第十八話 世界魔法学園

 七帝国立世界魔法教育学園。通称『世界魔法学園』という場所に、俺とカノンは今年から通うことになった。


 天帝国の中だけでは、俺の探し人は見つからないかもしれない。そうミューリアに相談すると、彼女は天帝国内の魔法学園ではなく、七帝国が合同で設立した学園に通ってみてはどうかと提案してくれた。


 不戦結界によって七国間の国境線が引かれたあと、長い間陣取りを繰り返していた大陸の中心部に各国は軍勢を送ることができなくなった。大陸中心部の巨大湖はどの国の領地からも外れており、自然に中立地帯となった。


 元々七帝国は巨大湖の中心にある島の領有権を巡って争っていた――莫大な量の魔力を宿す鉱物『神石』があるから、あるいは七帝国時代以前の古代魔法の秘儀が今も眠っているからなどと言われているが、確たる理由は定かではない。


 求めるものがそこにあるはずだというだけで、各国はその島を戦場の一つとした。しかし中立地帯となったあと、各国の皇帝はその島を最初の講和を行う場所に選んだ。


 いつ皇帝と側近による戦闘が始まってもおかしくない、そんな緊張の中、千年前の天帝――在りし日のアルスメリアは、不戦結界について知りたがる他国の皇帝を前に、こう言った。


『私の魔法は一国のみの力によるものではない』


 御簾の向こうから出ることのできなくなっていた彼女は、自分に似せた人形に皇帝の衣服をまとわせ、仮面でその顔を覆っていた。それでも、誰もアルスメリアが本物ではないことに気づかなかった――六皇帝は彼女の姿を見たことがなく、彼女の幻術を破ることもできなかったからだ。


『他の六国に魔法の媒介となる『柱』がいて、結界が成り立っている。ただ争い合うのみでは、不戦結界を破ることは永遠にできない。それは氷の底で眠るような停滞を、この世界にもたらすだろう』


 『柱』――アルスメリアの魔法の協力者。天帝国に寄る辺を求め、アルスメリアの思想に共感した他国の有力な魔法使いたちは、不戦結界の範囲を各国に広げる役割を果たした。


 そして事実上、アルスメリアは戦いを終わらせた。しかしそれは、七帝国が争い合う理由を失わせたわけではなかった。


 火種は眠っているだけだ。不戦結界を通るには条件があり、七皇帝はその条件を満たして講和の場に参集した。大軍ではなく、一つの種族のごく少人数ずつのみが結界を越えられる。そして結界の範囲を越えるまで、戦略規模の大魔法は使えない。


 その条件で講和の場に赴きながら、戦いを始めようとする者がいた。魔帝と聖帝、鬼帝と人帝、竜帝と獣帝――彼らの間にある憎悪は長きに渡るもので、不戦結界で遮られるまでは最も激しい戦いを続け、多くの血を流していた。


 その彼らに、アルスメリアは告げた――あえて、六皇帝の反駁はんばくを誘うように。


『不戦結界について説明する義務は、私にはない。しかし、一つの種族だけでは成しえない魔法であるとは言っておく。各国の王族、貴族に限らず、魔法について飽くなき希求を持つ者が知恵を合わせ、ようやく辿り着けるかもしれない』


 他国の魔法は、天帝国には及ばない――そして、魔法ではなく科学の発達に力を注いでいる人帝国にとっては、科学が魔法に対抗できるのかという疑問の提起でもあった。


『この領域に少しずつでも軍を送り込んだところで、決定的な領土の主張は完成されない。ならば、各国が利益を得る場として共有してはどうか。この島に人が増えるには時間がかかるだろう。しかし七国から少しずつ送り込めば、島国といえるほどにはなる』


 アルスメリアの力だけで、その気になればこの島を領有できるはずだ――誰もがそう思っただろう。


 その彼女が、天帝国の持つ影響力の要となった不戦結界の原理を断片とはいえ開示し、それを破る方法を協力して見つけ出せと言っている。


 誰が、最初に賛成したのか――それは、聖帝であったように思う。続いて竜帝、人帝、魔帝、鬼帝、獣帝が賛同し、天帝アルスメリアの出した講和条件を飲んだ。


 七帝国が共同で、この島に魔法研究を行う学府を設立する。


 初めは、他国に魔法の力で劣ることを危険視し、国同士で監視し合うような目的であったのかもしれないが――そうして作られた学府は、各国の宮殿を建設してきた名工たちの協力を得て、三十年前に全建物の改築を終え、今に至る。


 外部からの訪問者は船で巨大湖を渡るか、騎獣に乗って渡るほかはない。船での渡航は制限されているため、マリエッタさんが学園に訪問するとしたら、乗船の申込みをして待つ必要があった。フィアレス家から距離自体はそこまで離れていないが、魔法学園に行くには日数がかかるというのはそういった理由だ。


「兄様、『不戦結界』は、この雲海のことなのですか? この中に入ってから、魔力が集約できなくなっています」

「そう……ただ魔法を使えないだけじゃなく、特定の魔法が封じられるようになっているんだ。でも、騎獣の飛行能力は封じられない。それは、騎獣という生き物のありかたを否定することになるからね」


 しかし騎獣の侵入を無制限に許可すれば、各国の軍隊が通過できてしまう。そうならないのはなぜか――この雲海を通るためには『通行証』が必要なのだ。


 何も持たずに雲海に入っても、方向感覚を狂わされて思った通りの方向に抜けられず、自国に戻らされてしまう。


「この『水晶の針』が、魔法学園の方向を常に指し続けている。一体何に引きつけられているんだろうね」


『……世界の中心を指しているのではないか? もしくは、何かがあるのだろう。魔法学園に』


「魔法学園の方角は『水晶の針』でわかりますから、そこから考えれば帰り道もわかるということですね」

「この魔道具は各国に限られた数しか無いし、決まった国と行き来することしかできないんだ。もしすり替えられたりしたら、他の国に行ってしまうことになる」


 全て、千年前の記憶――アルスメリアが教えてくれたことだ。


 千年前も、講和の場に赴くために、白竜に乗ってこの雲海を越えた。アルスメリアは講和を申し入れてきた六皇帝に、返答と一緒に『水晶の針』を送り、各国の皇帝はそれを使って、中立地帯に赴いたのだ――その時点で、天帝国と他国の力関係は決定的なものになった。


 今もそうなのかといえば、状況は大きく異なっている。


 なぜなら、天帝国には現在皇帝がいない。アルスメリアは皇帝の座を傍系の親族に譲ったが、彼らにも皇帝の地位は身に余るものであり、貴族や民の反発を恐れて摂政という地位を選んだ。


 アルスメリアは『永久皇帝』となり、現在も在位しているという体になっている。


 千年前の天空宮は史跡として維持されるばかりなのに、今も彼女はそこにいるということになっている――神の如き存在として。


 俺は天空宮に行こうとは思わない。遠くから見るだけでも、彼女の魂魄がそこにあるとは感じられなかったからだ。


「兄様……緊張なさっているのですか?」


 カノンが俺の腕をきゅっと掴む。また心配をかけてしまった――考えが過去に飛ぶのは、そろそろ終わりにしなくてはいけない。


『もうすぐ結界を抜けるぞ』


 ティートが言ったしばらく後に、雲海が途切れた。


 そして見えたのは真っ青な空と、眼下に広がる海――いや、巨大湖の湖面。


 そちらの方向に向かって、俺たち以外にも騎獣に乗って移動している人々がいる。各国から集まった、魔法学園に入学する生徒たちだろうか。


「あれが、世界魔法学園……私達と同時期に試験を受ける人たちが、あんなに……」

『船に乗って移動している者もいるようだが……竜もいるか』

「ティート、竜と相性が悪いとか?」

『種族として、昔からの因縁だからな。しかし向こうも、急にこちらに攻撃してくるようなことはないだろう。非公式の戦闘は、入学試験の上で減点となるのではないか?』

「そうだと思う。先に騎獣たちが降りているところ……あれが魔法学園の、空から入るときの玄関かな」


 ――そのとき俺は、遠く北東の方向から飛んできた、一匹の竜に目を留めた。


 竜帝国の竜ではない。聖帝国の皇帝が代々乗り継いできた、聖竜。


 しかし乗っているのは皇帝ではない。聖竜の背中に載せられた輿こしの中にいるのは、一人の少女だった。


「……あれは……聖帝国の、皇女……?」

「兄様、こんなに遠くから見えるのですか……?」

『皇女かは分からないが、皇家の者である可能性は高い。聖竜に追従している翼竜は、おそらく近侍きんじが乗っているのだろう』


 聖帝国の皇族――そんな人物までが、この魔法学園に入学するのか。


 聖竜は高度を下げ、先に着陸態勢に入る。そこに割って入ろうとするのは、聖竜とは全く反対の、黒い鱗を持つ魔竜だった。


 何やら張り合うようにして、二頭の竜が空中で争っている。その魔竜に乗っているのは、

巻角を生やした魔族の少女――あの角の形は、見たことがある。


 魔皇帝と、その一族が生やしている角の形と同じ。それだけではなく、次々と集まってくる騎獣に乗っている人々が、かつて七国講和の席に集まった皇帝と、どこか容姿に近い部分を持っていた。


 今分かるだけでも聖帝国、魔帝国、獣帝国、竜帝国――各国の皇族が同時期に入学するというのは珍しくないのか、それとも稀なことなのか。


「……何か、とんでもないことになってる気がする」

「はい、竜同士で空中でじゃれ合いをするなんて、試験の前に余裕がおありですね」

『ロイドが自分で望んだことなのだから、腰が引けていてどうする。各国の皇族が集まっているなど、面白いことになりそうではないか』


 乗り気でなかったと思っていたティートが、今は一番前向きになっている。


 俺も驚きはしたが、魔法学園には七帝国全てから生徒が集まってくるのだから、こういった事態もおかしくはない。


 ティートが徐々に降下していく。騎獣の着陸のために設けられた広場には、やはり各国の皇族、貴族らしい人々が、次々に降りてきていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る