渡良瀬遊水地(三)

 私はそれを青田さんに伝える。すると青田さんは顔を上げた。その目が爛々と輝いている。

「すると神田さんが、なぜ渡良瀬のことを言いだしたのは、わからない?」

「いえ、そこははっきりしてます」

「はっきり?」

 オウム返しに尋ね返されてしまった。これは私の話し方が悪かったのだろう。

「私が直接聞いたのは、渡良瀬だったんですけど、多分みんなは先に知っていたと思うんですよ。つまり和夫さんが群馬出身ということで」

「ああ、単純に地元と言うことですか。それなら……」

 そういうことなのだろう。「たまゆら」の活動にうってつけの場所だと、そんな説明を聞いた覚えもあるし。

「ええ。何だかその時……っていうか、私ちょっとサークルで浮いてしまっていて。いえこれは最初からなのかも。それで、この時和夫さんも最初に渡良瀬旅行を言いだしたのは確かなんですけど、旅行の計画自体にあれこれと口出す感じじゃなくて、一歩引いた感じで」

 思い出してきた。多分、そんな状況だったはずだ。記憶をつなぎ合わせてゆくと、それが上手くハマってゆく感覚がある。

「おかしな話ですけど、あの時和夫さんも浮いていた気もします」

「それで声を掛けたと」

「ええと、声を掛けてきたのは和夫さんなんですけど」

 そんな事ばかりはっきり覚えてるのは、何だか恥ずかしい。でも、ここまでの私の説明なら青田さんがそう考えるのが自然なんだろう。

 盗み見る感じで、青田さんの表情を窺ってみると、何だか感情が沈んでしまったように見える。

 もしかしたら、これが青田さんの――

「……ええと、和夫さんが私に声を掛けてきたのは北千住の駅のホームで。それでそのまま」

 けれど、とりあえず説明をつづけることにする。

「神田さんはそれで、ずっと月苗さんに話しかけ続けた?」

 するとすぐに青田さんから質問された。表情は消したままだったけど、この質問にはすぐに答えることが出来る。

「いえ、和夫さんは私の撮ってきた写真に興味があるみたいで。そうすると『たまゆら』のメンバーですから応じないわけにはいかないですし」

「警戒されていたんですね」

「まぁ、私の人見知りは誰彼構わずみたいなところがあったので。でも、和夫さんが旅行を提案していたのは知ってるわけですから……」

「その点では無下には扱えないと。……すると、神田さんが興味を持たれたというのも、単に写真を褒めるばかりでは無かったのでは?」

「そうです。わかるんですね」

「先に写真にこだわりがあるようだと聞いてしましたから。褒めるばっかりでは、こだわりがあるようには思われないでしょうし」

 そういうことか。やっぱり順序立てて説明していくことは重要らしい。

「それで、神田さんにはどういったこだわりが?」

 そして青田さんがまさに“順番通り”に問い掛けてきた。私はこの旅行については話をするつもりはなかったので、その感触を言葉にするのに、少しばかり時間を掛けてしまう。

 人が少ないことを見込んで、この学食を選んだわけだが、今になって考えてみればカップ珈琲ぐらいは用意した方が良かったのだろう。

 青田さんからそういった声が上がらなかったことも手伝って、今まで気付かなかったが……やはり、私はそもそも相談すること自体が納得出来ていないらしい。

 手早く済ませたいという心の内が透けて見える様だ。

 しかし、そうだと気付いてしまうと、ここでカップ珈琲を買いに行くのも、何か負けたような気分になる。

 ……勝ったも負けたもないと言うことはわかっているのに。

「――先に月苗さんのご写真を拝見させて貰った方がよろしいんでしょうか?」

「え?」

 私が逡巡している内に。青田さんから再び声をかけられた。

「比較対象として、月苗さんのご写真があった方が説明しやすいのではないかと思いまして。写真自体は恐らくスマホに収まっておられるのでは? それならそれほどの手間にはなりませんし」

 これもまた順序だった説明だ。

 いやこれは単純に、私の頭の回転が鈍すぎるんだろうな。青田さんの提案はごく自然なものだ。そして自然であるからこそ、私はすでに和夫さんの“こだわり”について、それを言葉に変換する方法を思いついていた。

「ええと、私の撮った写真をお見せすることは構わないんですけど」

 人に写真を見せることにそこまでの忌避感はない。そうでなければ「たまゆら」に参加もしていないだろう。

「先に、和夫さんの“こだわり”については、何とか伝えることが出来ると思います。和夫さんは何と言うか、瞬間を捉えることにこだわりというか、何か……そうでなければならない……いえ、憧れのような……」

 結局グダグダだ。だがこれでも伝わることは伝わるだろう。

 実際、青田さんは瞳に感情を復活させて、小首を傾げたのだから。

「――写真というのは、そもそもそういった瞬間を切り取るものなのでは?」

「それ、和夫さんと同じ考え方ですね」

 十分に、私の思う和夫さんの“こだわり”については伝わったようだ。実のところ、行きの列車の中では、その点で半ば言い争うぐらいの状態になった事を覚えている。

「私はそればかりでは無いと思うんです。だから比較、ですね。それが説明を組み立てるする時のヒントになりました」

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