第9話 過去編 【室町時代 山城国 安倍有重】其六

 有重と頼子が書庫に入ると、相変わらずの匂いが出迎えてくれた。


「何らかすごひ匂いね」

 鼻をつまみながら話すので、頼子の言葉も変な感じになっている。

「これでは調べ物の時に困るから、今度改善策を進言してみるよ。今回は申し訳ないけど我慢してほしい」

「もう。しょうがらいなあ。でも、面白い書のためらもの、私がんばる」

 そう言って、頼子は書庫へと軽やかに入って行った。

 匂いよりも好奇心の方が勝ったのだろう。さすがは本の虫。


 有重が彼女と知り合ったのは、まさに本のおかげだ。

 昨年のことだ。

 有重は陰陽寮の職員になるため、猛勉強する日々を送っていた。成績もかなり優秀であったことから、名家(めいか)で正三位の日野資教に呼び出され、遠縁の息子に源氏物語を教えてほしいと言われた。その時、原書の写しを貸してくれたのが、裏松家の遠縁の頼子だ。彼女は聡明で、有重がどうこうしなくとも、訳は完璧で、ほとんどの文章を誦じれるほどだった。歴史や数字にも強いので、どこの部署でも欲しい人材だろう。

 その学識に有重は惚れてしまい、内侍司に勤める事が決まっても合間合間に会いに行っているのだ。彼女も追い返さないので、それなりに自分を気にってくれているのだろうと勝手に思っている。

 

「私、こっちを見ていい?」

 頼子は、書庫を一通り回ってから、奥にある地味な本棚を指差した。

「ん?そっちは、年代的にも内容的にもなさそうだけど」

「でも、うまく言えないけど、何かがありそうなのよね。いいでしょ?」

「まあ、頼子がそこまで言うならお願いするよ。私は逆側を見ているから何か見つかったら呼んでほしい」

「うん。分かった」

 頼子は目をキラキラさせて、その本棚へと突進していった。彼女の原動力は知的好奇心だ。今回のような怪異に興味があるのかは分からないが、知らないことを調べるのは楽しくて仕方がないだろう。


 しばらく、自分の担当する書棚を調べていると、陰陽寮の出納帳に当たった。

 一冊取り出して見てみるが、普通の出納帳で、紙に幾ら、修繕費に幾ら…等々陰陽寮の運営に必要な経費の変遷が数百年の単位で並んでいる。

 有重は、その出納帳を本棚に収めると、何か収穫がないかと幾つか取り出して読んでみた。

 延暦、文治、建久と時代を追って見ていくと、一つ面白い傾向があった。

 陰陽寮には様々な支出があるが、怪異に対する支出が時折跳ね上がるのだ。有重はその年に何があったのかを調べることにした。一般的に怪異に対する支出と言っても、本当に怪異退治に使われる事は少なく、一般会計に乗せにくいものを怪異として処理しているのだ。その事を考えれば、怪異予算が多い年の跳ね上がり方は異常だ。


 陰陽寮の歴史をパラパラとめくっていると、頼子が隣にやってきた。手には何かの書物を持っている。

「ちょっと、そんなところで何面白そうなもの見ているのよ!!私も見たい!!」

 怒る所がそこかと思うが、頼子の場合は、一般の人間と怒るポイントがまったく違う。

「ああ、すまない。一緒に見よう」

 頼子はキッと有重を睨んだが、その歴史書を覗いた瞬間、期限が直ったようだ。

「わあ。すごーい。すごいよ、これ」

 すごい勢いで本を奪い取ると、有重に正座させ、頼子は膝に座った。頼子が持ってきた書物は床に置き、陰陽寮の歴史の書かれた書物の頁を捲っていく。こうなるともう誰にも止められない。有重も立つことを諦めた。彼女が一番集中できるのは、有重の膝の上なのだ。

 有重は、しばらく気が済むまで読んでもらうことにした。頼子は、有重の膝の上で鼻息荒く文字を追っている。

「ふーん。これは新事実ね。なるほど。道鏡の件はそんな事情が…そうよねー。やっと辻褄があった。ふんふん。やはり饒速日の血を継いでいる道鏡なら…へえー」

 どうしてこう女性というのは、情事が絡んでいそうなことが好きなのか…と思わずにはいられない。ただ、これをみると、情事というよりは天皇家の血筋に関する事件と言え、確かに面白いと言える。

 頁が進むと、丁度、有重が読みたい頁になった。

 貞観三年。太宰府に怪異が出たようだ。倉庫修理の為、神社の木を伐った祟りで大宰大弐清原岑成が死去。同六年。肥後国阿蘇郡建磐龍命神霊池や比売神嶺に怪異が出た。とある。基本的には太宰府の陰陽師が鎮めたようだが、前者の怪異は中々大きな怪異であったようで、陰陽寮からも人を出したようだ。

 貞観三年と年代が一致する。

 なるほど。太宰府に人を出したとすると相当の費用があったはずだ。先ほどの支出はこれか。そうなると、同じようにどこかで怪異が出た時に陰陽寮の支出が多くなるはず。そして、そこに責任者の名前が載っているのも重要だ。怪異と相対している人物が誰なのか分かるからだ。


「頼子。私に何か用があったのではないですか?」


 そろそろ聞いてもいい頃だろうと、私は興奮しながら歴史書を読んでいる頼子に声をかけた。いきなり集中を断絶すると、機嫌がすこぶる悪くなるのだ。

「ん?ああ。そうだ。有重さんがそんな面白そうなものを読んでいるのが悪いんだよ!!」

 何だか自分が悪くなっているが、いつものことなので謝っておく。

「すみません。次はちゃんと頼子を呼んでから読みます。で、何を言いに来たのですか?」

 頼子は、膝の上で器用に首を横に回して、有重を見た。顔が近いし、息がかかる。上目遣いの顔も可愛い。

「あの本棚には、陰陽寮の道具の注文書があったのよ」

「ふむふむ」

「それと誰に何を注文したのかが書かれていてね、その九尾の狐の時も結構な品が注文されていたの。で、これを見て」

 頼子は持っていた本をパラパラ捲り、ここだここだと言いながら有重に見せた。

 そこには、驚くべき発注が多数載っていた。

「こ、これは…」

 驚きすぎて言葉が続かない。やはり頼子は天才だ。よくぞこれに辿り着いた。

 目を下ろすと、どうだと言わんばかりの頼子の顔がある。

「ふふ。やはり、『獣狩り』は容易には創れませんね。それが分かっただけでも収穫です。頼子ありがとう」

「まだまだ。これだけじゃ満足しないでしょ?」

「そうですね。では、私も調べたい場所があるのです。一緒に行きましょう」

「うん」

 かつて陰陽寮は、『獣狩り』の能力を恐れ、その歴史を完全に消してしまった——と思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。次代で必要になった時のために、巧みにヒントを残してくれているのだ。


 ただ、その封印を解くかどうかは、よくよく考えなければならない。


 有重は頼子と手を繋いで、先ほどの書庫へと向かった。

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