第7話 過去編 【室町時代 山城国 陰陽寮 安倍有重】其之四

 陰陽寮のお偉方に、九尾の狐対策の策定を押し付けられた安倍有重は、気もそぞろに自室に戻った。

 建物の端っこにある狭い部屋には、机と椅子と籠が一つあるだけで他には何もない。

 替えの服を入れている籠の上には、布団代わりのござが畳まれ、枕と共に置かれている。殺風景極まりない部屋ではあるが、その何もなさが自分の立ち位置に似て、有重は密かに気に入っている。

 有重は、使い古されてミシミシと音を立てる椅子に座った。

 そして、天井を見た。

 こうして、天井の木の年輪を見ると、様々な考えが浮かび、渦を巻いて一つになっていくのだ。


 有重は、さてどうしようかと思いを巡らした。


 最も困った事は、今の陰陽寮には、大きな怪異と渡り合える人材がいない事だ。小さな怪異ですら祓う事はほとんどないのだ。それが分かっているからこそ、陰陽頭は、最も下っ端の直丁である自分にこれを押し付けたのだ。責任逃れというよりも、本当に打開策が頭に湧かないのだろう。

 ここが今の陰陽寮の現状を物語っている。

 最近は卜占が見直され、有重の遠い兄である安倍有世が従三位になったように少し盛り返してきてはいるが、根本的な人材難は相変わらずだ。

 もちろん、時間の管理、暦の管理の人材は豊富なのだが、怪異の類に詳しい人材は完全に枯渇している。では、自分はどうなのだ?と有重は考えた。

 自分は、霊感が強い訳でもなく、怪異の名前や特徴に特化して詳しい訳でもない。

 しかし、物事を解決する為に大きな画を描き、それを実行に移せるまでに現実的に落とし込む事には自信がある。適材適所を充てがうのも得意だ。

 そういう訳で、有重は自分が暗躍する事で、現実的に九尾の狐を倒せる行程を考える事にした。

 策を考えるだけなら、他の人間には絶対に負けない自信があるのだ。何故なら、有重は安倍姓の縁故で陰陽寮に入ったのではなく、実力で途轍もない倍率の登用試験に打ち勝って陰陽寮に入ったからだ。


 さて、先ほどの考察通り陰陽寮は人材難だ。しかし、実は市井の人材も枯渇気味なのだ。

 その理由は様々だが、一番大きいと思われるのは、九尾の狐が退治されてからの二百年もの間に大きな怪異が姿を現していない事にある。人間とは面白いもので、危機に瀕すると、それに対応した人材が出てくるのだ。そして、その人間が事態を解決して、世の中を一つ前進させるのだ。


 反対に、危機がない状態では、それなりの人材しか出てこない。


 有重は、それは日本の文化に多少問題があるからだと考えている。

 歴代天皇は穢れを嫌い、法律にもそれを反映させた。平たく言えば、皆が皆仲良くして争いを極力起こさない文化、他人に迷惑を極力かけない文化———要するに、空気を読むという極めて特異な能力を持てという法律を作ったのだ。その事自体は非常にいい。しかし、そういう文化であると、平時では突出した能力を持つ人材は浮いてしまい、凡庸な人間の中に埋もれてしまう。結果、大きな成果をあげにくいのだ。

 しかし、緊急時は違う。人間切羽詰まると、四の五の言っていられなくなる。そうなると、突出した能力の人間の意見が取り入れられる確率が高くなる。突出した人物の意見は、凡庸な人間には理解し難い事が多いが、人間、後がなくなると、それでいいからやってみろとなる。そうなると、能力のある人間は、水を得た魚のように活躍するのである。


 そう考えれば、自分のやる事は一つだ。この時代で最も怪異に対して突出した人間を見つける事だ。そして、その人材の手助けを完璧にこなすことで、九尾の狐を討つのだ。


 有重の心は決まった。


 しかし、一つだけ引っかかるものがあった。それは『獣狩り』という組織の事だ。

 有重もその噂というか伝説は、なんとなくだが聞いた事がある。どんな怪異もものともしない超人で、九尾の狐との戦いでは、見た事もない妖術を使い、伍して戦ったという。そんな人間が本当にいたとでも言うのであろうか?

 いや、あの有世と陰陽頭の会話から察するに、本当にいたのだ。

 まずは、そこを調べるところから始めようと決め、有重は、膨大な記録が眠る書庫へと足を運んだ。

 

 書庫へ一人で行くもの効率が悪いと思い、同じ直丁の先輩である土師勤介に帯同をお願いした。勤介は、巻き添えを喰って責任を負いたくないので全く乗り気ではなかったが、一応付いて来てくれた。

 目的は『獣狩り』がどんな人材であったのかを知る手がかりになる資料の発見だ。

「おい、有重。そんな資料そこにあるのか?」

「あまり期待はできません。でも、ないとも言えません」

 盛大なため息をつくと、勤介は「取り敢えず見てみるが、俺も仕事があるから少しだけだからな」と牽制してきた。

 この男と会話していると、陰陽寮の人材は地に落ちていると思わざるを得ない。


 有重と謹介は、すぐさま書庫へと向かった。


 過去の膨大な資料の眠る書庫の前に立つと、過去の匂い——即ち埃とカビの匂いが鼻をついた。

 勤介の顔が歪み、入る前から帰りたいという顔がこちらを向いた。

「開けますよ」

 そんな勤介を無視して、有重は、鍵を開け、書庫の扉を引いた。

 二人の目の前に、膨大な書物の列が広がった。ある意味お宝の山で、これを読み耽りたい気持ちも湧いてくるが、今は調査に集中しなければならない。


「では、入りましょう」


 有重と勤介は、書庫の中へと進んだ。

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