第3幕 なんちゃって

 そろそろ昔話をしよう。


 少し前まで俺はサーカス一座の団員だった。


 Hanakago Smile Circus。両手で数えられるほどしかないという、日本の数少ないサーカスのうちの一つ。日本全国津々浦々、数カ月毎に渡り歩きショーをして稼ぐ団体。そんな団体のいちパフォーマーをしていた。


 そこでは親父が団長をしている。代表取締役、いわゆる社長はまた別にいたりするが、ともかく親父が団長だ。公私ともに団員の指揮を取ったりしている。どうしようもないクソ親父だが、サーカスだけはそこそこ出来るのだ。


 そして不祥の息子がこの俺、花籠光宙。へその緒で綱渡りしていたとかおしゃぶりでジャグリングしていたとか、周りの人達が心底つまらない冗談をよく言っていたが、そのくらい物心付く前からずっと、俺はただサーカスにだけ触れて生きてきた。お手玉やトランポリン、フラフープに車輪やブランコが俺の遊び道具だった。教えたがりの団員せんせいたちなら沢山いたし。


 だから、当然のようになんの疑問もなく、自分はステージに上がると思っていたし、気付いときにはステージに上がっていた。

 ステージでは基本的には高もの、高所芸を中心にやっていた。具体的にいうと、空中ブランコや綱渡りが俺の主な仕事だった。それ以外にもクラウン(本当は少し違うのだが分かりやすく言うならピエロ)やジャグリングなんかもたまにやっていた。

 サーカスは芸の一つも持っていないとやっていけないが、一つだけでもやっていけない。プログラムの組み方だったり誰かが立てない時は穴埋めするのも仕事の一つだ。


 他にも大体30人くらいのパフォーマーと、それとそれ以上の数の、家族や裏方たちがいた。人数は安定しないが大体百人くらいが俺の仲間だった。


 そんな大きな群れが、大きなテントと大量のコンテナをトラックで引っ張って、日本全国渡り歩き、みんなでサーカスしていた。毎日毎日サーカスしては食ってはしゃいで寝て、起きたらまたサーカスしてばかりいた。


 それが俺の生まれてから中学生くらいまでの歴史。


 そんな転々としていた中の一箇所が、母さんの地元であるこの街だ。それこそ中学の頃だ。久しぶりの里帰りも兼ねて、いつものようにサーカス商売をしていたときに、どうやら深山は観に来ていたらしい。


 らしいというか、観に来ていたと確信せざるをえなかった。写真がそれを物語っている。正直全く覚えていないけど。コラだったりしないだろうか。いや、そっちの方が怖いか。


 ショーの休憩時間や終わった後に、ファンとの有料撮影の時間がある。正直なところ稼ぎ時である。一枚取るたびに少しだけ給料に色が付く。結構好きな時間だった。ちびっこや女の子にちやほやされて美味しい思いを出来る時間だと認識していた。

 けれども、美味いだけの話はないんだなぁ。


「あなたのサーカスのファンなんです」


 そう言ってくれて、こんなにありがたい話はない。自分と同世代の人間がファンしてくれるなんて光栄なことだ。人気商売なサーカスで、固定ファンというのがどれだけ大切か。ファンを大事にしないパフォーマーなどいない。

 でも、今の俺は芸の無いただの一般人だから、苦しい。もうあの舞台から降りたのだ。


「ずっと応援してました!」


 やっと言えた、と嬉しそうに笑う。

 いつも俺と話すときに見せるのとよく似た、でもそれよりもなお輝いた顔で。


 だからこそ、その真っ直ぐな目が辛い。


 ファンを信じきれない自分を思い知る。ファンやお客様が俺は一番怖い。厄介な部分を知ってしまったから。


 なんというか、要するに俺はサーカスの看板娘といい感じだったのだ。

 自分で言うのも何だが俺は、若い女の子たちに人気があった。可愛い女の子や綺麗なお姉さまなんてのは当然好きでファンサするのさえ楽しかった。

 看板娘は看板娘なだけあって、驚くくらいに顔が整っている。こんなにも可愛くて可憐で美しくて綺麗な少女がいるなんてとサーカスに来た者皆が驚き見惚れる。まあ見てくれだけは世界一と言ってもいい。見てくれだけは。ならば水が高いところから低いところに流れるように、地面に落ちた砂糖にはアリが集うように、当然のごとく彼女は男性人気が凄まじかった。それに彼女はSNSや動画配信も精力的に行っていたのでいっそうのことだった。


 そして、そういう人気商売をしてしまうと、もはや彼女に求められるものはアイドルとなんら変わりなかった。

 だというのに俺は気付いていなかった。あくまでパフォーマーとして人気があると思っていた。


 ところで俺も思春期の男真っ盛りだったわけで、生まれたときから一緒にいる相手と言えど、とんでもない美人の同世代相手とあらばどうしても気持ちが揺らぐことは何度かあった。好きな時期と丁度いい距離感の時期を何度か繰り返した。

 その時は、その間くらいの繊細な時期だった。中ニだよ、仕方ないじゃないか。関東に来たからって、調子に乗ってディズニーではしゃぎすぎてしまったのも悪かった。

 パレードを二人で見ていて、何故だかいつの間にか気付けばそういう雰囲気になっていた。そこでおイタしようとしてるところを、運悪くファンに見つかってしまった。


 それからは地獄だった。


 サーカスアカウントへの問い合わせから始まり、画像付きでツイートされ引用拡散で悲憤の嵐。擁護派と批判派で紛争。自分と彼女は名指しでボロカスにこき降ろされていた。エゴサしてちょっと泣いた。

 そして勿論ネットから現実へもそれは波及して荒れた。観客同士での諍い。俺への野次。撮影会のときに直接文句を言われた。パフォーマンスをしていても、客の反応が今までとは違うものを感じて辛かった。

 それに何より、自分のくだらないやらかしで、他の団員にも迷惑をかけたのが一番辛かった。


 それと重なるように母の容態が悪くなっていったのもあり、俺はみるみるふさぎ込んでいった。

 そして遂に耐えきれなくなり、サーカスを逃げ出して今に至る、とさ。



 もうね、アンチも反転アンチも、反転アンチに喧嘩売るファンもコリゴリだ。




 だから少なくとも今日に至るまで恋愛だとかファンだとかに近づきたくないという気持ちがずっとあった。

 今回のこともありがたいとは思うけれども。だからこそ、応えられない期待はこんなにも重い。応えたいからこそ、なお。俺がステージに立つことを見ることは出来ないのかもしれないのだ。

 だから、ありがとうとも、頑張るとも、頑張れないとも言えなくて。


「ファンというかストーカーでは」


「違うっ!!!!」


 確信を突いてみた。だからって、そんな嘘だっみたいに言わなくても。


 おどけたつまらない冗談で、またその場の雰囲気が緩む。アニメだったらBGMがギャグ系に変わるところ。

 とあるゲームで言っていた。なんちゃって症候群。茶化さないと居心地が悪くなる病気。俺はきっとそれだし、この土地はそれを許してくれる。だから居心地が良くて、今もまだここにいるのかもしれない。


 キンコンカンと予礼の鐘が鳴り響いている。そろそろ戻らないと。


 それはそれとして深山がストーカーじゃなくて良かった。俺の入学する学校調べ上げたのかと若干疑っていた。なんなら今も疑っている。どおりで最初から親しげでよく話しかけてくれるなぁと思ってたんだ。

 ストーカーなら全ての疑問が氷解する。否定する根拠も本人の言だけしかないし。


「厄介ファンと一緒にしないで。私は良識ある弁えファンですぅ!!事情あるのは分かってたから、ちゃんと何も知らないいちクラスメイトとして今まで接してきたじゃないですか!」


 その言葉と結びついて想起される一学期。


 俺の自己紹介中に突如倒れたクラスメイト。

 自己紹介中に迷惑をかけたお詫びと言って飴を渡してきて以来、何故か毎回飴を渡してくるクラスメイト。

 偶然身体がぶつかっただけで鼻血を噴き出すクラスメイト。

 何かにつけて普段の過ごし方を尋ねてくるクラスメイト。

 身体測定の結果を何としても聞き出そうとしてきたクラスメイト。

 シャンプーは何を使ってるか聞いてきたクラスメイト。

 体育の着替えの時間、女子が出ていく前に着替えを始めてしまうと必ずどこかからの視線を感じる。


 頭にハテナマークが浮かぶ。


 「……弁え?」


「弁えてたでしょうが!まったくもう、失礼しちゃいますわ。それでは私そろそろお暇させていただきますわ。ごきげんよう」


 立ち去ろうとする深山の腕を掴む。全く欠片も自然さがない退出だった。


「弁えてるなら写真消してから帰れ。本題を置いて行くな。いちクラスメイトをロック画面にするな」


「……弁えないファンなら消さなくていいですか」


「弁えろ」


「はい……」


 ようやく観念したのか、ついに折れた。目の前でロック画面を変更させる。画像は絶対消さないと目を血走って拒否してきたので、それはこちらが折れた。だって、さもなくばここで今ツーショットを撮れと要求してきたんだもん。

 ロック画面は、データフォルダに山のようにあった猫の写真が代打として選ばれた。それだけ猫が好きなら最初からそれでいいだろ……。


「ほら、そろそろ行くぞ」


 本礼まで時間がない。早足で歩いていると、後ろから声を投げられた。


「もう、飛ばないの……?」


 足は止めない。退屈な授業が待っているのだから。


「飛べないんだよ」


 届かないように、小さな声でそう呟いた。





 こうして俺は、なんやかんやあったが深山のロック画面を変更させることに成功した。


 翌日、二日続けて朝早くに登校し、スマホを没収しロックをはずさせると、アプリが並ぶその背景画面に、見覚えのある写真が設定されていた。


「ロック画面じゃないから」


 殴った。いや、そんなグーでフルスイングはしてないけれども。頭を軽く叩いた。

 意味が無いのを忘れていた。

 殴られて、ある意味一番厄介なファンがとても嬉しそうな表情を浮かべたとき、自分の敗北を悟った。


 やっぱりファンなんてろくなもんじゃない。

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