第19話 理由のない笑顔

 昼休み。


 本を買った翌日は、学校の屋上でその本を読むのがいつもの習慣になっている。しかし、真夏の炎天下の中で本を読むのはそろそろ限界かもしれない。セミたちが命を燃やし、所狭しと鳴き声で埋め尽くされていた。コンクリートの段差に腰を下ろしているが、そのコンクリートも熱を帯びて、ずっと座っているのも結構つらい。


「こりゃだめだ……」


 本を読むのをやめて教室に戻ろうとした時、雪乃ゆきのが屋上に姿を見せた。


「やっぱりここにいたんだ」


 彼女の髪が優しくゆれる。風がゆっくりと駆け抜け、彼女の黒く長い髪をそっとでた。


「今、教室に戻ろうかなって思ってて」


「少し、話してもいい?」


「え、ああ、うん大丈夫」


 僕はちょっとだけ驚いた。雪乃の方から僕に用があって、ここまで探して来てくれたようだった。雪乃は僕の隣に移動すると、コンクリートの段差に腰を下した。


「あ、あつ!」


 熱せられたコンクリートに腰をおろした雪乃はすぐに立ち上がった。


「よくこんなところで本読めるわね」


「さすがに集中できなくて、戻ろうかなって」


「ああ、そっか」


 雪乃は納得、と言わんばかりに声を返した。そして僕の正面に移動した。


「改めて、お礼を言いたくって」


「お礼?」


「うん、かなちゃんのこと」


 かなちゃんは先日のボランティアで知り合った女の子だ。帰り際で行方不明になって、みんなで探したけど見つからず。最後は僕の『力』を使って見つけることができた。だけど見つけた時が増水した川のすぐそばで意識がなく倒れていた。もし、あのまま見つけられなかったら……。


柏木かしわぎ君が諦めなかったから助けることができた。そして私たちは後悔しないですんだ。一度ちゃんとお礼がしたかったの」


「いや、お礼だなんて」


 お礼とか言われると、困ってしまうんだけど、実際にあれは僕がやりたくてやったことだし、誰に頼まれたことでもなくて……。


「なにか困ったことがあれば、今度は私が何か手伝うから」


 そういうと雪乃はゆっくりと僕に背を向けた。「またね」と彼女は言って歩き出した。


「あ、あのさ!」


 僕はそれを呼び止めた。


「うん?」彼女は振り返る。


「今、いいかな?」


「え? 今?」


「うん、雪乃の笑顔、見てみたい」


 僕から出た言葉は自分でも驚いた。いや、とっさに出たとはいえ……。


「なにそれ?」


「だ、だよね、今のなしで」


 笑顔が見たいなんて、僕に似合わない言葉を声にしてちょっと後悔している。


「笑顔くらいなら……」


「え、いいの?」


 断られると思ったので僕は聞き返してしまった。


「うん、それくらいなら」


 そういうと雪乃は自分の頬に両手をあてた。


「あれ……」


 そう声を漏らすと、自分の頬に手を当てたまま、何かを考え込んでしまった。


「ごめんなさい、理由もないのに笑顔は作れないみたい」


 雪乃は考え込みながら僕に言った。


「なんかごめん、変なことお願いして」


 僕も変なお願いをしてしまったことを後悔して雪乃に言葉を返す。


「ううん、気にしないで、じゃ私は戻るね」


 そういって彼女は僕に背を向け、歩いて行った。


 理由もないのに笑顔はつくれない。雪乃の言葉は正しいのかもしれない、けれど何故か簡単に流してはいけないような、僕の心の中で何かがうめき声をあげ、彼女のその言葉は僕の心に重く響いた。



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