第10話 やんちゃな子にデレられた? それはつまりヤンデレ?

「この辺のはずなのですが……」


 日野先生は先程から、呪文のように同じことを繰り返している。


 山奥の舗装されていない道に揺られながらゆっくりと進む。道は狭く、対向車が来たらかなり困難な状況になるだろう。


「ナビはもう着いてることになってますよ」


 楓はナビアプリを開いたスマートフォンと外を交互に見ている。


 僕と雪乃は何かそれらしい建物はないかと、先程から目を凝らしていた。辺りは木々が続くばかりでこの辺に何かあるとはとても思えない。一人で歩いていると道に迷い、遭難でもしそうな雰囲気である。視線を移動させていると様子が違う箇所を見つけた。そこへ集中して目を凝らすと壊れかけた看板が置かれていた。看板には『辛いことは誰にだってある。挫けるな』と書かれていた。どこかの樹海だろうか……。


「先生、今何かあった」


「ど、どこですか!」


「あっちの方」


 雪乃が指を差す方向を見ると、確かに木造の建物が見え隠れしていた。


「さっきの分かれ道じゃないですか?」


「うー……バックします!」


 僕が先程の分かれ道のことを伝えると、日野先生はここでの方向転換は難しいようで気を引き締めるように声を出した。


「先生、辛いことは誰にだってある。挫けるな」


「うう、先生は、先生は頑張っているんですよ!」


「春人、急に何を言い出すのよ」


 分かれ道に戻り、木造建物の方向へ車を走らせると開けた場所に出た。そこには芝生の広場が広がっていて、子供たちが駆け回っていた。道は先程とは変わり、整備されているようで強く揺れることはなかった。


 少しの間、道なりに進むと木造の建物が見えてきた。大型のコテージを思わせる造りで、入り口の看板には『管理棟』と書かれている。


 僕たちはまず、その管理棟に行かなければならないようだ。車から降りて歩いていると、たまに吹いてくる風が夏草の匂いを運んできて心地よかった。車の中でたまった疲れが癒されていくようだ。


 管理棟に入ると、老婦人が迎えてくれた。


「こんにちは、今日はお世話になります」


「ああ、日野先生、土曜日なのにごめんなさいね。今日はお願いします」


「受付してくるから、ちょっと待っててくださいね」


 日野先生と老婦人は受付に行くと、受付にいた三十代位の女性と話を始めた。


 管理棟の中は入って正面が受付になっていて、棚にはキャンプ用品が並べられていた。料金案内という張り紙を見てみると、一泊とか日帰り等の項目が書いてあった。どうやらここはキャンプ場として普段は運営されているようだ。


「今日は楽なんだって、よかったね。私たちもレクリエーションに参加して、最後にゴミ拾いをするくらいみたいよ」楓が小さな声で話しかけてきた。


「レクリエーションって何するの?」雪乃は周りを物珍しそうに見ながら言った。


「まずはお昼ごはんかな、野外炊飯よ」


「まじか……」


 もうお腹がすいてきたんだけど。と僕は付け足した。


「早いわよ、まだ十時ちょっと過ぎよ、ちゃんと朝ごはん食べたの?」


「食べてない、本を読んでて寝坊した」


「相変わらずね……」


 この週末、先日買った本を二週目、三週目とじっくり読む予定だったのだ。せめて金曜日はゆっくり読ませてほしい。寝坊したけど……。


「お待たせしました」


 日野先生と老婦人が受付を終わらせて戻ってきた。


「先生、お腹すきました」


「ちょうどいいですね、さっそくですが今から野外炊飯を始めますから準備してください。あ、柏木君、材料の荷物運び手伝ってくださいね」


 お腹がすいて動きたくないんだけど。だけどそんなことも言っても仕方がないので、早く準備してしまうのに限る。駄々をこねたってどうにもならない。


「先生、あたしたちは?」


「早坂さんと雪乃さんは、先に炊飯場へ行って鍋とか洗って準備しててください」


 管理棟を出ると、雪乃と楓は日野先生から鍋を受け取って炊飯場へ行った。僕は野外炊飯の材料がおいてある場所へ日野先生と向かった。目的の場所につくと、全員分だろうか。カゴがたくさんあり、そのカゴ一つ一つに材料が入れられていた。


「じゃ、これを炊飯場に持って行ってね」


「え、全部ですか?」


「そうよ、今日は力仕事任せたわよ」


 聞いてない。今日はレクリエーションをやって最後にゴミ拾いをするだけじゃ……。


「先生、お腹がすいて動けません」


「先生の顔食べますか?」


「いえ、結構です」


 日野先生は聞く耳を持たなかった。これで倒れでもしたらどうしてくれるのだろうか。とはいえそんなこと言っても仕方ないのでカゴを一つ持ち、重さを確かめた。これは何個か一気にいけそうだ。一つ一つが重いわけではないので力に自信があるわけではない僕でも一気に運べそうだ。


 僕は肘のところにカゴを一つぶら下げ、もう一つを手に持った。それを左右で合計四つ。これなら最小限の往復で済む。早くごはんが食べたい。


「さすが、男の子ですねえ」


 日野先生がそんなことをのたまうと、先生も二つ持ってくれた。


 材料を持っていこうとする僕らの目の前に、小学校中学年くらいだろうか。女の子が一人立っていた。


「お兄ちゃんたち、手伝ってあげようか?」


「大丈夫よ、かなちゃんはみんなと遊んでおいで」


 話しかけてきた女の子を知っているのか、日野先生はその子を『かなちゃん』と呼んだ。


「うーん、でもつまんないんだもん」


「かなちゃんは何をして遊びたいのかな?」


「木登りとか、虫取り!」


「木登りはちょっとなあ」


「みんなダメっていうの、つまんない!」


 女の子は炊飯所のほうへ走って行った。


「先生、あの子のこと知っているんですか?」


「ちょっと有名な子でね」


「近所の悪ガキってやつですか?」


「いやあ、悪ガキってほどじゃないんだけど、少しやんちゃなのよ」


 日野先生はそう答え、いつもどおりへにゃりと笑顔をつくり「じゃあ、行きましょうか」と少し気合を入れた。


 材料を炊飯場に持っていく途中、後悔した。最初はよかったがカゴがどんどん重く感じてくるのだ。


「柏木君、大丈夫ですか?」


「大丈夫です!」


 いくらなんでもここでギブアップしたらかっこ悪すぎだ。いや、日野先生にいい恰好を見せようとかは思ってはいないけれど、男としてなんというか。体を張るようなタイプではないし、鍛えてもいないし、まぁちょっと意地というものが……。


 何とかギブアップせずにカゴを炊飯場へ持っていくと、雪乃と楓は鍋を洗い終わっていた。周りにはたくさんの小学生とお年寄り、そして少数の母親たちがいた。……男手がいない。僕が日野先生に脅され、半強制的に参加させられた理由を今理解した。


 周りでは、うちの主人休みだから寝てばかりで、とか聞こえてくる。はい、お休みの日はきっちり休まないといけませんね。


 僕はそれから力をふり絞って残りのカゴを全部運ぶため何回も往復した。奥様方! 一つくらいは持てるだろ! とは言わなかった。なんか怖いし……。


 材料を運び終わると、もう無理だと土の上に座り込んだ。


「春人、大丈夫?」


「もうだめだ」


 額から汗が滴り落ちてきた。空腹の体にはかなりきつい運動だ。ぐったりしていると雪乃がペットボトルに入った水を差し出してきた。


「はい、水」


「あ、ありがと……」


「結衣?」


 楓は少し驚いた表情を見せた。思わず受け取ったが、僕も正直いうと雪乃がこんなことをしてくれることが意外に感じた。


「結衣、大丈夫なの?」


「え? 自由に飲んでいいって、さっきみんながいってくれば水よ? それに頑張ってたし」


「いや、そうじゃなくて、その……」


 楓は何かいいにくそうに僕のほうを一瞥した。


「うん、心配しないで大丈夫みたいなの」


「え? そうなの? まぁ、それなら……」


 楓はなんだか含みのありそうな感じで口をつぐんだ。


 ペットボトルの水を文字通りがぶ飲みする。冷えた水が身体の火照りを冷やす。しかし空腹によってエネルギーが枯渇した身体はごまかせないようだ。


「はらへった……」


「お兄ちゃん、これあげる」


 先ほどのかなちゃんがあめを差し出してきた。


「いいの?」


「うん、お兄ちゃん死にそうな顔してるんだもん」


「ありがと」


 僕にあめを渡したかなちゃんはデレっと笑い走っていった。


「柏木君、かなちゃんに気に入られたかな?」


 日野先生の声を半分聞きながら僕はあめを口に放り込んだ。もうなんでもいいから身体が固形物を欲していた。わずかだが身体にエネルギーが補充されていくのを感じる。もう少しなら頑張れそうだ。


「では、先生は車に積んできたものを持ってくるので準備しててくださいね」


 日野先生は車に戻っていった。


「ふふふ、あの子ちょっとデレってして可愛いねえ、あの子に気に入られたかなあ」


「楓……僕は」


「ん? なによ」


「あの子、やんちゃなんだってさ」


「ん?」


「僕、ヤンデレはちょっと」


「ヤンデレっそういう意味じゃないから!」


 体力が少し回復した僕はあめをかみ砕いた。少し気合を入れて昼ごはんの準備の手伝いをすることにした。すでに雪乃と楓は下準備に取り掛かっている。


「準備ってあと何すればいいんだ?」


「んー、野菜を洗って……」


 周りを見ると、グループそれぞれ薪に火をつけ始めていた。


「春人? 火、つけれる?」


 ……やったことないわ。


「インドアな僕ができると思うか?」


「んー、だよねえ、でもみんなちゃんと火がついているしなぁ、あたしがやってみるわ」


「僕がやるわ」


「どっちだよ!」


 なんだか納得されると無性に腹が立って、やってやろうじゃないかという気になってくるが本当にできるかどうかは別だ。


「じゃあ、あたしたちは野菜を切ってるからね」


 僕も野菜の方がよかったかもしれない。とはいえ、鉄に火をつけるわけでもないし、木は燃えるものである。用意されいる薪をかまどに並べ、その上に新聞紙を敷いて火をつける。


「お、ついた!」


 火は新聞紙を燃やし、瞬く間に薪に燃え移……らない……。なんでだ。


 もう一度新聞紙を敷いて火をつける。


「お、今度はいけそうだ」


 火は新聞紙を燃やすと、少しだけ薪に燃え移った。そして酸素を送るため、薪に向かって思いっきり息を吹きかける。


 僕の目の前で、新聞紙の灰が咲き乱れた。


「ちょっと、春人何やってるのよ」


「僕はどうやら炎に嫌われているようだ」


「意味分かんないわ!」


「柏木君、早坂さん、何をやっているんですか?」


 日野先生がコンテナを運んできた。


「先生すみません、火がまだつかなくて」


「火ですか? わたしたちはカセットコンロを使うから薪は使わなくていいですよ?」


 日野先生はコンテナからカセットコンロを取り出した。そういえば学校で運んでた気がする。


「ごめん、先生がカセットコンロ運んでたの、あたし見てたわ……あはは……」


「それに、もし薪に火をつけるなら、最初からそんな大きな薪ではなくて、小さな薪からつけないと、つきませんよ?」


 それを聞いた僕と楓は一緒に天を仰いだ。ほかのグループの薪を燃やす音が、僕らをあざ笑っているかのように聞こえた。

 

 

 

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