第5話 過去編 【室町時代 山城国 陰陽寮】其之二

 陰陽寮は京都にある役所の一つで、別て有名な存在であるが、世間が思っているよりも人数が少ない組織だ。

 室町時代の天皇家の影響力を考えれば仕方のない部分もあるが、それでも卜占が重要視され、陰陽寮は天皇家にも足利家にとっても必要な部署として認識されている。


 初夏とはいえ早朝はまだ寒い。

 京の都は盆地の為、暑さだけでなく寒さも溜まりやすい。そんな夜も明けきらない京の街の南門が勢いよく叩かれた。

 眠さに襲われながら寒さに耐えていた夜当番の門番が、迷惑そうに顔見用の小さな窓を開けた。そこには、早馬で来たと思われる馬借の男が顔を汗まみれにして立っていた。

「き、緊急の連絡だ!!」

 門番は、眠い目を擦りながら、その急使を上から下まで見た。

 どこから来たのかは分からないが、京まで相当急いで来たと見え、手も顔も泥に塗れていた。連れの馬も、ふしゅぅふしゅぅと荒い息を頻繁にしている。それでも、大都市である京の門というものは簡単に開けてはいけない。

「ふむ。まだ門を開ける時間ではない。開くまでしばしそこで待たれよ」

 彼がどんなに急いでいたとしても、確実に信用できる者なのかを確認しなければ、京には入れられない。入れたが為に街が燃えたなどという事にでもなれば、自分の首が飛ぶし、恐ろしく沢山の死人が出る。

 身分を照会する人間が来るまでは、どんな人物であれ外にいてもらうしかない。


「では」と言って、門番は会話用の小窓に手をかけた。

 小さな窓が閉められそうになったので、早馬の男が早口で捲し立てた。

「鎌倉からの伝令だ。至急陰陽尞に通してくれ!!」

 小窓を閉めながら、迷惑そうな顔をした門番は、早馬の男に言った。

「悪いが、規則というのは守られるためにあるのだ。それに、何だ…陰陽寮?そんな部署に早馬が来るなんて聞いたことがない」

 小窓をパタンと閉めた門番に、伝令を持ってきた男は苛立って声を荒げた。

「門を開けないと後悔するぞ!!」

 門番は馬借の言葉に気圧されたというか、何か悲壮感のような物を感じ、渋々そっと小窓を開けた。

「そんなに怒鳴らないでくれ。規則だと言っている」

「もちろん規則は分かる。しかし、その規則にも例外というものがある。これを見ろ」

 早馬の男は、体に付けた風呂敷から書状を取り出し、小窓の際まで持ち上げ、その表面を門番に見せた。

 書状には紋が押してあった。門番の見間違えでなければ、これは足利二つ引きだ。事なかれ主義の門番もこれを見ては考えざるを得なかった。

 鎌倉の足利氏からの早馬であるならば、通さない訳にはいかない。

 門番は必死に考えた。流石にこの紋は捏造できないし、そんな事をしたとすれば、その者は即刻彼岸に行く事になるのは目に見えている。そして、この紋の手紙を持つ者を信用せずに通さなかったとなれば、彼岸に行くのは当然『自分』だ。


 こうなれば、何が起ころうと通した方がいい。


 馬借が足利二つ引きの文を持っていたと証言すれば死ぬことはないだろう。門番は冷静な判断力を失っていたが、この紋を見た以上通さない訳にはいかなかった。

「しばし待たれい」

 門番は部下に、足利二つ引きの紋の書状を持った男を緊急に通す旨を伝え、緊急用の小門を開けるよう指示した。

 門を引く縄がゴリゴリと車輪を擦る音がして、人一人が通れる小さな入り口が現れた。

 馬借の男は、門番に頭を下げると、「かたじけない。感謝する」と謝意を伝えた。「いや、鎌倉公からの伝令ならば、誰でもこうするよ」と文句の言葉を飲み込み、早く行ってくれと願った。


 早馬は、文字通り風のような速さで京の街中へと消えていった。


 あれだけの馬を使うのだ。余程の事だろう。門番は、部下に小門を閉めさせながら、次からは早馬の対応に気をつけようと、もう一度京の街を眺めた。


 早馬は、脇目も降らず御所近くの陰陽寮へと向かい、飛ぶようにして入った。


 半分居眠りをしながら統計を書き写していた安倍有重は、玄関の方に人の声を聞いた。宿直時に尋ねてくる人間など今まで見たことがなかった。

「な、何事か?」

 有重は、馬も繋がずに陰陽寮へと入り、誰か誰か!!と叫び続けている馬借の対応へと玄関先へ向かった。

 馬借は有重を認めると、汗も拭かずに一気に間を詰めた。

「陰陽寮の者ですか?」

「勿論そうです」と頷く。

 まだ陰陽寮に所属したばかりで、直丁(様々な雑用をする役職)という一番下っ端の役職ではあるが、陰陽寮の一員には違いない。

「これを」

 有重は、馬借が差し出した書状を受け取った。書状には足利二つ引きの紋がある。これは只事ではないという予感が迸り、書状を持つ手が少し震えた。

 馬借は息を切らしながら「すぐさまそれを読んで、対応してくだされ。日本の存亡がかかっております」と、とんでもないことを言った。有重は本当に腰が抜けそうになった。


 い、いや待て。焦るな。


 ふと、冷静に考える。彼は書状を運ぶ場所を間違えたのではないか?何しろ、日本の存亡がかかるような書状が陰陽寮に来るとは考え辛いからだ。

「失礼ながら、一つ質問をお許しください。この書状の先は本当に陰陽寮で間違いありませんか?室町ではありませんか?」

「いいえ、陰陽寮で間違いありません。私は鎌倉公方直々にこの手紙を預かりました」

「し、承知致しました」

 鎌倉公方から預かったとなれば、この後に及んで間違いという事はない。これはすぐにでも陰陽頭に持っていくべきだろう。


 いやいや。これは、しかし———と有重は頭を最大限に働かせた。


 まずは、従三位の公卿にまでなり、義満公の覚えめでたい安倍有世に持っていくのが安倍家としての筋かもしれない。何しろ、当時は失脚したとは言え、有世も三十年前はその陰陽頭を賜ったのだ。


 有重は、馬借を陰陽寮の客間に連れて行き、休むように言うと、近くの安倍有世の屋敷へと駆け込んだ。そして、出てきた宿直の役人に事の重要性を大げさに話して、恐れ多くも従三位の有世へこの書状を今すぐに読むようにお願いした。

 宿直の役人は渋々頷き、屋敷の奥へと消えた。

 しばらく玄関先で待つと、奥からドタドタと足音がして、寝巻き姿のままの有世が玄関まで走ってきた。

 やはり只事ではなかった。ここに書状を持ってきたのは正解だったようだ。

「お前!!名前は?」

「はい。安倍有重と申します」

「はあ?うちの血筋か。聞いた事ないけど。まあ、良い。この手紙ここへ持ってきたことを全力で褒め称えよう。夜が明け次第、陰陽寮にて会議を開く。お前は陰陽頭、陰陽助、陰陽大充、陰陽少充、陰陽大属、陰陽少属に史生までを時間までに集めよ」

 また無茶なことを言うが、皆、従三位の言う事なら従うだろう。

「承知致しました」

「ふむ。ではまた陰陽寮でな」

 そう言うと、有世は野心で一杯の目を輝かせ、お付きの役人とドタドタと屋敷の奥へと走っていった。

 有重は、有世がこれほどの熱血漢だとは思ってもみなかった。人間、会ってみなければ分からないものだ。


 さて、私もやることをやらないといけないなと思い、有重は間も無く夜が明けそうな京の街を走った。

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