夢にまで見たんだよ、お兄ちゃんと暮らせるなんて。

「陽一お兄ちゃん、自分の教室に入らないの?」


 ――真美は、いったい僕に何をしたんだ!?


 ありがちなお涙頂戴の恋愛小説ライトノベルみたいに、大好きな幼馴染と一緒に過去に戻れた!! 

 もう一度あの日から初恋をやり直せる。奇跡は本当にあったんだ!! 

 そう言って真美と手を取り合って感動に打ち震えるほど僕は馬鹿じゃない。

 故郷を離れ長い都会暮らしで培われたのは人を疑うということだ。

 学生時代の僕は超がつくほどの世間知らずだった。ちょっと頭が良くて運動神経も悪くない。もちろん口には出さないが、そんな自分を狭い世界で一番優秀だと思っていた。

 真美がと言った中学時代。そして高校も県内で有数の進学校に入学することが出来た。あの事件が起きてから真美のいない喪失感を埋める代償行為で、日夜勉強に打ち込んだ結果だったのに、どこかで僕は天狗になっていたのかもしれない。

 家業の造園を継げという親父の言葉に反発したのも自分がこんな田舎では終わりたくないという馬鹿げた自尊心の表れだった。

 たまたま下手の横好きではまっていた趣味の一つ、カメラを言い訳にして故郷を離れ都会に出たんだ。理由わけはバイクでもエレキギターでも何だって良かった。

 真美の思い出があちこちに残るこの場所から離れたいというのが本音だった。

 自分を偽りながら……。


 東京に出た僕を待っていたのは、たいした才能もないごく普通の若造だったという分かり切った現実だった。

 あの村一番の柿の木で遊んでいた子供時代と変わらない井の中の蛙。すぐ調子に乗るのが僕の最大の悪い癖だ……。


「……真美は僕のことなら何でも知っていると言っていたよな」


 口の中が乾き、舌がもつれた感覚でが回らない。

 唸るような低い声が喉から漏れてきて自分でも激しい違和感を覚えた。


「何でも知っている訳じゃないよ。真美が見た範囲だけしか分からない」


「じゃあ分かる範囲だけでもいい。どうか僕の背中を押してくれないか? これは夢じゃないよ。現実の出来事だって。この教室の扉を開けてもどうせ何も見られないし、何も起こらないはずだ。だってこれは僕の夢だから!! 絶対に肝心なところで目が覚めるんだ。そんな馬鹿げた夢でも細かなディティールまではっきりしているのは本当にお笑い草だな。きっと僕の壊れかけた頭が夢にまで整合性を持たせているに違いない……」


 喉の奥につかえていたような疑念が溢れ出し、真美に向かって一気にまくし立ててしまった。


「真美は手を出すことが出来ないの。ここまで陽一お兄ちゃんを導くのが精一杯」


「頼むよ真美、もう勘弁してくれないか……。いや違うな、馬鹿な僕の脳みそにお願いするべきだな。こんな茶番は御免だ!! どうせ彼女は僕の前に戻ってくるはずがないんだ。あの日、あの川の上流で見た君は間違いなく……」


 僕は何を口走っているんだ!?


 あの川の上流って、何の話しだ……。


 一気に記憶の混濁こんだくが僕に押し寄せる。

 まるで洪水に飲み込まれたような感覚に自己の防衛本能が働く。

 人は追い詰められる状況では身体が勝手に動くのか!? 

 思い出したくない忌まわしい記憶から逃げるように教室の扉に手を掛ける。

 冷たい金属の取手に指先が触れ、夢なのに妙にリアルな感覚が伝わるのが不思議に思えた。そして僕は一気に教室の扉を開けた!!



 ******



「……!?」


 喉の渇きで目が覚める。うっかり部屋の冷房をかけたままで眠ってしまったようだ。

 身体のあちこちが悲鳴を上げ、しばらくベットに横たわったままで身じろぎすることが出来なかった。

 壁掛けの時計は深夜を告げている。僕は天井を見つめたまま先程の夢を思い返していた。


 何故、人は夢を見るのだろうか?


 よく言われる説は、普段の記憶や体験が蓄積される脳のゴミみたいな物で、断片的に再生される出来の悪いダイジェストムービーみたいなのはそのせいだ。

 だけどそれが夢の定義なら自分が体験したことしか再生されないはずだ。体験だけではない記憶。過去だけでなく時には未来までも夢に現れる。

 それが予知夢とよばれる現象だ。夢で見た見知らぬ少女。だけどなんで懐かしく感じてしまうんだろう……。

 僕はきっと片想いしている。まだ会ったことのない少女に。そのまま深い眠りに引き摺りこまれてしまった。そして朝まで夢は見なかった……。


 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・


「早く降りてきてください!!」


 階下から呼びかけられ、のろのろと部屋を出て階段を降りる。


「おはようございます!!」


 明るい声が食卓に響く、挽き立てのコーヒーの香りが心地良い。開け放たれたカーテンから朝の陽射しが室内に降り注いだ。


「パン焼けてますよ。あ、ご飯の方が良かったかな?」


 気を遣う所は相変わらずだな。思わず吹き出しそうになる。カウンターキッチンの向こうで慌ただしく朝食の用意をするエプロン姿の女性。


 君の名前は……。


「真美!! 僕はパンが良いんだけど……」


 僕の言葉に一瞬、彼女の動きが止まった。何か失敗したかな? 

 そんな感じで真美は顔を曇らせるんだ。 困ったような眉の動きは子供の頃とまったく変わっていない。


「真美、パンはこの枚数でお願い!!」


「ぷっ、あははは!!」


 カウンターキッチンの向こうで、何故か笑い転げる真美の姿に、意味が判らず動揺してしまう。

 そうか!! 朝食のパンの枚数を伝えようとして、僕は指を二本立てて合図していたんだ。

 意識せずにVサイン。それも両手でダブルピースを出してしまったことにやっと気がついた。それじゃあパンの枚数は四枚だろう……。


「やっぱりあの頃のままだね。お調子者なところは変わってないよ!!」


 パンのお皿を手に持ちながら、僕にむけて飛び切りの笑顔を見せてくれた。


 あの頃の幼い少女ではない成長した大人の女性の姿で。

 だけど守ってあげたくなる所は、昔とまったく変わっていない。


 僕の初恋の幼馴染、二宮真美にのみやまみ


「……陽一お兄ちゃん、おかえりなさい!!」

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