第九話 貴族の義務

 俺たちは屋敷に戻り、まずマリエッタさんに事情を話した。彼女は一も二もなくミューリアに報告を上げてくれて、ヴィクトールのことにも対応してくれた。


 マリエッタさんはヴィクトールをフィアレス家本邸に運ぶように手配したあと、再び当主の部屋に向かった。俺も志願して、ついていかせてもらっている。ミューリアとロズワルド子爵が会談を始めているとのことで、その場にまでは入れないとわかっていたが。


 当主部屋の前に着き、ドアをノックしようとする前に、マリエッタさんは何かに気づいたように手を止めた。


 カノンは他の侍女とともに別室にいる。今この廊下には、俺とマリエッタさんの二人だけだ。


「……本当なら、まだ幼いロイド様にお教えするには早いのでしょう。しかし、あなたはミューリア様の見いだされたお方。お母様が果たしている務めを、できれば知っておいていただきたいのです」


 その口ぶりで、部屋の中でどんな話がされているのかは想像がついた。


 護衛は政務に本来関わりがないものだが、命を狙われることも少なくなかった天帝を護る立場だった俺は、政争や謀略の渦巻く会合の場に、陛下を護るために数えきれないほど立ち会った――貴族社会も同じように、家同士の間で権謀術数が巡っている。


 養子とはいえ、ミューリアの息子として対外的に振る舞うことを許されている俺は、いずれそういった謀略渦巻くところに身を投じることになる。


 しかしフィアレス家の立場を盤石にしておけば、当面の憂いはなくなる。ロズワルド家がカノンを狙ってきた理由を知ることで、彼女を確実に護る手段も講じられるだろう。


「僕は、ミューリア母さまが今どんな話をしているのかが知りたいです」

「……かしこまりました。お咎めを受けることになったら、そのときは私の判断であるとミューリア様にお伝えください」

「分かりました。でも、僕は嘘をつくのが苦手です」


 そう言うとマリエッタさんは緊張をわずかに緩め、微笑んでくれる。しかしすぐに、瞳に静かな鋭さを取り戻すと、俺を当主部屋の隣室に案内した。


 主人の会話の内容を記録するのは従者の重要な仕事のひとつだが、主人と同じ部屋にいてペンを動かすというわけではない。この家では魔法の力を利用し、別室で記録するのが常になっている――これは大きな屋敷を持つ貴族だからであって、子爵や男爵の家には『記録部屋』は無いらしい。


「こちらの椅子にお座りください。どのようなお話が聞こえても良いように、深呼吸をしてから……内容によっては、私が耳をお塞ぎすることをお許しくださいますか」

「いえ、大丈夫です。こういうお話が書いてある本をいくつか読みましたから」


 天帝国の貴族社会で起きた事件を、登場人物の名をぼかして記した本――感動的な話や喜劇のようなものもあれば、悲劇とともに後世への教訓を書いたものもあり、純粋に読み物としてよくできていた。


「……どちらの本をお読みになられたか、よろしければ……いえ、今はそれよりも、ミューリア様のことがお気がかりでしょう」

「母さまは僕が心配しなくても大丈夫だと思います。でも……僕は、母さまが僕のいないところでどんなふうにされているか、それは気になっていました」


 俺は椅子に座る――椅子の前の机は敷布を外すと魔法陣が刻まれていた。樹齢の長い木は魔法陣を刻む材料として上質とされる。


 マリエッタさんが魔法陣に魔力を吹き込む。隣の部屋に対応する魔法陣があり、音が伝わるようになっている――使われている魔力の系統は『音』だ。音の魔力は人の感情に呼応して色を変えるとされており、今は青みを帯びている。


 青が意味する属性は『氷』――感情においては『抑制』。


 それは彼女が理性を強く働かせ、ある種の感情を抑え込んでいることを意味していた。


『我が息子ヴィクトールは、フィアレス伯領の未来を担う一翼。彼は自らの力を示そうと、気持ちを逸らせてしまった。親として遺憾に思います』

『当家のことを考えてとのことであれば、酌量の余地はあります。しかし、それでカノンに対して魔力試しを持ちかけるというのは、私情が過ぎるというものです』


 いつも穏やかなミューリア――聞こえてくる声も落ち着いている。


 しかし俺は、この声を聞いてよくロズワルド子爵が落ち着いていられるものだと思ってしまう。


 ――辛うじて抑えているだけで、彼女の心中は明白だった。俺も同じ気持ちだ――あろうことか、子爵は息子の独断としたのだから。


『カノン様は心優しい方。伯爵家の一員として戦われるには、魔力の系統も攻撃に向いているものではない。その点をヴィクトールが補うというのは、理想的ではありませんか』


 ロズワルド子爵――いや、もはや敬称をつける気も起きない。ロズワルドはまだわかっていないか、わざとはぐらかしている。


 ヴィクトールの魔道具が召喚した邪霊は、カノンを傷つける力を持つものだった。それを俺は、マリエッタさんを介してミューリアに報告している。


 時間はギリギリだったが、ロズワルドとミューリアの会談が始まる前に、マリエッタさんは書面をミューリアに届けた。それに目を通してもらえていたというのは、ミューリアの感情の動きからありありと伝わってくる。


『カノンの魔力は光の系統……いずれ貴族として、身を護るために必要な力も身につけられます。男性も女性も関係はありません、貴族は誇りのために戦わなければならない。そして何より、領地で暮らす民のためにも』


 ミューリアの声は真摯そのものだった。しかしそれを聞くロズワルドには、誠意など欠片も感じられない。


『ヴィクトールは、カノン様のことをお守りしたいと言っております。そのために……』

『そのために、カノンを傷つけてもいいということですか?』

『……それについてはミューリア様が今おっしゃった通りです。貴族は誇りのために戦わなくてはならない。例え少々の理不尽を強いられたとしても、カノン様がお強いのであれば、たやすく火の粉を払われることでしょう。そして、実際にそうなった』


 ロズワルドは伯爵家に反逆したと、あっけなく認めた。


 ――そして、それが大したことではないかのように、興奮ぎみに言葉を続けた。


『しかしミューリア様、あなたもまだ若く、カノン様も幼い。その二人を将来守る盾としてふさわしいのは、どこから拾ったのかも分からぬ子供よりも、血筋の明らかな我々であると思いませんか』


 ミューリアが黙って話を聞いているのは、彼女の慈悲深さゆえだった。


 これが彼女でなければ、ロズワルド子爵とヴィクトールに対する制裁を決め、話を打ち切っているところだろう。


『……あなたがたの考えは分かりました。我がフィアレス家のために、忠義を尽くした結果が今回の行為であると』

『その通りです。私もヴィクトールも、栄光あるフィアレス家の名に平民が傷をつけることを案ずるあまり』


 筋も通らず、大義もないロズワルドの演説は、そこで糸が切れるように途絶えた。


 隣の部屋にいても伝わってくる。ミューリアはただ、常に纏っている魔力をわずかに強めただけ――それだけで、ロズワルドの感情が恐怖の一色に染まる。


 ミューリアの桃色の魔力は、人間の感情に干渉する。普段は慈悲深く、時に相手を魅了し――そして、恐怖に陥れる。


『ミュ、ミューリア様っ……き、貴族間の私刑は、天帝国の法規で禁じられて……っ』

『これは私刑ではありません。ロズワルド子爵、あなたが正直に全て話してくれることを期待しましたが、この部屋に入ってきてからその口から出る言葉は言い訳と、都合のいい絵空事だけ……』


 ――フィアレス伯爵家当主、ミューリア・フィアレス。


 若くして伯爵となったのは、世襲によるだけではない。彼女の魔法の力が伯爵の座にふさわしいからこそだ。


 ミューリアとロズワルド子爵には、本来彼女が歯牙にもかけないほど力の差がある。それでも好きなように話させていた忍耐は、聞いているこちらも心配になるほどだった――しなくていい我慢をするのは、なかなか辛いものがある。


『ロズワルド殿。あなたの領地について、領民の増加、発展の度合いに関わらず税収が伸びないことについて、調査をさせてもらいました』

『っ……そ、そのようなことを……私のことを信用していなかったと、そうおっしゃられるつもりかっ……!?』


 息子と同じように、親も動揺すると忠誠を忘れるようだ。つまりロズワルドは、増加した分の税収について領地を統轄するミューリアに報告していない――それはミューリアが代表して納める帝府への税が、過小となっていたことを意味する。他の子爵家が正しく報告していても、連帯責任になる危険性があった。


 ロズワルドは自分の力を蓄え、伯爵家を切り取ろうとしていたのだろう。ヴィクトールがカノンに執着していたのは、伯爵家の娘よりもヴィクトールが強いと主張することで、自分たちの行為を正当化するためと考えられる。天帝国の実力主義を悪用する計略でしかないが。


 マリエッタさんにもミューリアの言葉は聞こえているが、驚いていないということは、彼女がロズワルド家の調査を行っていたと考えられる――と、彼女を見やると両腕を組んで嘆息する。


 従者としてははしたないと普段の彼女なら言いそうなところだが、マリエッタさんはミューリアの右腕としての役割も兼ねており、文字通りただのメイドではない。


『信用とは、一方通行では成り立たないものです。どちらかに心が通じていなければ、信頼していいのかを確認しなければならない』

『わ、私はっ……私はフィアレス伯領で最も領地を発展させている……帝府に納める税について、多少なりとミューリア様から口聞きを図っていただいても、おかしくはないはず……!』

『あなたは私を、仕えるべき主とは見ていなかった。そのあなたの罪について私が何かできることは、考えても見つからないでしょう』

『――つ、つけあがるな小娘がっ! おまえなど、先代亡き後に運良く跡を継いだだけではないか……っ!』


 マリエッタさんが動こうとする――俺も。それは、無視できないほどロズワルドの敵意が膨れ上がったからだ。


 だが、魔法陣を介して聞こえる声は止まり、隣の部屋も一度物音がしてから静かなままだった。ロズワルドをミューリアが昏倒させたのだ。


 力の差が大きければ、魔力にあてられただけで意識を失う。それほどの力量差をロズワルドがわかっていなかったのは、認めたくなかったからなのだろう――自分の半分の年齢であるミューリアが、自分より遥かに強いということを。


 しばらくして、扉が小さくノックされる。マリエッタさんが出てみると、そこにはミューリアの姿があった。


「……ご立派でした、ミューリア様。よく、抑えられました」

「やっぱり……ロイドも聞いていたのね。どうしてヴィクトールがあんなことをしたのか、あなたも知りたかったでしょうから」


 俺が話を聞いていたとわかっても、ミューリアは咎めなかった。


 それよりも、彼女は引け目を感じているように見えた――貴族として義務を果たすことが、時に苛烈であるということ。それを俺に見せたことに対して。

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