第17話 イリカさんの部屋、ヒィズさんの部屋
昨晩の狂乱の宴のせいで酒に呑まれた僕は、午前中を潰し寝込んでいた。
時間の無駄遣いにあせる一方で、久し振りに熟睡できたお陰で、頭がスッキリしていることが救いだ。
昨日、アラフアさんに言われたことを思い出す。女同士の戦争、その調停。
……僕にできるのだろうか?
不安しかない。でも、二人と最も立場が近いのは、やはり僕なのだ。
少なくとも、まずは話を聞いてみなくてはならない。
そのような訳で、僕はイリカさんが宿泊している部屋の扉をノックして、中に入れさせて貰った。
「イリカさん、おはようございます」
「あぁ、ココロさん、おはようございますぅ」
本当はもう昼近いのだけど、起きるのが遅かった僕を意識しておはようと言ってくれるイリカさんは、相変わらず優しい。
「丁度良かった、イリカさんにお話しがあります」
「お話しですかぁ?なんでしょうかぁ?」
「ええと、昨日の事と、あとこれからの事について」
それを聞いたイリカさんは、困った顔で微笑む。
「イリカさんは、その、ソルディナさんの指示で、僕と婚約してくれている訳じゃないですか?それによって僕は自分の身分を保障してもらっているようなもので、とても助かっています。
でも、これからの旅路はとても危険です。その旅の理由は、国の問題、狼人の問題、そして僕個人の問題。いずれもイリカさんが無理して付き合う必要のないものと思います。
イリカさんにはいつも助けて頂いていて、それに甘えてきましたが、ここから先は危険に過ぎます。引き返す潮時ではないでしょうか」
そう、イリカさんは、ソルディナさんの指示で、ここまで来ただけ。ヒィズさんとの関係の調停以前の話として、この辺でけじめを付けるべきであろう。色々と考えた末に、僕はそのように結論づけた。
僕の話を聞いたイリカさんは、困り眉のまま無言で微笑を湛えていた。
それからおもむろに口を少し開けて、考えがまとまらないのか、そのまましばらく声を出せずに居る。
やがて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そうですねぇ、私が同行する理由を、はっきりさせた方が良いですよねえ。
私は、私の、私自身の理由で、ココロさんの旅に、同行させて貰っているんです。
詰まらない話ですがぁ、私の話を聞いて下さい」
そう前置きしてから、イリカさんは話し始めた。
「私はぁ、ユーハイツィアの地方の、小さな町の、小さな商人の家に、生まれたんですぅ。
子供の頃からぁ、私は人と馴染めない子供、だったようですぅ。子供達はすぐに私から離れて行ってぇ、大人達からは気味悪がられたんですぅ」
ちょっと分かる気がする。
イリカさんは、勘が良すぎるのだ。
何気ない会話の内容から、本人が話そうと思っていないことまで覚ってしまうところがある。しかも、それを無自覚に歯に衣着せずに言ってしまう。
それを、この舌足らずでスローテンポな彼女にやられると、嫌がる人もいるだろう。
「私は、どぅも人と話が会わなくてぇ、いつしか家でお仕事の計算をしている方が、安心できるようになっていましたぁ。
それは良いのですがぁ、両親も、兄弟姉妹も、私の相手をしてくれなくなりましたぁ。だから、家族がいても、ずっと一人でしたぁ。」
そう言うと、少し寂しげな表情を見せる。元の家族のことを思い出しているのかも知れない。
頭が良すぎるが故に理解されない。そんな相手のことを自分も理解できない。
淡々と話しているけれど、やはり本人は辛かったのだろう。
「ある日、両親達とぉ、行商でゼライアに来たのですぅ。私は、仕事上のあらゆる計算をまかされてましたぁ。だから、同行したのですぅ。
そんな中で、魔術具のお店で品を納めている時にぃ、ソルディナさんが、私を目に止められましたぁ。
ソルディナさんはぁ、魔学の研究に使えそうだからとぉ、私を養女にする交渉をされましたぁ。
それでぇ、かなりの額のお金と引き換えに、私はソルディナさんの養女になったのですぅ」
……え?
それって、本質的には人身売買ではないですか……?
あのオバハン、やはりヒトデナシであったか……!
「以来、私はぁ、ずぅっと勉強と研究漬けでしたぁ。でも、人と交わるよりはぁ、楽しかったんですよぉ。私は、誰とも話が合わない。こぉんなしゃべり方でぇ、テンポが悪い。
そういうの、相手が思うの、分かっちゃうんですよぉ、私」
そう言って、寂しげに笑うイリカさん。本音は、他人と仲良くしたかったのだろう。
「それでぇ、お店番をしていた時に、ココロさん達に会ったのですよぉ。
ココロさんとはお話しがちゃんと出来てぇ、嬉かったんですぅ。
そのあと、ラキアさんに詰め寄られてぇ、初めてソルディナさんに反抗して、一緒に助けに行ってぇ。
なんか、一人じゃないのが楽しくて。やったことは、親に反抗したんですけどねぇ」
顔を少し俯けつつ、頬を緩めて、たはは~、と小さく笑っている。
初めて会った店のお客さんとその連れ。友達でも仲間でもない、行きずりの相手。そんな相手と共に自分の親へ反抗したことに達成感を感じるとは、彼女はどれ程の孤独を抱えて来たのか。
「そんなでしたからぁ、ソルディナさんに、婚約の話を聞いた時に、焦っちゃって。
家の事もろくに出来ない。本を読むことと、研究することしか能がない。そんな風に言われ続けた私にお相手が? ココロさんが?
最初は、緊張しました。でも、一緒に学校に通うようになって、勉強をして、ご飯も一緒。なんか、幸せだったんです、私」
真っ赤になりながら話をしている彼女は、いつしか滑舌のたどたどしさも落ち着いていた。
そんな風に思っていてくれたなんて、なんて勿体ないのだろう。こんな可愛い女の子が、僕なんかに。
「ココロさんが、ラキアさんを想われていることは知っています。でも、叶うのなら、出来うる限り、この仮初めの関係を続けたかったのです。例えそれが嘘であっても、夢であっても。
だから、アラフアさん達が講義に参加された時は、実は邪魔だな、とか思ってしまっていました」
そう言って、最早目も見えないほど俯いているイリカさんの赤い顔に、ちらりと舌が覗いたのが見えた。
「あきれちゃいましたか?」
イリカさんが真っ赤な顔を上げる。林檎のように上気した顔に、キラキラと光を反射するほど潤んだ瞳。
緊張し、最高に感情が昂っているのだろう。
ぎこちなく微笑む彼女は、少しだけ、ちろりと舌を出す。こちらも劣らず真っ赤な、綺麗な色をした舌の先。
「……ありがとう。
こんな。こんな、へなちょこな僕に、そこまで言ってくれるなんて。
イリカさんはとても素敵な女の子だよ。
可愛いくて。賢くて。優しくて。気を遣ってくれて。助けてくれて。
僕なんかには。僕にはとても勿体ない、本当に素敵な。
本当に。
だけど、ごめん。ぼくには。
ぼくには――」
それ以上は、僕は喋れなかった。
ぽとぽとと、僕の目から雫が落ちる。イリカさんは我慢していたのに。
僕は。僕は、なんて情けないのだろうか。なんて――
「泣かないでくださぁいよぉ。
私まで、泣いちゃうじゃあないですかぁ。
分かっていましたから。大丈夫ですから。
ココロさんは優しすぎますから。分かっていますから。
だから、泣かないで下さいよぉ。
泣かないでください、ね?」
ふたりして、ぽろぽろと涙をこぼした。
「私は、だから、大丈夫ですぅ。
ただ、最後まで、ラキアさんを助けるまで、ご一緒させてくださぃ。
それで、私は、幸せなんですよぉ」
結局、僕は、それ以上は何も言えなかった。
二人して、目を真っ赤に腫れ上がらせて、互いにペコペコと頭を下げあいながら、部屋を出る。
ふぅ、と一息ついた。
参った。
まさか、あの理知の塊のようなイリカさんの内側に、あんなに柔らかい部分があったとは。
顔が真っ赤で、目が腫れ上がってしまっている。感情も乱れている。
ヒィズさんの部屋は、イリカさんの部屋の隣。
本当は、ヒィズさんにも話をしようと、この後で部屋にお邪魔するつもりだったけれど、出直す必要がありそうだな。
少し廊下で佇んでいた僕は、自分の部屋に向け歩きだそうとして――
コツン。
ヒィズさんの扉から、硬質な音がした。何の音だろう?
不思議に思っていると、再びコツンと音が響く。
……何の音かなぁ?
僕は、少し躊躇ったけど、僕を呼ぶようなこの音に誘われて、ヒィズさんの扉をノックする。
部屋の中から足音が近づく音が聞こえて、扉が開かれた。
中から顔を出したヒィズさんは、いつものように綺麗な笑顔を、しかしなぜか少し硬い笑顔を見せてくれた。
「入って下さいね」
そう言ってヒィズさんは部屋に入り直し、ベッドに腰かけた。ホットパンツから伸びるしなやかな、真白い足を揃えているのが僕には目の毒で、視線を泳がせる他なかった。
仕方なく僕は備え付けの粗末な椅子を出して座るが、部屋着のヒィズさんは妙に
……いや、一か所あった。
ヒィズさんの頭の上。少し先っちょがへにょんと垂れた、ヒィズさんの耳。
忙しなく左右にぴこぴこ動くのは、落ち着いた態度とは裏腹に少し緊張しているためか。
「ココロさん? 人の耳を見て、心を読むのは止めていただけます?」
苦笑しながら、ヒィズさんが苦情を言う。
僕も苦笑を返す。
少し緊張がほぐれてきた。これで話がしやすくなった。
「……ココロさん。イリカさんと、随分親密になられたのですね?
隣でお話しされていたようですが、狼人の耳には筒抜けでしたよ?」
緊張感が舞い戻ってきた。それも最高に。
あれ、聞かれていたの!? 恥ずかしい!!
「盗み聞きするつもりはなかったのですが……ごめんなさい、聞こえてきてしまって、意識を逸らすことができなかったです。
イリカさんの気持ちも聞こえてしまいました」
包み込むような笑顔。柔らかい表情のヒィズさん。
しかしその視線は鋭く、僕を射抜くようだ。
「イリカさんもいろいろ苦労なされて来たようですね。
そしてココロさん、貴方が彼女を優しく受け止めてきたこと。
毎日、学校に一緒に通って、お食事も共にとられていたとか?」
そう言って、ニコリと微笑んだ。
……ひいいぃぃぃ!!!
そんな、そんな目でみないでっ!!
「いえ、そんな顔をなさらないで下さい。
私は、ココロさんの側に居たいとは申しましたが、貴方を束縛できるような存在ではありません。
――ですが、ラキアさんは別。ココロさんは、まだラキアさんを一番大切に思っておられますか?」
それは、心から偽りなく言える。
もちろん、ラキアが一番だ。
僕は、コクコクと頷いた。
それを見たヒィズさんは、いつもの花のような笑顔を見せてくれた。
「そうですか、それならば良かったです。
それだけをお聞きしたかったです。
ごめんなさい、盗み聞きのような真似をして、しかも疑うようなことを聞いてしまい、本当にすみませんでした」
そう言って、ヒィズさんは申し訳そうな表情になり、ぺこりと頭を下げる。
良かった、誤解はなかったようだ。
僕は落ち着きを取り戻して、本題に入ることにする。イリカさんにも伝えたこと。ヒィズさんも、戦闘が得意というわけでもないのに、無理に一緒に来ることはないのだ。
狼人の立場が難しいことは分かるけれど、それでも、危険には近づかないで欲しい。街に戻ってからの彼女の立場という点なら、アラフアさんに土下座してでも、保障をもぎ取ろう。
そこまで考えて、口を開こうとして機先を制され、ヒィズさんが先に話し始めた。
「ところで、ココロさん。
私と昔交わした約束を覚えてくださっていますか?」
……約束?
なんだっけな?
「以前、お約束しましたよね。
『私は貴方の側に居ます。私がそれと望むまで。私を遠ざけないでください』
そう言って。
私の願いは、ラキアさんを探し、助ける旅を、貴方と共に。
これから危険が迫るかもしれません。
でも私は大丈夫です。強くなります。
ですから、決して私を遠ざけないでくださいね」
そう言って僕の手を取り、じっと僕の目を見てくる。
ずるい。
そんなこと言われたら、何も言えなくなってしまうじゃないですか。
「わ……かり……ました……」
千々に乱れる心をどうすることもできず、僕は頷くより他に何もできなかった。
その言葉を聞いたヒィズさんは、
ばたばたと大きく左右に振られる大きく柔らかそうな、ふかふかの尻尾。
本当にヒィズさんはずるい。
あんなに嬉しそうにされてしまっては、僕はもう何もできないではないですか。
手を振るヒィズさんに見送られ、部屋を出た僕。
そして気づいてしまう。ヒィズさんの部屋にはいって、ほとんど喋ることもできず、完全にヒィズさんのペースで進んでしまったことを。
……本当に、ヒィズさんは、ずるいよ!
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