第2話 ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ! (※三人称)

「『分かっている』って! 心配するな。何からあったら、すぐに行くからよ?」

 

 そう話す頭目の顔は何処か、楽しげだった。まるでそう、彼等の事を嘲笑う様に。自分の隣に仲間を一人置いては、楽しげな顔で残りの二人を見送ったのである。少年は「ニコッ」と笑って、仲間達の背中を見始めた。「頑張れ」

 

 仲間の少年達は、その言葉に苛立った。苛立った上に「ふざけるな!」と怒鳴りたくなった。自分は安全な所に居て、その仲間達には危険な事をやらせる。正真正銘の糞野郎だ。自分達の背中に「ほら? ほら? どうした?」と話し掛けるのも、彼等の不安を察した上で、そうわざあおっているに違いない。


 少年達は「それ」に腹立ったが、通路の向こうから呻き声が聞えた瞬間、今までの怒りをすっかり忘れて、声のする方に視線を向けた。視線の先には勿論もちろん、壁。その表面にひびが走った、廃墟の壁が見えている。壁の右側には「部屋」と思わしき所も見えるが、その正面には不気味なモノが立っていた。

 

 少年達は、その光景に生唾を飲んだ。。人間と同じ姿(恐らくは女性)をしているが、腰の辺りまで伸びている黒髪は勿論、この場所には不釣り合いな服(これも多分、死装束だろうが)を着ている事もあって、頭目の少年が自分達に「おおい、どうしたんだ?」と話し掛けなければ、その場から動く事も、また彼の方に戻る事すら出来なかった。少年達は本気の本気、廃墟中に響き渡るような声で「ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ!」と叫び始めた。「出た! でた! デタ!」

 

 最後の方はもう、言葉になっていなかった。それ程に怖い、恐ろしい光景を見てしまったのである。あんなモノを見てしまったらきっと、普通の思考ではいられない。理性の全てが、すっ飛んでしまう。彼等が頭目の少年に「それ」を伝えようとした時も、(相手が彼等の怖がり様に呆れていた事もあったが)涙と嗚咽が重なっていた所為で、その言葉自体が意味不明になってしまった。彼等は混乱の中でも唯一に残った本能を使って、通路の奥を勢い良く指差した。「幽霊! 幽霊! 幽霊!」

 

 頭目の少年は、その言葉に吹き出した。「言葉の意味が分からなかった」と言うよりも、彼等の反応が只面白かったらしい。少年は普通の人間なら決してしない事、自分の命に関わる情報を聞き流して、仲間達の反応を只楽しみ続けた。


「お前等、怖がり過ぎ。幽霊如きに怯えるとか」


 有り得ないだろう? 


「彼奴等は」


 そう言い掛けた少年が固まったのは、通路の向こう側に幽霊を見たからか? それとも、その幽霊が「ケラケラ」と笑っていたか? その正確な理由は分からないが、彼が仲間達の前からサッと走り出したのは、「そいつから只逃げたい」と言う思いからだった。


 少年は仲間の声も無視して、廃墟達の中を無茶苦茶に走り始めた。仲間の少年達も「それ」を追い掛けようとしたが、幽霊の方がどうやら速かったらしく、それに近い方から一人、また一人と、地面の上に倒れてしまった。「ユルシテ……」

 

 頭目の少年は、その声を無視した。その声に応えたら、今度は自分が襲われる。あの幽霊に襲われて、自分も彼等と同じ目に……そんなのは嫌だ。自分の仲間が何人やられようと、自分だけは絶対に助かりたい。自分は彼奴等とは違う、特別な存在なのだ。特別な存在である自分が、あんな幽霊ごときに呪われたくない。


 少年は廃墟の通路を駆け走り、その中から何とか抜け出して、例の鉄扉をよじ上り、バイクの上に飛び乗って、鉄扉の前から勢い良く走り出した。


「ざけんなよ!」


 本当に出るとか。


「こんなの」


 信じない、信じたくない。自分がまさか、こんな目にうなんて。


「絶対に信じるもんか!」

 

 少年は道路の法定速度をぶっちぎって、自分の家に直走ひたはしった。家の中は、暗かった。彼の両親が二人共夜勤であった事もあって、彼が家の電気を点けるまでは、文字通りの闇に包まれていた。彼は玄関の扉に鍵を掛けると、家中の電気を点けて、自分の部屋に戻った。


 部屋の中は、明るかった。彼が自分の部屋から出て行く時に電気だけは消さなかったからである。彼はこの手の話では良くあるかも知れない盛り塩やお酒、挙げ句は念仏すら唱えずに只「う、ううう」と唸って、布団の中に潜り込んでしまった。


「ざけんな!」


 そして、もう一度。


「ざけんな!」


 彼は肝試しの興奮だけを求めて、心霊現象への知識は全く学んでいなかった。それゆえに只、「う、ううう」と震える。自分の周りから聞えて来る音、その響きに「止めろ!」とおののく。彼は布団の中に入ったまま、「誰か何とかしてくれ!」と叫び続けた。


 だが、それで助かったら苦労はない。この世のあらゆる問題、あらゆる課題がどうにかなってしまう。彼は布団の中でしばらくじっとしていたが、玄関の方から物音が聞えた瞬間、布団の中から思わず飛び出してしまった。「何だ? 何なんだよ、この音?」

 

 玄関の鍵をこじ開けよとする音、鋭い爪か何かで引っ掻くような音。それは暫く続いたが、少年が愛用の金属バッドに手を伸ばした瞬間、その音が何故かピタリと止まってしまった。少年は「それ」を不思議に思いつつも、「いや、油断は禁物だ」と思い直して、部屋の扉にゆっくりと近付き、扉の表面に耳を付けて、外の音をじっと聴き始めた。「何も聞えない」

 

 そう思ったのは、一瞬の事。次の瞬間には、部屋の扉から飛び退いていた。扉の向こう側から物音が、家の階段を上る足音が聞えたからである。足音は妙にゆっくりと、家の階段を上っていた。少年はバットの柄を握り締めて、部屋の扉をじっと睨み始めた。扉の向こうからはまだ、あの足音が聞えている。「舐めやがって! お前なんか」

 

 叩き潰してやる。そう息巻いきまいたのは良いが、肝心の足音が聞えなくなってしまった。ついでにそれまで漂っていた不気味な雰囲気も何故か、その足音と共に消えてしまったのである。少年は「それ」に首を傾げたが、「もしかして、助かったのか?」と思って、自分の両手から力を抜いてしまった。「チッ、何だよ?」

 

 脅かしやがって。やっぱり幽霊なんかは……。そう、怖がらなければならない。「得体の知れない存在」として、相手のそれに怯えなければならない。少年はいつもの場所に金属バッドを戻して、ベッドの上に視線を戻そうとしたが……。視線の先には、あの恐ろしい幽霊が待っていた。幽霊は部屋の扉を擦り抜けたのか、無感動な顔で少年の後ろに立っていたのである。


 少年はたった今戻したばかりの金属バッドをまた持って、幽霊の頭に金属バッドを振り下ろした。だが、そこは幽霊。人間の少年が振り下ろした金属バッドなど通じる訳もなく……。少年は金属バッドが幽霊の身体に外れ続けても尚、悔しげな顔で目の前の幽霊を罵り続けた。「消えろ! お前なんか消えちまえ!」

 

 幽霊は、その言葉を無視した。その言葉がどう言う意味か、それ自体が分かっていなかったのかも知れない。幽霊は少年の前にじりじりと詰め寄って、その首をゆっくりと締め始めた。「ウウウウッ、アアアアアッ」

 

 少年は、その言葉に抗った。だがいくらあらがっても、その両手から逃れられなかった。まるでそう、少年の命を奪うかの様に。彼が「や、め、ろ」と苦しむ姿を見ては、その力も益々強くなったのである。少年は「恐怖」と「絶望」の間に立って、相手にされるがまま、挙げ句には自分の死すらも考えて、その意識をとうとう手放してしまった。

 


 それからどれ程の時間が経ったのか? 少年は部屋の窓から差しこむ光を感じて、床の上からゆっくりと起き上がった。


「う、ううう」


 少年は、自分の頭を押さえた。頭の奥がかく、痛かったからである。それに加えてのども、何だか無性に痛かった。少年は自分の喉を暫く触っていたが、喉の表面にらしき物を見付けると、昨日のアレが決して夢ではなかった事、自分が見捨ててしまった仲間の事(これは「仲間の事を案じた」と言うよりも、「仲間にもしもの事があれば、自分が色々と責められる」と言った方が正しかった)をふと思い出して、その一人に電話を掛け始めた。


 ……だが、「嘘だろ?」

 

 電話が繋がらない。電話の呼び出し音は聞えるが、その相手が電話に全く出なかった。それ以外の相手に電話を掛けても、最初の一人と同じ様な結果が返って来る。彼は、その結果に肩を落とした。「どうして? 何で? 彼奴等あいつら


 何もこたえてくれないのか? そんな事を考えていた時に自分のスマホが鳴り出せば、どんな人間でも「うわっ!」と驚くだろう。彼もまた、その例に漏れなかった。彼は「仲間の誰かが、自分の電話に気付いたのかも知れない」と思って、スマホの画面に目をやった。スマホの画面には、謎の番号が表されている。


「誰だよ、こんな時に? 間違い電話か?」


 少年はスマホの番号を暫く眺めたが、その着信音が耳障りに思ってしまい、本当はそれに出たくないのにも関わらず、スマホの画面に触れて、電話の相手に思わず怒鳴ってしまった。


「空気読めよな? 俺がどんだけ」


「ニガサナイ」


「え?」


「アナタタチのコトは、ゼッタイにニガサナイ」


 そこで切れた電話は、今まで聞いたどんな会話よりも怖かった。少年は「ニガサナイ」の一言に震え上がったが、玄関の方から物音が聞えると、それに言い様のない恐怖を感じて、漸く目覚めた筈の意識をまた手放してしまった。


 その意識は一応、戻った。夜勤から帰って来た母親のお陰で、その意識を叩き起こされたからである。母親は玄関の鍵が開いているのも関わらず、家の中がしんと静まっている事に驚いて、最初は自分の靴を脱ぎながら「どうしたのだろう?」と思っていただけだったが、それから家の中に入って、息子の名前を呼ぶと、その返事がない事に「あれ?」と思い、息子の事を直ぐに捜して、それが倒れている部屋の中に「どうしたの!」と入った。「アンタ、しっかりしなさい! ねぇ!」

 

 息子は、その言葉に応えなかった。息子の身体をどんなに揺らしても、その言葉に只「う、ううう」と唸っているだけ。彼女が息子の事を叩き起こした時も、その言葉を殆ど聞き流していた。息子は母親のビンタを何回か食らった所で、その意識を漸く取り戻した。「かあ、ちゃん? 俺……」

 

 母親は、その言葉に聞かなかった。そんな言葉を聞かなくても、息子の意識が戻っただけでも良い。自分の言葉に気付いて、その身体にしがみついただけでも良い。彼女は息子の嗚咽を聞いたまま、穏やかな顔で彼の背中を摩り始めた。


「大丈夫、大丈夫だから」


「う、ううう」


「何があったの?」


 少年は、その言葉に固まった。それにもし、応えてしまったら? 自分はきっと、この母親から責められる。学校の連中に知られて、自分の立場が奪われる。そんな事になったら……。


 少年は己の保身に走って、自分の母親に嘘を付いた。

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