第5話

 学校と部活に慣れてきたころ、はじめての試験、中間試験が近づいていた。一週間前からすべての部活が休みになる。正式な活動ではないけれど、茶華道部の集まりも休み。いつもより早く愛音ちゃんと帰る。

 ドサッ。

 わたしたちは横断歩道もない小さな交叉点をわたっていた。一本奥の、あまり人通りのない川沿いの道のほうから聞こえたようだった。交叉点から見てもなにもない。

 愛音ちゃんと顔を見合わせる。

 奥の道にむかって曲がってみる。道は川にぶつかって左右に分かれる。突き当たりは川と道路をへだてるコンクリートの壁だ。

 突き当りを折れたところにカバンが落ちているのが見えてきた。中学校の指定のカバンだ。さらに突き当りに向かって進む。カバンのすぐ近くに、男の子も落ちていた。いや、尻もちをついて倒れていた。あー、この男子が倒れてカバンが道路に落ちた音が、さっきわたしたちに聞こえたのだなと思う。

 日当たりがよくてあたたかだった。

 突き当りまでくると、尻もち男子の奥に女子が三人立っているのがわかった。三人の女子は、わたしたちを睨んでいる。

 気の弱そうな男子だ。尻もちをついているのは、三人の女子のだれかに突き倒されたからだろう。

 わたしは足がふるえた。愛音ちゃんの足もふるえていた。握りしめた手もふるえていた。わたしは嫌な予感がして仕方ない。

 愛音ちゃんは男子のすぐ横に歩いていき、見下ろす。

「いま、何を感じてるの?」

 男子は愛音ちゃんの言葉を理解することができない様子で、ただ愛音ちゃんを見上げている。

「頭にこないの?腹が立たないの?それとも暴力に負けて、仕方ないと思ってるの?」

「ぼくは」

「女子三人。たったそれだけ。あなたがその気になってかかれば、彼女たちだって痛い思いをしたくないから、好き勝手することはできない。そうじゃないの?」

 愛音ちゃんが、別人のように話し続ける。

「先生にいわれるがまま、親にいわれるがまま、この女子三人にされるがまま。あなたは人形なの?心はないの?腹をたてる主体はないの?」

「でも」

「頭にくる、腹が立つというのは考えることではないでしょう?自然と湧いてくる感情。感情を刺激されることがなかったのね。感覚が鈍くなってしまったのでしょう?これからは、よろこびなさい、怒りなさい、悲しみなさい、楽しみなさい。こんな女子三人くらいの暴力で負けてどうするの。教師と戦えるの?大人になって、上司と戦えるの?国や汚い人間たちと戦えるの?まずは怒りを覚えることね」

 愛音ちゃんは、上級生らしい女子に向かった。たぶん足がふるえている。怒りで。

 女子三人は、愛音ちゃんが正面に向きなおると一瞬ひるんだようだった。それでも、リーダー格の女子が愛音ちゃんにつかみかかってきた。愛音ちゃんは、相手の顔を横から蹴り払った。

 のこりの二人がいっぺんに向かってきたところを、するりと横に交わして一人の背中を蹴飛ばす。蹴られた人は、わたしの横の川と道路を隔てるコンクリートの壁に頭からぶつかりそうになり、頭を手でかばって壁に激突した。

 のこる一人が体勢を立て直してつかみかかってきたとき、愛音ちゃんは相手の腕をひねりあげて投げ飛ばした。

 わたしは落ちているカバンを拾い上げて、まだ尻もちをついたままの男子に押しつける。

「カバンをもって、早く帰って」

「ごめん」

 男子は慌てすぎてころびそうになりながら帰って行った。

 愛音ちゃんに投げ飛ばされた人は、道路に四つん這いになってゲホゲホいいながら苦しそうにしているけれど、たいしたことはない。

 わたしの近くに倒れた人は、腕を押さえて痛がっている。腕をつかんでも大丈夫そうだ。骨は折れていない。頭をかばったときの手首の傷から血がにじんでいる。打撲と擦過傷だ。皮がめくれて痛そうで、顔がゆがむ。カバンから絆創膏をとりだして渡す。

 横っ面に蹴りをもらった最初の女子は倒れこんだまま、まだ気がつかない。これは救急車を呼んだ方がよいか。大ごとになってしまった。

 わたしはずっと足がふるえつづけていた。怖いと思った。カバンをおろして携帯電話を探した。

「あ、気がついた」

 愛音ちゃんが声をあげる。

「救急車呼びますか?」

 わたしが問いかけても、本人はなにがあったかわかっていない様子だ。

「だれ?」

 名前を答えてもわからないだろう。

「自分の名前いってみて」

 わたしがあげた絆創膏をまだ手にもって、仲間の女子が聞く。わたしが質問事項をあげて、絆創膏の子が聞く。見当識はだいたい正常のようだった。視力も大丈夫。立ち上がって、片足立ちもできた。でも、すこしまえからの記憶はなかった。

 脳震盪だ。

 救急車はやめてくれというから、必ず病院に行かせるように二人の女子にも念を押して、そのまま帰した。


 わたしたちは、通学路に復帰した。すこしゆくと、小さな公園がある。

「ちょっと」

 わたしは、愛音ちゃんを公園に引っ張り込んだ。

「愛音ちゃん、危ないことしないで。ケガしたら大変だよ。相手にケガさせたら大変なんだよ」

「あの人たちがかかってきたから仕方なかったじゃない」

 わたしは愛音ちゃんの頬をペチンと叩いた。

「ちがう。ぜんぜんちがう。あれは、愛音ちゃんから向かっていった。まずは話すこともできたのに、愛音ちゃんが怒って向かっていったから、あの人たちもつかみかかってきたんだよ。仕方なくない」

「男子を倒してたんだから、話し合いをしたって無駄だし、不意をつかなかったらこっちがやられちゃうかもしれないんだよ」

「気の弱い男子がただ突き倒されただけでしょう?そんなに凶暴な人たちじゃなかった。わたしたちが来たら三対三だし、大声で騒いだら人がくるかもしれないんだから、簡単には手出ししてこなかったはずだよ」

「でも」

「ごまかしはいらない。愛音ちゃんはお父さんと一緒に武術やってるでしょう?だから、殴ったり蹴ったりしたくなったんじゃないの?だから、話をしようとしなかったんじゃないの?メンドクサイから殴って退治しちゃえって思ったんじゃないの?頭きたから殴ってやれって思ったんじゃないの?

 愛音ちゃんのやったことは、さっきの三人と同じ。ううん、もっと悪い。愛音ちゃんみたいな人が暴力をふるったら、凶器もって襲ってるのと同じなんだよ」

「段はもってない」

「関係ない、そんなの。法律上の問題でしょ。事実は、段とったら凶器でとってなかったら凶器じゃないなんてことじゃない。

 さっきだって、顔を蹴られた人、気がつかなくて。死んじゃったかもしれないんだよ。愛音ちゃんが蹴ったら人が死んじゃうかもしれないの。怖くないの?わたしは怖かった。愛音ちゃんが人を殺しちゃったかもしれないと思って怖かった。愛音ちゃんは人を殺しちゃうかもしれないのに、怖いと思わないの?」

「美結ちゃん、そろそろほっぺが限界」

「あっ、ごめんなさい」

 わたしは興奮しすぎて愛音ちゃんの頬を叩きつづけていた。愛音ちゃんの左の頬が赤く腫れあがっていた。

 涙をぬぐって、公園にある水道でハンカチを濡らした。愛音ちゃんはほっぺに手を当ててうつむいていた。ほっぺに濡らしたハンカチをあててあげる。

「美結ちゃん、ごめんなさい。怖い思いさせてごめんなさい。あの人が死ななくてよかった。美結ちゃん、ありがとう。怒ってくれてありがとう。心配してくれてありがとう。美結ちゃん、わたしのこと嫌いにならないで。わたしのこと怖がらないで」

 わたしは愛音ちゃんを抱きしめた。二人で抱き合いながら泣いた。あの顔を蹴られた人が死んでしまっていたら、こんなことはしていられなかった。あの女子が死ななくて本当によかった。


 愛音ちゃんは、お父さんとの武術の稽古を小さいころからの習慣にしている。

 愛音ちゃんのお父さんは指導者なのだ。指導中は稽古にならないから、家で自分の稽古をするらしい。

 愛音ちゃんは、お父さんに遊んでもらう感覚で一緒に稽古をするようになった。お父さんとの稽古は正式なものではないし、段を取るための試験を受けたことがない。それでも、有段者並の実力があるのではないかと、わたしは思っている。普通の男子とケンカになったって、たいてい負けないだろう。

 中学生になって、力がついている。愛音ちゃんも相手も同じだ。愛音ちゃんがケガをしても嫌だし。愛音ちゃんが相手にケガをさせるのも、わたしは嫌だ。

 そういう心配をしている矢先に起こった事件だった。でも、大きなケガをさせたわけではなく、わたしの気持ちを愛音ちゃんに伝えることができた。蹴られたりした人たちには災難だったけど、いい機会になってよかったと思う。


 いつだったか、お母さんに聞いた話だ。

 わたしのお母さんと愛音ちゃんのお母さんは、学生のころからの知り合いで、愛音ちゃんのお母さんは後輩なのだそうだ。愛音ちゃんのお母さんは武術のサークルにはいっていて、サークルに指導にきていた一人が、愛音ちゃんのお父さんだった。

 武術で気が合ったのかというと、そうではない。愛音ちゃんのお母さんはマンガやアニメが好きで、オタク女子だった。武術はマンガの影響ではじめたのだそうだ。バッグにキャラクターのストラップをつけていたら、愛音ちゃんのお父さんが目をとめて話すきっかけになった。愛音ちゃんのお父さんもそのキャラクターのファンだったのだ。マンガやアニメの話で盛り上がって、聖地巡礼といって物語の舞台となった土地を巡るのに一緒に出かけるようになった。そんな馴初めだったらしい。

 愛音ちゃんは両親の英才教育をうけて、古いマンガやアニメに詳しくなった。人格形成もマンガやアニメに負うところが大きいのかもしれない。喜怒哀楽が激しいように思う。今回のように正義の味方気取りなところは、その辺からきているのだろう。わたしは愛音ちゃんに、本当の正義の味方になってもらいたいと思っている。


 暴力事件のあとしばらくは、あの三人組に仕返しされるのではないかと戦々恐々としていたけれど、何事もなかった。制服のリボンの色からすると、あの三人組は二年生だった。暴力事件のことを話さずに情報収集することはむづかしいと思って、誰にも話さなかった。

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