きみの心の合鍵。

「――これから迎えに行くよ、真美!!」


 倒れたままのトレーシーを急いで引き起こし、スターターボタンに指を掛ける。長めのセルモーターのクランキング後に、ようやくエンジンに火が入った。

 良かった!! 車体を横倒しにした影響で点火プラグがカブり気味だったが、かろうじてエンジンを再始動することが出来た。


「手荒に扱って悪かったな。トレーシー、すべてが終わったら隅々まで磨いてピカピカにしてやるから何とか機嫌を直してくれよ……。 お前にはまだ、やってもらわなければならないことがあるんだ」


 トレーシーとおしゃべりしている姿を見られたら、日葵にまた笑われてしまうだろうな……。 


 待ち合わせをした妹の日葵が、この丘に到着していなくて本当に良かった。

 僕の前から突然消えたはずの真美から、電源の入らないインカムに着信が入ったから迎えに行くんだ、なんてことを正直に話したら、せっかく真美の存在を信じかけている妹に、また不信感を持たれてしまうことは面倒だから避けておきたいからな。

 ショートメールで日葵には移動先を伝えておこう。


 だけどトレーシーに語りかけずにはいられなかった。これまで苦楽をともにしてきた僕の相棒に。

 多感だった高校時代、自分の無責任な行為で消えた真美への深いトラウマや、人と関わってこれ以上傷つきたくないという自分勝手な思いからか、まともな友人は一人も作らなかった。

 そんなひねくれた僕にとって唯一の友達と呼べる相手は、血の通わないオートバイしかいなかった。

 アクセルをひねるだけで、どこまでも連れて行ってくれる僕の最高の相棒だ!!

 週末になると最低限の荷物だけを荷台に積み込んでツーリングに出かけた。

 この海が見える高台の丘も、トレーシーと一緒に良く訪れた僕のとっておきの場所だった。


 一人で寝るのがやっとのバイク専用テント、その天幕のかたわらにはいつもトレーシーが番犬のように寄り添っていてくれた。

 夜中に喉の乾きで目が覚めて、水でも飲もうとテントの外に這い出た僕が何気なく見上げた夜空、そこには今にもこぼれ落ちそうな満天の星空が広がっていた。

 あまりの見事な景色に、言語化出来ないほどの激しい感動が湧き上がってきた。

 僕はその想いを誰かに伝えたくて、夜露に濡れたままで物言わぬトレーシーにむかって思わず熱い口調で語りかけてしまった……。


『なあ、トレーシー、いま感じたような最高の気分を、僕は一緒に分かち合いたかった女の子が過去にいたんだ。だけど彼女をこの場所に連れてくることは絶対にかなえることは出来ないから、せめてお前だけでも聞いてくれないかな。これまで誰にも話せなかった僕の気持ちを……』


 この星降る丘の上で僕は自然と素直な気持ちになれた。

 自分とトレーシー以外、誰もいない場所だったこともあっただろう。

 いや、それ以上に安らいた気持ちになれた理由わけは、この空間が持つ独特な雰囲気、それは単純に澄んだ空気や満天の星空だけではない。

 混じりっ気のない清らかな時間に身を委ねていたことが原因だったのかもしれない……。


 オカルトめいたことを信じるわけではないが、心地の良い場所が多数存在するように、たとえ霊感がなくとも負の気配を強く意識する場所も、この世に少なからず存在する。

 居心地が悪いという言葉だけでは片付けられない、身の毛もよだつような嫌な空気感だ。


 そんな邪悪な空気感を過去に一度だけ経験したことがある。

 後ろも振り返らず一目散に、僕はその場から逃げ出してしまったんだ!! 

 心臓が口から飛び出そうなとてつもない恐怖、そして覆いかぶさる闇、闇、闇……。


 僕の名を必死に呼ぶ叫び声を背中に受けながら、女の子の声を無視して僕は、その闇から卑怯にも逃げ出してしまった。


 その邪悪な闇と僕はもう一度、戦わなければならない!!

 再度自分に言い聞かせるように、切り札の入ったを固く左手で握りしめた。

 例えば吸血鬼が本当に十字架を恐れるとか、ニンニクを嫌うとか、僕は自分の目で確かめたわけではない、すべて物語や言い伝えからのかたよった知識だ。

 吸血鬼や狼男以上に邪悪かもしれない怪異に、僕の切り札が本当に通用するかは分からない。

 人食い熊と遭遇して、その場で死んだふりをするようなものかもしれない……。

 そんな間違った攻略方法だったとしても丸腰よりは、はるかにマシなはずだ。

 僕は深呼吸して気持ちを整えた。

 その呼吸に答えるように、トレーシーの水温計の針が最適な位置を指し示した。

 今日の相棒は最高の状態だ。軽く右手でアクセルを開閉ブリッピング する。

 二ストロークオイルに独特の甘い香りが、ヘルメット内の鼻腔をくすぐった。

 これは僕にとって最高の癒やし効果ヒーリングがある香りだ。


 これから僕のおもむく真美の居場所は、彼女の口から直接聞かなくても分かっていた。

 あの夏の日の逃避行で、彼女と一緒に訪れた思い出の場所なんだ……。


 『大切な陽一お兄ちゃんにだけは教えてあげる』


 その言葉とともに僕は真美と秘密を共有したんだ。


 先ほどの荒っぽい走り方からは一変して、いたわるようにトレーシーを操作した。

 インカムマイクは、やはり電池切れのようで着信音は鳴らず、ハンドルに装着したホルダーの携帯電話に直接メールの返信が届いていることに気がついた。 

 不便極まりないが、いったん路肩に停車してメールの内容を確認する。相手は妹の日葵からだった……。


「……なんだって!? 次の行き先も最初から分かっていた!! あいつは僕のトレーシーにGPS発信機でも勝手に装着していたんじゃないのか?」


 ヘルメットの中で、思わず僕はネガティブな独り言を漏らしてしまった。

 真美を案ずる日葵のナイスなアシストを、まるでブラコンの妹みたいに勘違いした僕のことがバレたら、初恋ストーカーの自分を棚にあげてよく言うと、めちゃくちゃ怒られてしまいそうだ……。


 それがすぐに間違いだと日葵からの長めのメールを読んで思いしらされた。

 同時にいつもの軽口を少しでも思い浮かべてしまった自分に自己嫌悪した。

 メールには僕の知らない真美との、当時の交換日記の内容が詳細にしるされていた。

 これまで知らなかった真美と日葵の交換日記の内容に激しく打ちのめされた。真美は僕に陽のあたる部分の横顔しか見せていなかったんだ。

 もう一つの真美の横顔に差す陰影、当然だが光あるところにはすべて影が出来る。僕の目から見て何故あんなにも彼女は大人びて見えたのか?

 涙も枯れてしまうほど苦しんだ結果、身につけざるを得なかった悲しい処世術。僕と出会う前の真美が、交換日記の中に確実に存在していた……。


 今の気持ちのように暗い山道をトレーシーで一気に駆け上がった。

 はやる気持ちを押さえつつ右手のアクセルをひねる。

 心地よい海風が車体を包む。目的の場所まではわずかな距離で到着出来るはずだ。

 左右の沿道にはペンションや別荘が増えてくる。


『今は真美ちゃんのことだけを考えてあげて……』


 妹の日葵に頼まれた言葉を思い返す。

 思い出の聖地が存在する場所を勝手に思い違いしていた僕は、トレーシーで真美をそこまで連れ出すつもりが、目を離したわずかなあいだに彼女と離れ離れになってしまった……。 

 距離が近いとはいえ夜中にはほとんど誰も訪れない人里を離れた場所だ。そんな場所に見た目が小学生の女の子をずっと待たせる訳にはいかない。

 また職務質問を受けたり危険な目に逢いかねないし、なにより彼女の姿を自分の目で確かめないと心の底から安心が出来ない……。


 道幅が一段と広くなり、長い下り坂からみた僕の視界の先には、広大な景色が広がる、月明かりに照らされた街並みが一望出来る。その先には果てしなく続く大海原。

 

 僕にとって真美との約束の場所が見えてきた……。


 先程までの複雑な思いが嘘のように胸の中から消えていくのが感じられた。

 かげがえのない記憶や経験は僕の心の中でまだ存在していたんだ!!

 そうだ、あの輝いた日々の記憶は誰にも消せやしない……。


 電源切れで届くはずはないが、思わずインカムマイクにむかって叫んでしまった。


「真美、もうすぐだから、その場所で待っていてくれ!!」


 今は彼女を笑顔にすることだけに全力を尽くんだ……。

 目的の場所には徒歩でしか行けなかったはずだ。手前の公園に併設する駐車場に

 トレーシーを停める。今度は車体が倒れないように丁寧にスタンドを掛けた。

 そこからは山頂に向かう階段を一歩、一歩バイク用シューズで踏みしめながら進む。


 しばらくして巨大なモニュメント象が見えてきた。

 ライトアップされた白い女神像、 乙女が海の潮風を全身に受け両腕は髪を押さえるしぐさをモチーフにした物と、以前に訪れたとき説明の看板で読んだ覚えがある。

 海を見下ろすその姿は荘厳そうごんな印象さえ感じるほどだ。

 いわばこの街のシンボル的な場所で昼間は平日、休日問わず、市民の憩いの場や観光客で賑わっているが、夜の時間帯にはさすがに誰も居ない……。


 展望デッキを駆け上がり、女神像のある最上階へと向かった。

 僕は手前のフェンスを埋め尽くす物を一瞥いちべつしながら先へと急ぐ。


「真美!!」

 思わず彼女の名前を叫ぶ。女神像の足元、円形の回廊かいろうのある展望台の場所に彼女は一人で、僕の前から消えたときと同じ水色のワンピース姿のままで佇んでいた。


「陽一お兄ちゃん、やっと来てくれた……」


 ゆっくりとこちらを振り返る彼女、強い海風に髪を押さえるそのしぐさが、

 僕たちを静かに見下ろすモニュメントの女神像に重なって見えた……。


「真美、お前はやっぱりこの場所を覚えていたのか?」


 ライトアップされた白い女神像に優しく見守られて、僕たちは思い出の場所で再び会うことが出来た。その奇跡のような幸運に心から感謝した。


「真美……!!」


 急いで駆け寄ろうとした次の瞬間、僕は気がついてしまった。真美の両頬に残る涙の軌跡がライトではっきりと浮かび出された……。

 彼女は僕が到着するまで、ずっと一人で泣きはらしていたのか!?

 これまで真美が抱えてきた想いに、僕は次の言葉が出なくなってしまった。

 先程までの決意が揺らぎそうになるが、亡き母との約束を思い出し自分自身を必死に奮い立たせる。

 

「私、最初から分かってたよ。陽一お兄ちゃんが見せたい場所って……」


 泣き笑いのような微妙な表情で、真美がゆっくりと僕に語り始める。


「この場所は両親と、良くピクニックに来たことがあるんだ。

 家族三人でお弁当を持って、下の公園で食べたっけ……。

 お母さんは私の大好きな物ばかりお弁当に用意してくれて、

 本当においしかったんだよ!!

 そしてこの女神像のある展望台にも、お父さんに連れられていつも登ったんだ」


 子供のころの微笑ましいエピソードだが、その後、真美の身に起こった出来事を知っているだけに、なおさら胸が締め付けられる……。


「まだ幼かった私は、大きくなったらお父さんのお嫁さんになるっ!! この場所でそう宣言して、お父さんを困らせたんだ。真美がそういうと、お母さんはどうなっちゃうの? ってお父さんは私の頭を優しくなでてくれたの。ふふっ、そうだよね。真美がお父さんのお嫁さんになったらお母さんが仲間はずれになっちゃうし。いま思うと他愛のない子供の話にお父さんは真剣になって付き合ってくれたんだ……」


 仲の良いお父さんとの微笑ましい思い出話。あの夏の日の逃避行でこの場所を訪れたときも真美が僕に同じ話を聞かせてくれた。

 あまり両親とのことを語らない真美が、この話だけは嬉しそうに教えてくれた。

 そのときは分からなかった、離婚の原因になった理由の一つが真美だったことに。

 幸せな家庭を壊した張本人は自分だと、ずっとおのれを責め続けていたんだろう……。


「お嫁さんになるって聞き分けのない真美に、お父さんはある提案をしてくれたの……」


 彼女が女神像の手前にある防護フェンスへ僕をいざなう、そこにはフェンスの一面に無数の南京錠が掛けられていた。

 良くある形状の物や、変わり種のハート型、ありとあらゆる種類の南京錠が掛けられていた。恋人の誓いの場と背景の説明ボードにはそう書かれていた。


「女神像の前で恋人同士が永遠の愛を誓い、ここに南京錠を掛けるの。

 そうすると末永くその二人は幸せになれるんだって……」


 そんな意味がこの無数の南京錠にはあるんだ。何度聞いても素敵な言い伝えだ。

 彼女がフェンスの前に立ち、一心不乱に何かを探し始める。


「まだ残っているといいな、お父さんと私が鍵を掛けた箱型の南京錠」


 真美は思い出の南京錠を探しているんだ。この大量の中からすぐに見つけられるだろうか?


「お兄ちゃん、あったよ!!」


 しばらくフェンスの前で探していた彼女が歓喜の声を上げる、


「絶対間違いない!! 陽一お兄ちゃん見つけたよ。お父さんと真美の思い出!!」


 真美の手に持ち上げられた物は鍵箱と言っていいほど、大きくて普通の南京錠の中から見つけられたのも独特の形状で目立っていたからだろう。

 彼女は思い出の南京錠を見つけられた喜びを全身で表していた。


「お父さんがこの場所で鍵を掛けながら私に約束してくれたの。お嫁さんには出来ないけど、真美とずっと一緒だよって……」


 そこまで嬉しそうにしゃべっていた彼女が突然押し黙ってしまった。


「なのに、なのに……。何でなの!!」


 真美の小柄な肩が小刻みに震えだす。


「お父さんの嘘つき!! 何で真美だけひとりぼっちにするの……」


 激しく嗚咽を漏らしながら泣き出してしまう、これは心の自傷行為だ。

 なぜなら僕も同じだったからだ、今ならば真美の気持ちがよく理解出来る。

 過去に捕らわれたまま現在を見ようとしない逃避の行動だ。

 幼い姿で真美が僕の前に現れたその理由わけが、はっきりと分った瞬間でもあった。

 彼女に未来を向かせて立ち直らせること、そうだ笑顔にする必要があるんだ!!   真美が僕のトラウマを少しずつ解消してくれたせめてものお返しに……。


「真美、これを見てくれないか!!」


 ポケットの中からある物を取り出した。

 僕の差し出した物を見た瞬間、泣きじゃくり、手が付けられなくなった彼女の動きが瞬時に止まった。


 まだ仲良く暮らしていたころの父親と一緒に掛けたという、思い出の四角い南京錠。大切そうに両手で握りしめ誓いの場のフェンス前を離れようとしない彼女。


 うつむく真美の眼前に僕が差し出した物とは……。


「鍵……!?」


 驚きで思わず顔を上げ、僕のほうに向き直る真美。

 涙で曇った彼女の瞳の中にゆっくりと彩りが戻ってくる……。


「そうだ、その思い出の南京錠を開けられるキーだよ……」


「なんで、陽一お兄ちゃんが、真美とお父さんの約束の鍵を持っているの!?」


 もしこの南京錠を開けることが、この世に彼女がやり残した最大の後悔だとしたら、

 真美は成仏して永遠に僕の前から姿を消すかもしれない……。


 夏の魔物との最後の戦いにおもむく前に、僕がどうしても確かめたかったのは、真美がこの場所に残した父親との思い出の南京錠を開ける瞬間のことだ。

 記憶のパンドラの箱が開いて僕は真美より先にすべてを思い出したんだ……。


 それだけじゃない、真美が僕の前から消えた本当の場所も、なぜ彼女が幼いままの姿で僕の前に現れたのか。そして夢で見た大人の真美が同時に存在する理由わけもすべて僕の記憶は紐解けた。複雑にからまる過去ヘッドフォン記憶コードにイライラする情けない日々はもう今日限りでやめにする。

 この女神像の前で彼女が願いをかなえて成仏して消えれば、もう真美はこの世には存在していないと確実にわかる。

 そうなれば彼女を助けるなんてことは絶対に出来ないから……。


 ……そう、これは最後の賭けだ。



 次回に続く。

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