2.王太子殿下から逃げろ!

私が今回の人生では王太子や、その他の言い寄ってくる男たちから逃れて、自分の人生を取り戻そうと決意を新たにしていると、


『コンコン』


と扉が唐突にノックされた。


「あら、誰かしら?」


朝とはいえ、来訪予定はあっただろうか?


ああ、そうか。余りにも昔に戻って若返ったのですっかり忘れていたが、ぼんやりと思い出して来た。


この日は確か私は長いこと熱を出していて、昨日ちょうど熱が下がったのだ。


だから、誰かが様子を見に来てくれたのだろう。


「あれ? ん? 何か忘れているような?」


それはそれは大事なことだったように思うのだけど……。うーん、なんだったかしら?


そう顎に指を当てて、首を捻っていると、メイド長のドナが入ってきた。


「お嬢様。ご気分はいかがですか?」


「ええ、大丈夫よ。心配をかけてごめんなさい」


思い出せないけど、どうやら気のせいだったみたいね。


「そうですか。では昨日申し上げておりました通り、お見舞いにご足労を賜った王太子殿下をお通ししますね」


「ああ、そうね。お見舞いね。ありがとう。通してちょうだい……って、は??????」


「どうかされましたか?」


いやいやいやいやいやいやいやいやいや!


私は内心で滝の汗を流しまくる!


たった今! 今さっき! ちょうどその王太子殿下とは接触しないぞという決意をしたところなのに!


「そ、そうなの。でも、やっぱり気分が優れないわ。風邪を移してもいけないからお帰り頂いて……」


何とか抗おうとしたが、


「やあ、アイリーン! 心配したよ。病気が治ってホッとした」


彼はそう言うと、見るものをとろかす優しそうな微笑みを浮かべて、私のベッドの傍まで来ると、手の甲にキスをする。


くー!


悔しいながら、ドキドキとしてしまいそうになる。


金髪碧眼で、奇麗に整い過ぎた容貌は彫像のようだ。ただ、何よりも魅力的なのは相好を崩したときに目じりに寄る皺で、とても優しい気持ちを相手に抱かせるのだ。


でも私は学んだのだ。前世で! この男は最低のクズで、こんなにもアプローチをかけていた私との婚約を破棄し、子爵令嬢のミーナリアと婚約をするのだ。だから、幾ら優しい言葉をかけられても、私の心はなびかない。


むしろ、将来の死亡フラグが目に見えて迫ってきているわけで、逃げの一手だ!


「ありがとうございます。でも、まだ完全に治ったわけではありません。今でも少し熱っぽいような気がします。だから、余り近寄られてはいけませんわ」


「そうなのかい? だが、医者はもう大丈夫だと……」


「ああ、ちょっとぶり返して来たようですわ。さぁさぁ、王太子殿下に病気をうつしたとあっては申し訳ありません。お帰りくださいませ」


少し無礼過ぎる言い方になっているかもしれないが、むしろ嫌われた方がいい。


そうすれば、私を婚約者にしようという気もなくなるだろう。


「そうかい。なら今日は帰るとするよ。君を困らせるつもりではなかったんだ。ああ、でも最後に一つだけ。僕との婚約の件だけど、考えてくれたかな?」


彼は優しげだが、自信のある表情で私に微笑みかける。


そうだそうだ! 思い出した! 前世ではこの場でOKをだしたのだ。


これだけイケメンで優しげな王太子殿下の誘いを受けないなんて選択肢は、あの頃の私にはなかった。


でも、今回の私は騙されない。


この優し気な表情の裏で何を考えているか分かったものじゃない。そして、将来は浮気した上に、私を異国へと追放するのだ。


だから、


「はい。よく考えたのですが」


「うん」


彼は微笑んでいる。


「私などに将来の国母が務まるとは到底思えません。ですので、今回の話は無かったことにしていただけますか?」


「……え?」


彼の表情が初めて凍り付いたのを見た。


「そ、それは僕のプロポーズを断るという意味かい?」


「それ以外に聞こえましたか?」


こんなイケメンのプロポーズを断ることがあるなんて、稀有な経験だなぁと内心思いつつも、淡々と言葉を紡いだ。


「僕のことが嫌いなのかい?」


「あ、いえ。そういうわけではありません。ですが、もっと相応しい方がたくさんいらっしゃると思いますし。ああ、そうそう、家柄などは気にせずに、有能な令嬢も手広く探されてはいかがでしょうか? きっと私より良い女性が見つかりますわ。例えば子爵令嬢ですとか!」


さらっと、ミーナリア=スフィア子爵令嬢と、さっさとくっつけるように画策する。


早めに王太子殿下とミーナリア=スフィア子爵令嬢をくっつけさえしてしまえば、火の粉がこちらに飛んでくることはないはずだ。だって、そうすれば、私が殿下と婚約すること自体が発生しないのだから、あの死亡ルートをつぶすことができるはず!


「ふ、ふーん。つまり嫌いではない、と?」


「お優しくも偉大な殿下を嫌うはずがありませんわ。今日も病気から快癒して一番に駆けつけてくださり感謝の念しかありません」


「何だか、君の印象が変わったな、アイリーン。何だかものをハッキリ言うようになったというか……」


よしよし。


つまり、悪い印象になったということよね。というか、そっちが将来浮気する最低男なのは分かってるから、何だか納得いかないけど、作戦通りなので良しとする。


「私は元々こんなものですわ。つまらない、口の悪い女です。国母などにはとても不釣り合いな令嬢ですわ」


もう一押し、自分を下げておく。これで確実に王太子殿下の興味は私から失われるだろう。


すると、


「ふうん。ちょっと見誤っていたのかもしれないな」


殿下は顎をさすって、いつもはされない、少し眼を細められるような仕草をされる。


何だか雰囲気が違うけれど、言葉の意味は分かる。


私が思い描いていたような、素敵な女性ではない、と判断したのだろう。


やっぱり納得いかないけど、どうやら作戦は大成功なようだ。


「さあ、殿下。これ以上滞在されると、風邪がうつるかもしれません」


「そうだね、退室させてもらおう」


彼はそう言うと、すぐに立ち上がる。


椅子から立ち上がる姿すらかっこいい。本当に完璧イケメンだな。将来浮気をすること以外は完璧ね。


でも、もうここに来ることはないだろう。そう思って、微笑みながら、ベッドの上から彼を見送る。


すると、彼はくるりと扉の前できびすを返して、私の方を見ながら、


「では、アイリーン。また来るよ。今度は風邪が治っているといいね。そうしたら、どこかに二人で出かけるとしよう」


そう言ったのでした。


「は?」


私は唖然とする。でも、王太子殿下はそんな私の様子には気づかずに、すたすたと部屋を去って行ってしまった。


メイド長のドナが、殿下が帰られた後に入ってきて、とてもニコニコとしながら言った。


「お嬢様、どんな話をされたのですか? 王太子殿下、とても嬉しそうなご表情でしたよ!」


「ええ⁉ 何でなの⁉」


どういうこと!?


私は確実に王太子殿下に嫌われる言動もしたし、婚約もしないと宣言したのに、なぜかまた来ると言い出すし、外出……あれってデートの事よね……の予定も取り付けて行かれるし、その上、上機嫌って……。


「何がどうなっているのよ⁉ 私は今回は自由に生きるんだからね!」


絶対、あの笑顔には騙されたりしないんだから。


そう決意して、


「王太子殿下から何とか逃亡するぞ! おー!」


とベッドの上で腕を振り上げたのでした。


メイド長のドナは私の様子を見ながら、


「あらあら、またお熱が上がっているのでしょうか?」


と困惑した様子で私を眺めていたのでした。

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