第三十六話 貴族居住区

 俺たちが昼食を摂った港近くの広場。そこにある転移施設は行きのときは封鎖されていたが、今は学生証があるので利用可能となっていた。


 転移魔法陣を囲うように、八方向に石柱が立てられている。二十人くらいは一度に移動できそうで、俺たちとティートが一緒に入っても余裕があった。


 魔法陣の中心に設置された水晶とその台座は、転移先を決めるためのものだ。この辺りの技術は千年前からあまり形が変わっていない。


 転移魔法陣はどんな場所にでも転移できるわけではなく、対応する陣のある場所とつながっているのみだ。自由自在に移動する転移魔法は、この時代においても使用できる魔法使いは稀少を極める。


 存在しないと言い切らないのは、アルスメリアがそう言っていたからだ。彼女は世界のどこにでも行けて、それでも転移魔法を生涯で数度しか使わなかった。


 不戦結界ができた今は、もし『自在転移』が可能な魔法使いがいたとしても結界を超えて転移するようなことは不可能となった。


 アルスメリアは後世に幾つも枷を残してしまったと自分を戒めていたが、俺には彼女の言う通りなのかは分からない。騎士であった俺が思うことではないのかもしれないが、戦がないことが人々にとっての最大の自由だと思えるからだ。


「二人とも初めてだと思うから、この魔導器の使い方を教えるわね。基本的にはこの部分に触れて、行き先を念じればいいの。まだ『想念固定』の練度が低い人は、行き先を声に出すと確実になるわ」

「兄様に手ほどきをしていただいたので、大丈夫だと思います」

「お兄ちゃんったら、カノンちゃんと遊んでると思いきや魔法の授業をしていたのね」

「魔法学園で役に立つと思ったので、色々と予習をしていました。『想念固定』は家に指南書テキストが置いてあったので」

「あの一冊を読みながら授業を受けて、前期が終わるころにみんな身につけるくらいのものなのよ。お兄ちゃん、クラスのみんなにも教えてって言われてしまいそうね」


 成績上位者の集まるクラスであれば、その辺りの心配は無用に思える。


 一部の科目が突出していて他の科目が苦手という生徒がいる可能性もあるが、少なくとも皇姫たちに関しては魔法の素養は高く、同年代の中で各国を代表する力を持っているのは間違いない。


「お兄ちゃんが一番成績が良かったっていうから、お母さん本当に嬉しくなっちゃって……さっき顔を見た時にハグをしようと思ったんだけど、それは我慢しておいたの。先生として威厳を保たないといけないし」

「い、いえ。僕は八位か、カノンより下の順位ということになると思うので、一番というわけでは……」

「いいのよ、マティルダも喜んで教えてくれたんだから……あっ、驚いてるみたいだから言っておくとね、彼女は私と同じクラスだったの。私も特別科で、お兄ちゃんたちと同じだったのよ。建物は新設されて新しくなっていたけれど」


 そんなことまでずっと秘密にしていたのか――と、鋼鉄のような口の固さに感嘆する。


「お母様も私たちと同じ科だったのですね。マティルダ副学長さまとはどのようなご関係だったのですか?」

「彼女は昔から変わっていなくて、誰に対しても公正で誠実な人よ。男子にも人気があったんだけど、今でもお互い独りなのよね、ってさっき話していたの……あっ、これはまた会うことがあっても内緒にしておいてね」

「あまり私的なことをお話しする機会は無さそうですが、心しておきます」

「ふふっ……お兄ちゃんったら。そんなに身構えなくてもいいのよ、彼女は優しいから」


 一言ずつマティルダ副学長のイメージを変えるようなことを言うミューリア――久しぶりに学園に戻ってきて、気分が高揚しているようだ。


 ヴァンスとしての視線では、今のミューリアはいつもよりあどけなく見える。大人の女性に対して思うことではないが――と考えていると、ティートが尻尾で触れてきた。


『積もる話もあるとは思うが、そろそろ移動しようではないか』


「ああ、そうしようか。母さま、話の続きは宿舎に着いてからにしましょう」

「ええ。最初は行き先を言って転移するわね。『魔法学園島西部二十一番 貴族居住区』へ」


 ミューリアが水晶に向けて言うと、足元の魔法陣が淡く発光を始め、柱の外の風景が変化する。


 転移した先は、庭園の中だった。この庭園が貴族居住区の中心に位置しており、七つの方角に門があって、それぞれの国の貴族が暮らす宿舎に通じているということらしい。


「この転移魔法陣を、貴族居住区の人たちが共同で利用することになるわ。ここで他国の方とお会いしたときは挨拶をするようにね」

「はい、お母様。あちらの屋根のあるところは?」

「庭園の花を見ながらお茶会ができるように、テーブルと椅子が置いてあるのよ。お母さんもまだ入学したばかりの頃、クラスメイトを何人か誘って……ああ、懐かしいわね」


 転移魔法陣のある場所から、七方に向けて道が伸びている。天帝国の貴族宿舎があるのは北西の門を通った先のようだ――門の周囲に、天帝国の風土で生育する花が咲いている。


 天帝国の国花は限られた場所でしか育たない。ここに咲いている花は別のもので、天帝国では多くの場所で見られるものだ。だがありふれた花だからこそ、郷愁を抱きもする。


「まだ一日も経っていないのに、この花が懐かしく思います」

「故郷を離れても想えるように植えられたものなのだけど、合格したあとで見ると泣いちゃう子もいるわね。お母さんもそうだったから」


 目を潤ませるカノンを見ていると、こちらも胸に迫るものがある――感動屋ではないつもりだが、妹の涙には弱い。


「兄様、空を見上げてどうしたんですか?」

「いや、何となく青いものが見たくなっただけだよ」

「そういうときはお母さんの胸で泣いてもいいのよ?」

「そうしたくてもできないのが男というものですから」


 母の甘やかしを受け流すことにも、我ながら慣れてしまったものだ。ミューリアは残念そうにしているが、それ以上押してはこない――これが今の俺たちの、親子の距離感だ。


 学生証が鍵の代わりになり、近づいただけで門が開いていく。


(……ん?)


 何者かの視線を感じて、俺は振り返らずに気配をうかがう。


 一度見たことのある魔力――それは、魔皇姫が聖皇姫と対峙していたときにまとっていたものに相違なかった。


 その魔力はフッと消えて、視線も感じなくなる。振り返って見てみると、魔帝国の宿舎に通じる門が閉まるところだった。


「兄様、いかがなさいましたか?」

「誰かが見ている気がしたけど、害意があるわけじゃないと思う」

「相変わらず鋭いわね……私もカノンちゃんも何も気が付かなかったのに。お兄ちゃんが護衛をしてくれているとやっぱり安心ね」

「い、いや、頭を撫でるのは、世間体がですねっ……」

「お母さまがそうするのなら、私もしていいということですね」

『やれやれ……何をしておるのだ。少し歩くたびにじゃれていてはいつまで経っても着かぬではないか』


 ティートにたしなめられて、ミューリアとカノンは名残惜しそうに離れていく。


 家の中では俺をかまうことに執心している二人が、外で見せる姿との落差は、我が家族ながら大きすぎると思う――気を緩めたところを見られるのが家族の特権だというなら、甘んじてかまわれるべきなのかもしれないが。



 



 俺たちが借りることになった宿舎は、二階建ての屋敷だった。天帝国の屋敷と比べると半分ほどの大きさにはなるが、生活する上では全く支障はないし、部屋数は三人で暮らすには余るほどにあった。


 裏庭に建てられた騎獣小屋は寝床としては十分に大きく、ティートも悪くないと言っていた。今までは森の中の洞穴を寝ぐらにしていたので、木床の上に毛布を敷いて作られた寝床は居心地が良いらしい。


 屋敷裏の警護はティートがいてくれるので、俺は表側に警戒を巡らせることにする。屋敷の敷地周囲に簡易結界を敷き、侵入者を感知できるようにしておく――空からの侵入については屋根に魔道具を設置して対応する。


 地中からの侵入――穴を掘って侵入する『土竜戦術』は侮れないのだが、これについては屋敷に地下室があるので、そこに魔道具を設置して対応すれば問題ない。魔道具を設置するたびに対応する指輪を嵌めておく必要があるが、最大で十六くらいまでは装着していられるので、他にも気になるところが見つかるたびに魔道具を設置していく方針だ。


「兄様、地下室に入っていらしたのですか?」


 地下室に魔道具を設置して出てきたところで、カノンが様子を見にやってきた。貴族の正装から今は普段着に着替えている。


「食料庫があったけど、今は空になっているね」

「買い物をするときは、居住区に出入りをされている商人の方に注文をするそうです。西地区の十八番に行くとお店があるとお母様からうかがいましたので、直接品物を見に行くこともできます」

「店か……実家にいたときは、行く機会がなかったね。何か用事ができたら行くこともあるかもしれないな」

「兄様、連れていってくださるのですか?」


 カノンが目を輝かせる――実家にいた頃から、妹が馬車で移動するときに、町の中にある店を気にしているというのは気がついていた。


「他の人たちが休日の過ごし方をどうしているかにもよるかな。店のある区画に行くようなら、僕らも誘われることはあるかもしれないし」

「お誘いを受けられたら嬉しいですが、私は兄様と二人でなら、どこに行っても楽しいと思います」


 そう言われると、不特定多数が出入りする場所では護衛の難度が上がるとか、そういった考えを全て飲み込んでカノンの希望通りにしたくなる。


「まずは明日からの授業を頑張って、休暇のことはそれから考えようか」

「はいっ、兄様」

「……お母さんがいないうちに、隙あらば仲良くしちゃって。どんな話をしてたのか言わないと、行き場のない気持ちがお兄ちゃんに向けられるわよ」


 自室にいると思っていたミューリアが、いつの間にか二階から降りてきていた。


「い、いえ、休暇になったら他の地区を見てみようかと……実家にいた頃は、町に出たりすることもありませんでしたし」

「そういうことなら、私がついていくとカノンちゃんに怒られちゃうわね……いいわ、二人でゆっくりしていらっしゃい」

「そうおっしゃられると、恥ずかしくなってしまうのですけど……」


 妹もお年頃なので、友人ができたときに三人以上で行くというのがいいかもしれない。


 しかし、先ほど感じた視線は――魔皇姫が俺たちを見ていたとしたら、その理由は真っ先に一つ思い当たる。魔帝国侯爵家のジルドと対戦したことだ。

 

(自国の侯爵家が、他国の伯爵家に負けた。それで面目を潰されたと思っているなら、こちらに対する魔皇姫の感情は芳しくなさそうだな……)


 皇姫殿下たちと同じ教室になった以上は、友人というのは恐れ多くとも、級友として穏やかな関係を築ければと思う。


 魔皇姫と対面する際に、彼女が何を言うのか――杞憂であってくれればと思うが、こういったときの勘が外れることが少ないことを、俺は自身で自覚していた。

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