ーーー

走馬灯、あるいは白昼夢

 夢。


 残り幾許かの生を豊かにする暖かな幻。

 今、私が視ているそれは走馬灯、或いは白昼夢と呼ぶらしい。


 冷えた独房で夢を見た。


  ◇


「あらまあ、そんなに汚して。に素敵なお嫁さんが来るかしら?」

「来るーー!」

「そうだと良いわね。向こうで洗ってらっしゃい」

「はーい!……なあ、川まで走ろうぜ!服洗って来いってさ。俺がドン!って言ったらスタートだぞ!よーーい──」



「……お前、よその国の家督に母親面するなよ」


 元気よく駆けだす少年を見送りながら男が愚痴を零す。


「貴方が毎晩シャイだからでしょ?私はずっとその気なのよ」

「バカお前、子供の前で……その、悪かった。家に帰ったら靴を脱ぐもより先に明後日の予定を全部消すって約束するよ。ほらな、いつもこうだ。だから嫌だったんだ。早くその下品な嘴を閉じてくれ」

「それは貴方次第なのよ、可愛いヒト。ねえ、明日の予定は消さないの?今晩でも良いじゃない。私にも適齢期ってものがあるの」

「ほざけ。まだまだ先だろ?ほら、口──」


  ◇


「──口をどうすんの?」

「閉じるんだろ?指でムニッて」


 もう野山を駆けなくなったルイが机の淵を摘んでおどけてみせる。

 君の妹は途端に顔を顰めて毒を吐き始めた。


「うええ、キモすぎるでしょ……何でいきなり他人ひとサマの口触るの?エリーザ先生ってそういうの嫌いじゃん」

「うーん、そうでもなさそうだったけどな。ニコニコ笑いながら足とかベロ絡めてやり返してたぞ」

「ベロ?何故そこで舌が出てくるんだ。君の発言は矛盾しているぞ。だいたい……」


 ──ごほん。

 師範の咳払いに皆が静まり返る。


「……最初にはっきり言っておくが、全部聞こえてるからな。それと、ルナだったか。君は女だろ。どうして此処にいる?早く部屋に戻れ。ルイ、女と本人の前で生々しい話をするな」

「すいません、師匠せんせい。師匠があれからずーーっと上手くいってないっぽいから外堀埋めようと思って」

「余計なお世話だ」


 鐘撞き堂から時報が聞こえる。師範が分厚い本を持って立ち上がる。座学は苦手だとだる君を横目にヒバリ達が飛び立っていった。花とクリーム菓子とアコーディオンの水都・ピエトラ。君は此処で産まれて此処で死ぬべき人だった。


「今月の講義は『撤退』について。諦めるとか、逃げるとかの話だな。『撤退』はそう簡単にできる事じゃない。だが、しなくちゃいけない時が必ず来る。逃げた後の悔しい!って気持ちのやり場についても話すつもりだから、ヴァルデック、お前は特にしっかり聞くように。じゃあ始めるぞ──自分より遥かに強い相手。例えば、急にキレた俺が本気でお前らの腕を折るつもりで手を伸ばしてきたらどうする?言ってみろ、ヴァルデック」


「そのまま貴方の手を掴んで切り落とします」

退についての講義だって言っただろ。ルイ、お前は?」


って言って欲しいんでしょうけど、俺はそんな事できませんね。俺に逃げられた師匠がもっと怒って他の誰かの腕を折るかもしれない。ソイツは無関係な通行人なのに、ですよ。可哀想じゃん。腕の一本くらい大人しく折られます」


「まあ、悪くない考え方だが。お前は自分の師匠を何だと思ってるんだよ?」

「え?そりゃ勿論、可愛いヒ──」

「よし、分かった。もう黙ってろ。じゃあ次、そこのお前……」──

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