春を売る少年と

eLe(エル)

第1話

 少年はヤマダと言う。

 齢は十五、六。名前は彼が名乗らないのでわからない。


 ヤマダは花咲か爺さんよろしく桜の種を蒔いているわけでも、初々しい臙脂色の正装の仕立てを生業にしているわけでも、宴会の席にパッと笑顔が湧くような秀でた一芸を持っているわけでもなかった。

 それでもヤマダが「春を売る少年」であるのは、言葉の通りだった。



「貴方は男と……セックスをするの?」


 明るくなり始めた空。けれど遠くまで見渡せばまだ夜が残る、暁の空の下に二人は居た。


 一人の男子と女子は散らかった街中の片隅で地べたに腰掛け、お互いがお互いの顔を見るわけでもなく、まるで宙に浮かんだ妖精でも眺めるみたいにして、目線を交わさずに会話をしていた。


「擬似的な行為だろうけど、そう呼んだ方が伝わりやすいし、相手も喜んでくれるね」


「そう……どうしてそんな、平然と話せるの……? 嫌がっている私がおかしいみたいじゃない」


 彼女はその胸中の激しい動揺とは裏腹に、ほとんどジェスチャーも表情の変化も見せなかった。


「解らないんだ、セックスってものが。僕には食事と変わらないものに見える。したいからするんだと理解してるだけ。だからこそ、それがたまらなく悲しい時もあるよ。皆確かに、心からそれをしたいと思って僕に声をかけてくれているのが分かるからこそね」


 ヤマダもまた、同じだった。言葉の節に見え隠れする感情は内に隠れたまま、外から見ればただ人形が喋っているようで。


「……セックスなんて、辛いだけよ。本当に。どうせなら狂っていたかった」


「狂っていたかった? うーん、どうだろう。女性だと感覚も違うんだろうね、きっと」


 ヤマダは冷たく相槌を打つ。


「世の中にはね、貴方と同じで……いえ、貴方よりはきっとまともで、ただ体を重ねることに苦痛も感じなければ、むしろ依存してる子もいるの。いろんな悩みがあって、不安で死にたくても、求められることで安心するの。でもそれは一度嵌ったら抜け出せない。自分の価値が分からなくなる」


「自分の、価値」


 ヤマダは噛みしめるように繰り返した。


「私には貞操観念ってものがあるの。自分の価値を守る、人間としての尊厳を守るための基準がね。それがきっと貴方にはないのよ。でも……でもね、どうせならそんなもの、身に付けたくなかったの。私はこうなるってわかってたら、ただ頭を空っぽにしてセックスに溺れたかった。それならどれだけ幸せだったか」


「大声は、止そう。でも、君の言葉はなんていうか、真に迫る。怖いくらいだ。今まで見たことがない……感じたことのなかった、女性のことが見えて来る気がする」


 ヤマダは頷いた。相変わらず生気のない顔で、さも満足そうに、まるで微笑んだ仮面を被るみたいにその表情を見せた。


 けれど彼女は頷かなかった。それどころか、ヤマダを一瞬睨み付けると、先よりも俯き加減で小さく激昂した。


「貴方は分からない側の人でしょう? 知ったようなことを言わないで。私は、貴方が汚らわしい。当たり前のセックスでさえ受け入れ難いのに……それを男同士でなんて」


 その目は冷たいものだった。ヤマダの表情は動かない。その無機質な眼差しが少し恐ろしく思えて、数秒の沈黙の後に言葉を発する。


「でも、本心では羨ましいと感じてるの。貴方のように生きられたらどれだけ楽だと思う? 貴方、考えたことなんてないでしょう」


「確かに、ないね」


「ほら。だから私は」


「それでも僕だって、価値を見出すことはできる」


「え? 貴方……貴方にそんなものあるわけないじゃない」


 ヤマダは彼女の言葉を遮るように自分の意見を口にしたが、彼女もそれに対して食い気味に言い放った。


 ヤマダはその言葉を飲み込んでから、目に見えない嘆息を一つ。一拍開けてからまた変わらない表情で。


「どうしてそう言い切れるんだよ。何度も言うけれど、僕には君の苦悩が分からない。分かってあげたいけれど、きっと理解できない所にある。でも、それでも分かることもある。君が、嘘をついてるってこと」


「嘘?」


「例えば君が僕に対して価値を付けてるとして、もしその価値が本当にゼロなら、こうして話をしないんじゃないかな。価値がゼロなんてものは、廃棄物とか病原体の類だよね。でも、君は僕のことを羨ましいと言った。つまり、僕の価値はゼロよりは上だ」


 彼女は逡巡した。彼からこんな理屈のような、というか屁理屈が出てくると思わなかったからだ。


「それは……」


「僕は自分の価値も、君の価値も分からない。でもゼロじゃないってことは言える。君が辛い顔をする時、窮屈な言葉を口にするんだ。他人の話をするのに、どうしてしかめっ面をするんだろうって」


「適当なこと言わないで。貴方の言ってることは屁理屈で、無茶苦茶よ」


「分からないけど。君だってきっと、楽なんじゃないかな。セックスしてる間だけは」


「そんなわけ……そんなわけない!!」


 遂に彼女は彼の方を向いて声を上げた。一人立ち上がって。けれどヤマダは座ったまま、一瞬立ち上がった彼女の方を一瞥すると、元の妖精に目を戻した。


「って、思いたいんじゃないのか、って」


「なんなの、貴方……」


「僕も、同じように消してた感情があったから」


「何よ、それ……?」


 彼の語気は始めと変わらない。


「見ないようにしてた、辛いことも苦しいことも。君とは分かり合えない。でも、そういう繋がりはあるよ」



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