第14話 精一杯生きた彼女の話1

 鏡華さんは結局本当にあのスケスケネグリジェを購入してしまった。

 買い物のあとは食事をし、しばらく街をブラブラと散歩する。


(普通こういうときどこに行くものなんだ!? デートなんてしたことないからわからないし)


 会話も少なく、退屈させちゃっているのではないかと緊張してしまう。

 街が見下ろせる公園のベンチに座り、夏が来る直前の景色を眺めていた。


「夢の中だったら全然平気なのに、現実世界だと緊張しちゃいますね」

「鏡華さんもそうだったの? 実は僕も同じこと思ってた」

「空也くんも緊張してたんだ。よかった。あんまり喋ってくれないから、つまらない女の子だなって思われてるのかと不安でした」


 心からホッとしたように鏡華さんが微笑む。


「そんなこと思うわけないよ。あんまりたくさん話してなかったけど、すごく楽しかったよ」

「私もです。実際はまだそんなにお話してないのに、ずっと一緒にいる人っていう安心感がありました」

「そうだよねー。現実世界では数えるほどしか話してないのに」

「毎晩会ってますもんね」


 鏡華さんは口許に手を当ててクスクスっと笑う。

 今すぐここでデッサンしたくなるほど美しい表情だった。


 それが緊張を解きほぐすきっかけとなり、会話が弾んだ。

 夢の話はもちろん、学校の話、子どもの頃の話などに花が咲く。

 気づけば既に夕方となっていた。


「じゃあそろそろ帰りましょうか」

「そうだね」


 駅に向かって歩き出すと、ちょっと寂しい気持ちになる。

 もっと話していたいが、遅くまで連れ回すわけにはいかない。


「私これまでずっと人の後ろに隠れて、ひっそり生きてきました。でもこれからはもっと能動的に生きようと思ってます。嬉しいことも、悲しいことも、みんな受け入れて、精一杯生きようって思ってます」

「どうしたの、急に?」

「なんとなく言いたくなりました」


 鏡華さんは真剣な目をして、口許だけで微笑んでいた。

 その表情にドキッとする。

 僕もなにか気の効いたことを言わなくちゃと考えたが、なにもいい言葉は浮かばなかった。


 彼女の最寄り駅に着き、電車のドアが開く。

 別れ際、鏡華さんはにっこり微笑んだ。


「ではまた、今夜。夢で」

「うん。また今夜」


 そうだ。

 僕と鏡華さんは夢でまた会える。

 そう思うとしばしの別れも寂しくなかった。


 電車が走り出し、窓に額をつけて遠ざかる彼女を見詰める。

 鏡華さんは見えなくなるまでずっと手を振り続けてくれていた。



 ──

 ────



 僕は病室の前に立っていた。

 部屋は個室らしく、『日沖 鏡華』と書かれている。


 今夜の鏡華さんは入院しているらしい。

 いったい何があったのだろう。

 ドアをノックすると「はい」と控え目な返事が聞こえた。


「こんばんは」

「きゃっ!? 空也くんでしたか」


 彼女は驚いたように顔半分が隠れるくらい布団に潜って隠れた。


「すいません。看護師さんかと思って」

「急に来てごめんね」

「いえ。座ってください」


 鏡華さんはベッドの上でゆるゆると半身を起こす。


「怪我でもしたの?」

「いえ。病気なんです」


 鏡華さんはずいぶんと元気がない。

 まるで本物の病人のようだ。


「実はこの夢、昔から何度も見ているんです」

「そうだったんだ」

「私は治る見込みのない心臓の病気なんです」

「えっ……!?」


 夢の中と分かっているのに、ドキッとしてしまう。


「日常生活には問題ないんです。たまにこうして具合が悪くなると入院するんですけど、いつもは高校にも通ってますし、私が病気だって知ってるのも雫ちゃんくらいでして」


 心配かけまいとして、鏡華さんは笑いながら細い腕でガッツポーズをする。

 心なしかいつもより痩せていて、肌が青白い気がした。


「無理せず寝てていいんだよ」

「今は大丈夫です。それに空也くんが来てくれたのに寝てるなんてもったいないです」

「心配しなくてもずっといるから」


 サイドテーブルには数冊の本が積まれていた。

 日がな一日ここで一人で過ごしているのだろう。


 こんな悲しい夢見ない方がいい。やめよう。

 そう言いかけて、なんとか堪えた。

 僕たちはどんな夢でもなるべく『しょせん夢だ』とか、『この夢をやめよう』と言うのを禁止にしている。


 それに彼女はこの夢に何度も魘されているらしい。

 なにか根幹にあるものを探して解決すれば、この悪夢から逃れられるかもしれないと思ったからだ。


「あ、そうだ。屋上に行きましょう。見晴らしがよくて気持ちいいんですよ」

「病院の屋上なんて行けるの?」

「ここの病院は行けるんですよ」


 入院着に薄手のカーディガンを羽織り、屋上へと向かう。

 屋上にはたくさんのシーツが干してあり、石鹸の香りがした。


「あら、日沖さん。具合はどう?」


 選択を干していた看護師さんが声をかける。

 とても優しそうな人だった。


「はい。今日は気分がいいです」

「無理しちゃダメよ。あら?」


 看護師さんは僕に気付き、「ふふーん」と微笑む。


「日沖さんの体調がいいのは彼の影響かな?」

「ち、違いますっ! 朝からよかったんです!」


 鏡華さんは顔を真っ赤にして否定した。


「どうも。鏡華さんのクラスメイトの鰐淵です」

「担当看護師の下垣です」


 看護師さんは嬉しそうに微笑みながら「イケメンくんじゃない」と鏡華さんをからかっていた。


「屋上に来てもいいですけど、あんまり日沖さんをドキドキさせないでね。心臓に負担がかかりますんで」

「もうっ! 下垣さんっ!」


 鏡華さんに怒られ、下垣さんは笑いながら屋上から出ていった。


「すいません、空也くん」

「面白い人だね」


 屋上からの景色は昼間に鏡華さんと公園から見た景色とよく似ていた。


「本当にいい眺めだね」

「いつもここから一人で景色を眺めていたの。あの街では今日も色んなことが起きてて、楽しいことも、辛いことも、悲しいこともあるんだろうなって考えながら」


 風が吹いて鏡華さんの髪がふわりと流れる。


「でもどんなに辛くても、悲しくても、あの人たちは人生が続いていく。生活がある。でも私にはそれがない。私は死ぬのをただここで待っているだけだって」


 まるで本当に余命幾ばくもないかのような儚さに不穏な気持ちになる。


「でもね、さっきの下垣さんにいわれたの。あなたはまだ死んでない。生きてるって。だから死を待つなんて言わないで。生きてる今を大切にして。精一杯生きて、死に抗ってって」

「そうだね。君は確かにまだ生きている」

「だから生きてる間は精一杯楽しもうって思ったの。嬉しいことも、悲しいことも、みんな受け止めて、楽しもうと決めた」


 鏡華さんは笑っていた。

 でもそれは朗らかなものではなく、覚悟を決めたものの背水の陣みたいな笑顔だった。


「そろそろ病室に帰ろう。身体が冷えるよ」

「うん」


 今日の別れ際の彼女も似たようなことを言っていた。

 僕の胸のざわつきは激しさを増していた。




 ────────────────────



 なにやら悲しい夢の中の世界。

 それに日沖さんの様子もとても深刻そう。

 この不吉な夢はいったい……


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