第38話 領都ゼライアの檻

 早朝、まだ日が昇り切らない時間帯。ゼライアの野は乳白色の靄に満たされ、赤と鈍色に満たされる日中にはない穏やかな空気が流れる一時。

 静やかに。密やかに。狼人の軍団は整いつつあった。


 メイリスカラク王は、自身が騎乗するアゼルピーナの狼、皆が魔狼と呼ぶ相棒の背を撫でる。

 彼の体格と装備では、常の大狼では耐えきれないため、十分な体躯を持つアゼルピーナを狩り、調教したのだ。

 今では互いに認め合う仲となった王と魔狼アゼルピーナは、一体となって駆け巡り敵を蹂躙する際に尋常でない破壊力を生み出すようになった。

 問題は敵が居ない事だ。

 今まで、狩りだの、アゼルピーナ討伐だので王が参戦した場合を除き、彼らがその力を発揮したことがない。


「お早いですな、王よ。

 兵が驚いております」


 後ろから諫めるような口調で話しかけてくるのはゲネルメノア元帥。

 王たる者、そんな慌ただしく先に出てくるものではない、もっと泰然と構えるべき。そんなようなことを言いたい、と知れる。

 罰と言う体裁で全ての諫言を封じた今、その半ば嫌味のような言い方くらいが限界なのだろう。

 くくく。いい気味だ。兵の思惑など知った事か。


 狼王メイリスカラクは、兵達が音を立てずに整うのを待った。

 楽しみで仕方がないのだ。

 これから振るう自らの力が。

 初めて解き放つ己の暴力が。

 それが如何程なのか、初めて実感できるのだ。


 人間同士であれば、昼日中ひるひなかに陣を構えぶつかり合うのが常道なのかも知れない。

 人間同士の決め事なども、知った事ではない。

 薄明はくみょうの中、騎乗した狼戦士達が寝ぼけた敵兵を食い破る。

 兵が整えば、一言も発さずに敵陣へ向け駆けだす。

 皆は王に続く。

 これが昔からの狼人戦士の戦い方。


 ……ああ、楽しみだ。


 メイリスカラクは、自身の兵が敵の喉笛を嚙み千切る準備を整えるのを、今か今かと待ち望んでるのだった。


 やがて。準備は整う。

 王の傍らにはべる元帥ゲメルメノアは片手を上げて、王に合図をした。

 その合図を受け、王を乗せる魔狼アゼルピーナが最初の一歩を踏み出す。


 とっとっとっ。


 最初は軽やかに。しかしすぐに加速した魔狼アゼルピーナは冷涼な大気を切り裂き、王を乗せて風の箭と化して疾駆する。それに続く兵達。


 朝靄を引きちぎるかのような、大軍が地を駆ける音。

 柔らかい肉球に保護される大狼の足も、一万頭も居れば地響きを呼び寄せる。


 目指すは、アゼルピーナを統べる者、『管理者』アルディナ。


 一万の狼達が一群となって疾駆するその前方から、朝靄から抜け出るようにして現れ駆け寄る狼兵達が現れる。ゲネルメノアが予め放っておいた斥候だ。

 彼らが先んじて敵陣の位置と様子を把握し、先陣の切っ先に位置する王にその標的の位置を報せる役目、であるのだが――。


「報告! 報告! 標的であるアゼルピーナ群が消えました!

 ゼライア周囲を駆けましたが、一頭たりとも見つけることが出来ませんでした!」


 ――なんだと?


 アゼルピーナ群とゼライアの人間達が共闘している可能性をゲメルメノア元帥より聞いていたものの、アゼルピーナを率いるのが餓鬼であり、ゼライアは壁に頼る弱兵揃いとの認識から、互いに足を引っ張る程度しかできないだろう、とメイリスカラクは踏んでいた。

 昨日の出陣の失態は、あの謎の新兵器、黒い煙を吐く炎の柱により攪乱されたため。親衛隊が壁上を制圧できなかったのはゼライアについた狼人兵と、謎のアゼルピーナのため。

 既にそれと知った我々が怖れるべきは何もない。敵もそれを知っているであろう、どうせ亀のように頭を引っ込めて縮こまっているに違いない。

 その程度の認識であった。


「報告! 報告! ゼライアの街門が、四方全て開け放たれており、さらに外から偵察する限り、動くものがおりません!」


 小癪な。


 斥候の話を聞き、出て来た感想。

 アゼルピーナ共を斥候が見つけ出すことができない。なら、奴らが全力で逃げたのでなければゼライアの奴らが街に引き込んだ、それしか有りえないではないか。

 その上で門を開け放ち待ち構えている、という訳だ。つまり、罠を張って狼王を持て成そうという心積もりかよ。


「元帥!」

「は! 兵千をデブラルーマの方向に差し向けます!

 アゼルピーナ達を見つけても手出しは不要、攪乱し帰還を阻害させること!

 ですが、本命はゼライア街内部ですね」


 メイリスカラクは、ゲネルメノアに職務上期待する事がある場合は元帥とだけ呼ぶ。それを受け、事務的な執行事項を王に報告して、応答がなければ実行に移す。

 あまり現実的ではないが、こちらが気づかぬうちにアゼルピーナ達がデブラルーマに向け逃走しているケースへの対処として、兵千を割いて基本方針を伝える。念のための布石。


「よし、ではゼライアに突っ込むぞ!」

「王よ、流石に敵の罠の渦中に先陣を切られるのはお止めいただきたい!

 誰か他の者、なんであれば私が露払いを承ります!」

「馬鹿者! こんな美味しいところを誰ぞに持っていかれてたまるかよ!

 お前に期待しているのは露払いではなく後始末だ、ゲネルメノア!」


 メイリスカラク王は、我儘を通したいときはゲネルメノアを名で呼ぶ。

 朋友というほどの意味を込めているが、反論は許さない。端から聞けば、子分に我儘を押し付ける餓鬼大将そのもの。

 それがこの狼王メイリスカラクの本性。


 だが、ゲネルメノアは王の類稀なる戦士としての能力を知悉している。

 故に本気で心配はしていないのだが、それでも王なのだからもう少し立場に相応しい気構えを、と言いたくなる。


『うらあああぁぁぁぁああぁああぁぁぁ!!!!』


 狼王軍の兵達は鬨の声を上げながら城門へ突き進む。


 と。


 巨大な黒い影がのっそりと街門を塞ぐ。

 伝承にある鬼をかたどったような面を付けた厳つい鎧武者。

 その大きさは人のものを遥かに超え、街門はその巨躯により人が通れる隙もない。そしておもむろにその腕を正面に突き出して――


 がががががががががががががががが!!!


 凄まじい勢いで、腕から、口から、胴体から、様々な部位から飛翔体が撃ち込まれる!

 しかしそれらが着弾するまでに、既に狼人兵はそこにはいない。危険を察知した段階で転身し、いったん射程外と思しき距離を取る。

 再び突っ込む狼王率いる狼軍に対して再びその巨大な影は腕を突き出して――


「ふんっ!」


 それが飛翔体を発射するよりも前に、狼王が槍を投擲する。

 その槍は鋭く過たずその巨躯に吸い込まれて行き、がぃん、という鈍い音を立て、人間で言えば喉元に当たる部分に突き立つ。槍は突き立つだけでは満足せずに、更にその巨大な影を仰け反らせ、上体を浮かせた。つまり、攻撃を放つことがきない体勢に追い込んだ。


 がががががががががががががががが!!!


 今度は狼王に先んじて突っ込んだ兵達が、その狼鎖剣を振りかざして巨躯をめった刺しにする。狼王軍の兵達は知らない事だが、以前ソルディナ邸でラキアが葬った大鬼傀儡と同型のそれは、瞬く間に屑鉄に貸す。


 凄まじい剣勢に倒される鬼傀儡。

 その脇を狼王とその軍が抜き去ってゆく。


 ちらりと門の内側に目を走らせれば、更に一体、先ほど倒した巨大な鬼傀儡と同型のものが門番のように控え、微動だにしていない。

 倒すのが早すぎて交代する機会もなかった、と言うことか? つまり想定外の迅速さで突破できたと考えて良いだろうか。


 『蹂躙せよ!!』


 街門を潜り抜けたメイリスカラクは走りながら叫ぶ。

 即ち、この街を破壊し尽くせ。

 敵が見えれば是をれ。

 敵を選ぶな。動くものを残すな。


 こうして、メイリスカラクは猛る兵をゼライアの街に解き放った。


***


 ゼライアは十万を超える人が住み、様々な地方からの人が行き交う一大都市。

 狼王軍一万をも呑み込み余裕があるほどの巨大な街並みだ。

 当初より狼王メイリスカラクと元帥ゲネルメノアが想定した通り、この猥雑な街並みには数多くのアゼルピーナ達が巣食い、狼王の兵に襲い掛かる。

 狼王の兵達も、遮蔽物や構造体はむしろその能力を活かして戦うことが出来るため、生き生きとしてこれを迎え撃つ。


 狼人とアゼルピーナ、互いに人族を凌駕する鼻を持ち、耳を持ち、感覚を持つ、獣の戦士達。

 両者がぶつかれば、主に装備面、あるいは練度から狼人兵が有利だが、全体的に見れば狼王軍は不必要な出血を強いられているとも見れる。軍として機能していれば、そもそも個々の奇襲など許さずに覆滅できたであろう相手なのだから。


 爪を。牙を。刃や角を。互いが互いを蹂躙し合い、血にむせび、酔い、狂う。

 今や酒の代わりに血を浴びた酔客達は次の獲物を探して街路を彷徨い歩く、領都ゼライアで行われる狂乱の宴。

 その様子を、壁上から憮然として眺めるゲメルメノア。


 てっきり壁上に兵が伏されており後の奇襲を目論んでいると考え真っ先に壁上へ上ったゲメルメノア率いる親衛隊達だが、そこには誰も居なかった。

 昨日、あれほど効果を上げた銀色の筒状構造体すらも放置されている。念のため破壊して回ったが、何か仕掛けがあるわけでもなく、ただ破壊されるまま。


 現在、眼下の街で繰り広げられているのは、狼王兵対アゼルピーナの戦い。

 人間共は、昨日の狼人工房兵団とやらは、一体どこへ行ったのか?

 奇襲されたところで噛み破る自信はあるものの、見えない敵と言うのは不気味なものだ。


「そろそろ太陽が中天に差し掛かる頃合いか……」


 早朝に戦端を切ったものの、敵を探して既に昼に差し掛かっている。

 兵達は酔ったように暴れているが、疲れは確実に体内に溜まる。

 王が無限と思えるような体力を秘めている関係から放っておくといつまでも変わらぬ勢いで破壊活動を続けてしまうだろう。体力の劣る兵は、やがて戦闘能力を喪失し、常ならば遅れを取らぬ敵にも下される可能性が出る。

 王なら、そんなものは体力のない奴が悪い、と取り合わないだろうから、自分ゲメルメノアが対処すべきだろう。


 その時。

 撤退の進言をするタイミングを計っていたゲネルメノア元帥の目に異変が映る。


 四方にある街の門のうち、北門の付近で轟音と共に火柱が上がる。

 昨日、散々迷惑を蒙ったあの砲撃の弾。


 ――全ての銀色の筒状構造体は潰したはず、どこから?


 不審を感じたゲネルメノアは壁上の構造体九基を順に眺める。

 すると、ここから最も離れたところにある一基が軽く動く様子が見えた。

 全て破壊したはずであるが、何故稼働しているのか。

 ただ、あの位置ならば、現在黒煙を上げている位置に狙えるように思える。


 とにかく、急ぎあの構造体を破壊しなくては。


 大狼は壁上に移動できないため自身の足で駆ける。親衛隊員達がゲメルメノアに続く。

 ふと壁外に目をやると、遠目にも分かる王の姿が、北門を潜り抜け何かを追っている姿が見える。供回りは数騎のみ。


 ――何をやっている!?


 ゲネルメノアがぎょっとしたその瞬間、今まで聞いたことのない轟音と共に壁全体が揺れた。

 地震!? このタイミングで!?


 慌てて姿勢を低くし余震に備えるが、もはや壁は微動だにしない。

 様子を窺いに胸間から街を見下ろすと、四方の街門が炎に包まれ、朦々と黒い煙が上がっている。

 自分は、壁外を見たものの、稼働中の構造体なんぱむ砲から意識は離していない。

 アレから放たれたものではない。つまり、最初から爆発物が埋伏してあったのか、何か仕掛けがされていたのだ。


 目を眇め炎と黒煙を吐き続ける門の様子を更に観察すると、炎に包まれた門の中に蠢く黒い影、それも巨大な影が目に入った。

 あれだ。入り口の門脇に木偶のように立っていた人形。あれが動いているのだ、きっと。

 生身には入れない炎の中で、門を塞ぐ番人のように。伝承にある炎に包まれた鬼人のように、街から敵を外に出すことを拒絶する防人。


 ――やられた!


 狼王軍一万の兵、その殆どは完全にこのゼライアの街に封じられた。

 まさか、護るべき街を檻として使うとは、どんな馬鹿が考える策だ!


 だが、まだだ。

 自分を始め、親衛隊の大狼は壁外に居る。

 せめて自分と残りの親衛隊だけでも引き連れて王の後を追う。

 一人で千の人族兵と当たれると言われる親衛隊員ならば、五十でも十分な戦力。

 遠距離攻撃が可能なあの構造体の息の根を止めたなら、即座に援護に向かう!


 ゲネルメノアはそのように考えを整理し、実行に移そうとしたその瞬間――


 がぅん!


 黒い飛翔体がゲネルメノアの目前に迫り、咄嗟に避けたその跡に正確に着弾し地面が爆ぜ飛び、更に煌々と炎が立ち上る。

 更に壁の側方にまで撃ち込まれ、壁すらも燃え上がる。どうやってか、内壁だけでなく外壁までも同様に黒煙を上げていた。これでは、壁面を伝い移動することもままならない。


 ――分断された!


 しかし敵はこの先、どうするつもりなのか

 ゲメルメノアは一度、この炎を潜り抜けたこともある。

 自分一人なら、この窮地は窮地ではない。何とでもできる自信がある。


 その時。

 熱せられた空気で陽炎立ち昇る中に、近づいてくる影がふたつ。

 金色の美しい髪を緩く結わえた、凛とした佇まいの女戦士。

 それに続く、両手にナイフを握る、小柄で華奢な、黒髪を円環に結わえた付人。


「……先日、こちらに訪れた際にも居たな、女戦士。

 手も足も出なかったことを忘れたか?」


 ゲメルメノアの挑発には乗らず、嫣然と微笑む女戦士アラフア


「自分達が攻めようとしている都市の副長官の顔すらも分からないとは、本当に狼人共は人族に興味がないと見える。

 私はゼライア領主プラナ・ヤーナの娘にして領都ゼライアの副長官アラフア・ヤーナと申すものだ。

 貴様にも戦士の誇りあらば見知り置け」


 この炎熱の中でも涼しい顔で、ゼライア副長官を名乗るむすめはスラリと腰間の剣を抜いて構えた。


「……成程、名は聞き及んでおる。

 確かに、金髪のうら若き女性にして剣閃鋭き戦士、と言っていたか。

 冗談か、良くて誇張かと思って居ったが、まさか私の前に立つ程の胆力とはな。

 失礼した。こちらも急ぐ手前、全力で排除させていただく」


アラフアとパルテにとって負けられない勝負がいま、始まる。

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