

篭っていたと言わんばかり。

外の空気は心地いいだなんて感じた。

何日も部屋に閉じこもっているわけではないのに

たった2日でさえこう感じてしまうのだ。

もしも長束先輩が監禁されていたら。

そしたら、外の空気は心地よい、

清々しいだなんて簡単な言葉では

言い表せないだろうな。


風を受け一瞬にして

心象が巡った後、

目の前の現実に対して目を向けた。


すると、あてと同じくらいの身長の人。

その人は久しぶりに見たにも関わらず

見覚えのある顔で。

安心したのか、嫌悪したのか。

それは今のあての顔を見れば

一目瞭然だろうな。


いろは「やっほー、麗香ちゃん。」


麗香「何の用事?」


いろは「お誘いー。」


麗香「お誘い?」


いろは「そうー。」


相変わらず誤字りを伸ばしながら

話すせいでおっとりとした印象を与える彼女は

紛れもなく西園寺いろはだった。

彼女は現在中学2年生で、

あてとは3つ歳が違うことになる。

幼馴染っていう事もあり

いろはのことはだいぶ知っているつもり。

だが、理解はできない。

数年前まではたまに2人で

遊びに行ったものだ。

最近ではめっきりなくなってしまった。

4月の頭に出会って以来だろう。


いろはがこうして直接家を

訪ねてくるだなんていつぶりだろう。

少なくともここ3年はなかったのではないか。

あてが水泳をやめて以降は

確実にここには来ていない。


そんな彼女が何故このタイミングで

あての家に来たのだろう。

あまりいい予感はしなかった。


いろは「猫カフェ、いこうー!」


麗香「…気分じゃない。」


いろは「うん、そうだろうなとは思うよ。」


麗香「なら放っておいて。」


いろは「放って置けないんだなぁ、これが。」


麗香「何で。」


いろは「何でもかんでも理由を求めようとしないでよー。」


麗香「何で。」


いろは「もうー。」


いろはは困っているのだか

困っていないんだか分からないが

結ったふたつ結びの片割れを

そっと触っていた。

そして、迷うことなくすぐに

口を開いていたのだ。


いろは「…言うなれば幼馴染だからかな。」


麗香「それだけで?」


いろは「大きいことだよ。大切な友達ってことー。」


麗香「ふうん、じゃあ帰って。」


いろは「さ、麗香ちゃん準備してー。」


麗香「話通じないの?」


いろは「今は通じないのー。」


麗香「ねえ、本当にいらいらする。帰って。」


いろは「ずっと下に向かってるんじゃない?床ばかり見てたらそれこそ滅入っちゃうよー。お外行こう。」


麗香「行かない、やることが」


いろは「それが勉強ならいつも通りだなーって思えるけど、今はそうじゃないでしょ?」


麗香「…。」


いろは「私は何も知らないよ。知らないけど、違うなってわかるよ。」


麗香「何…それ。」


いろは「私は年下だし鈍間だし鈍感だけど、それでも分かるよ。幼馴染だもんー。」


こうなればいろはは譲らない。

怒鳴って、罵詈雑言を浴びせて

さっさと帰らせたかったが

理性がストップをかけたのか、

将又偶に休憩するくらい

いいじゃないかと間が差したのか

口を開く元気は湧かなかった。

ついていって口を閉じたままでも

いいのであれば楽な仕事だ。

そう思えば。

…そう、思えば。

麻痺させれば。


ふと前を向いて思う。

いろはってこんなに身長高かったっけ、と。





***





いろは「わー!可愛いー!」


麗香「…。」


いろは「ねー、見て見てー。」


麗香「…。」


いろは「そんなむすっとしてても猫は寄ってくるもんだねー。」


麗香「…。」


いろは「嫌なことがあったんだろうなーって、猫ちゃん達慰めに来てくれてるよー?」


麗香「…。」


いろはは口を閉じるということを知らないのか

店員さんに対して少々、

そして大部分は猫に対して

話しかけ続けていた。

猫はというと当たり前のように

人に慣れていて自由に歩き回っている。

休日ということもあり

人はそこそこに入っているのが窺える。

カップルから家族連れ、

あて達のような同年代同士っぽい同性2人等。

基本、大学生以上がいるようなイメージだろう。


あてはというと肘をつくこともなく

ただぼうっとして座っていた。

何故来てしまったんだろう。

あの時は判断力が鈍っていたのだ。

怖なことをしている暇があったら

たった今思い出していることを

書き留めていたいのに。


少し動かすだけでじりりと痛む腕は

うずうずしている。

職業病のようなものだろうか。

書いていないと気が済まなかった。

長束先輩、あなたがいた証を

今ここに記さなければ。

そんな焦燥とは裏腹、

いろはは休日を満喫している様子。

猫に触れ合って満足しているらしい。

マスクをしていても

笑みが溢れているのが分かる。

呑気なものだと突き放す思考ばかり

ぐるりと脳内を巡った。

と、思えばあてのところにも猫がくる。

片手間に撫でてやると

気に入ったのか近くに腰を落とした。


いろは「おー、麗香ちゃんはやっぱり猫に好かれるねぇ。」


麗香「…。」


いろは「ほら、いい顔してるぅー。」


猫。

好きだったはずだが、

今では猫の動画や写真は

全くと言っていいほど目にしなくなった。

目にする暇がなくなった。

こうなって漸く感じるのだ。

人間は多少の余裕があってこそ

人生は豊かになるのではないか、と。

けれど、あてにはそんな時間残っていない。

余裕など持てるわけがない。

先輩が待っているのに。

今でも先輩は1人で

暗く深い海底の底のような場所で

彷徨い続けているだろうにー。


いろは「最近どう?」


麗香「…。」


いろは「私ね、お母さん伝てに聞いたんだ。」


麗香「何を。」


いろは「麗香ちゃんが雰囲気違うってこと。」


麗香「言われるまで気づかなかった?」


いろは「うん。会ってなかったから尚更ね。」


麗香「運悪。」


いろは「じゃあきっとこれからいいことが起こるね。」


語尾がやや上がっているあたり、

あくまで楽しげに話をしたいらしい。

そんなこと、今のあてには無理なこと。

それ以前に、この状況下を

楽しんでいるようでやはり

胸の中はざらついていた。

…。





°°°°°





いろは「麗香ちゃんなら大丈夫。見つけられるよ。目も当てられない程ぼろぼろになりながら出来るような事。」





°°°°°





過去にあてが放った言葉。

今では自分を苦しめる言葉になってしまった。

4月に突きつけられた時には

それとなく交わすことが出来たのに、

苦しい今と逃れられない過去に

足を掴まれてしまっては

正面から受け取らざるを得なかった。

過去と今では立場が逆転している。

…いろはは、好きなことを…

目も当てられない程ぼろぼろに

なりながら出来るような事を

既に見つけてしまった。


麗香「…。」


いろは「私じゃ力になれないかな。」


麗香「…。」


いろは「勿論頼れって言ってるわけじゃないよ。」


麗香「何が違うの。」


いろは「それは…。」


麗香「違わないよ、それ。頼れって言ってるようなものだから。」


いろは「違うの。麗香ちゃんが話したくなったらいつでもいいよってこと。無理に聞くようなことはしないよ。」


麗香「でも、今日は無理に連れ出した。」


いろは「あのね、麗香ちゃん。」


麗香「…。」


いろは「私も、周りの人もみんな心配してるってことだけは忘れないでほしいの。」


麗香「親は心配してないよ。」


いろは「…曲げて捉えないでよ。」


麗香「本当のことだし。周りもくそも、1番近いはずの親が心配してないんだしいい」


いろは「いいわけないよ。私は嫌だよ。」


麗香「…いろはのエゴを押し付けないで。迷惑だから。」


いろは「…今の麗香ちゃんはね、水泳をやめた時と似たような顔をしてるんだ。」


麗香「…そう。」


いろは「…その時よりも酷い…かなー。目を背けようとしてても気になるよ。」


好意なのは分かっている。

それが鬱陶しい。

鬱陶しいのだ。

放置してくれ。

邪魔しないでくれ。


あては。

あては、先輩だけ居ればいいから。

だから、全てを失くしてしまっても…

それでもいいから先輩を返して。


いろはは、先輩を返してくれる?

そんなこと出来やしないだろう。

…。

…あても然り…か。


いや、そんなことはない。

あては見つける。

あてなら見つけられる。

…。

絶対見つける。

例え自分が犠牲になる事があったとしても

先輩がこの日々に

戻ってきてくれるならそれでいい。

先輩が戻ってこない日々なんて

さっさと投げ捨ててしまいたい。

…。

…投げ捨ててしまいたい、こんな命。


いろは「…もう1回聞くね。私に力になれる事、ない?」


いろはは自分の手を見つめたまま

そうあてに告げたのだ。

あてを見る事なく、

表面上は辛そうにそう口にしたのだ。

知っている。

あては覚えている。


あてが水泳をやめた時、

彼女は、いろはは喜んでいたことを。

あてが水泳一筋だということを

知っている上で喜んだのだ。

あてが挫折して水泳を辞めることを

喜んでいたのだ。

友達として、幼馴染として疑った。

そこは続けてほしいというものではないのか。

曲がりなりにも水泳は

好きなことだったのだ。

なのに…。

…。


麗香「ない。」


いろは「…そっかぁ…。」


麗香「水泳をやめた時喜んだいろはに話すことなんて何もない。」


いろは「…!」


時間を無駄にした。

そう悟っていろはとお金を少し

その場に置いて店を去った。

猫の感触はもう忘れかけている。

あーあ。

どうして猫が好きになったんだっけ。

どうやって猫を撫でていたっけ。

どうやっていろはと関わっていたっけ。

どうやって…。

…どうやって生きていたっけ。





°°°°°





愛咲「うちが…これから一緒にいてやるから!」





°°°°°





何度も思い出したこの言葉。

あの温もり。

あの息遣い。

あの夜景。

全て全て記憶の宝箱の中に。


麗香「…嘘つき。」


手に暖かな息を吐かずとも

温いままになるような季節になった。

それでも心は青色に染められている。


そしてあては家に帰って

きっと…否、絶対机に向かうのだ。

過去に溺れるのだ。





青い炭素 終

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