第7話 早坂楓

 朝八時、校庭では野球部が練習にはげんでいた。そこそこ強いうちの野球部は、今年も惜しくも甲子園を逃し来年こそはと早くも厳しい練習に明け暮れていた。その気合いが入った練習を見ると、燃え尽きるか甲子園かの二択だろうなと、野球部には悪いと思いながら少しひねくれた見方をしていたのだが、今日は少し様子がおかしいようだ。


 雪乃ゆきのはすでに来ていて、野球部の練習を見ていたが、興味がある様には見えなかった。そしてそれとは逆に野球部員が彼女を意識しているように感じる。


 雪乃は私服で、野外ボランティアを意識したのか、はたまた普段の服装なのか、白のTシャツにジーンズ、黒のシャツを羽織はおり白いスニーカーを履いていた。ボーイッシュな服装というのか、言ってしまえば男子の服装をイメージさせる。


 だが彼女の端正たんせいな顔立ちと独特の雰囲気も加わり、座っている姿でさえ美しい絵画かいがを思わせる。


 野球部の一年と思われる玉拾いをしている部員は、たまに彼女に視線を移し、意識をしているようだった。二年とまだ引退していない三年と思われる部員は何かを思いだすように自分のほほでていた。それを見た僕も自分の頬を撫で、野球部員に親近感のようなものを感じて少しおかしくなった。


「おはよう」


 美しくはかない音色が聞こえる。


「お、おはよう」


「どうしたの?」


「いや、何でもない」


 雪乃が自分から声をかけてきたことに少し驚いた。彼女に対する印象を改める必要があるようだ。何だか少し嬉しくなって隣に座った。


 予想外に距離が近いところに座ってしまった。肘と肘が当たりそうで、微かな体温を感じる。


 雪乃は無言で僕との距離を少し空けた。


 僕はちょっとせつない気持ちになり、野球部の練習を眺めた。


 それから彼女は話をかけてくる事はなかった。野球部員たちは珍しい物を見るように、また嫉妬しっと眼差まなざしをたまに僕に向けた。僕は目立つのはあまり好きではないので、少し居心地が悪かった。雪乃は視線に慣れているのか、気にしていないようだった。


 車の音がした。校門から一台の黒いワンボックスタイプの軽自動車が入ってきた。その自動車は校庭の脇のアスファルトをゆっくりと走行し、こちらに向かって来た。


 車は僕たちの前で止まり、助手席から一人の少女が手を振っていた。雪乃は驚く様子もなく小さく手を振り返した。僕は彼女が来るとは聞いてなかったので少し驚いた。


 ドアを閉める音と共に日野先生の声がした。


「二人ともいますね、荷物を取ってくるので待っててくださいね」


 日野先生は白いロングスカートに白いシャツ、その上に黄色のカーディガンを羽織っていた。


 可愛らしい服装だが、野外ボランティアに相応しいかどうかは疑問だ。野外ボランティアとなると雪乃の服装の方が正解のような気がする。


 助手席に乗っていた少女が車から降りて来た。


 やや茶色に染められたショートカット、デニムのハーフパンツと白いシャツに前開きの青のパーカー、目はパッチリとしていて、雪乃にも負けないくらいの美少女だ。


 雪乃が月なら彼女は太陽を思わせる。


春人はると結衣ゆい、おはようー!」


 天真爛漫てんしんらんまんとも言えそうな元気な声が響き渡った。


かえでも今日いるのか」


「なによ? あたしは結衣の付き添いよ」


 彼女は早坂はやさかかえで、同じクラスでよく雪乃と一緒にいるのを見かける。いつも明るく誰にでも分け隔てなく接する様子から男女両方からの人気が高く、成績も学年トップだ。


 楓は僕たちに声を掛けるなり野球部の練習に視線を向けた。そして。


「こらー! もっと気合を入れろー! 甲子園行けないぞー!」


 野球部員たちは驚き、こちらを見るなりさらに気合が入ったように感じた。むしろ楓に何かをアピールするように声を出し始めた。


 去年、高校一年の春から夏の初めにかけて、雪乃が告白を毎日のように受けていた頃、その陰でひそかに注目されていたのが楓だった。その密かな人気が今も続いているようだ。


「いやー、あの感じで来年甲子園行けるのかね」


 楓は声を出してすっきりしたのか、満足そうな笑顔で言った。


「結衣、あたし、助手席でナビ見ながら先生の運転のサポートしなきゃならないんだけど……その、平気?」


 楓は僕の方を一瞥いちべつしながら言いにくそうに言った。


 少し嫌な感じだが、もしかしたら僕は雪乃に嫌われているのかもしれない、よく考えると交差点で押し倒し、ハイキックをされる。屋上でお互い謝る。ここまではいいが、そもそもそれからろくな会話をしていないのだ。さらには初めからまともな会話をしていない。


「そうだったのか」


 僕は白い雲が浮かぶ青い空を見上げた。そんな空は僕の気持ちも知らないで淡々と青かった。そういえば、青と白か。


「楓、大丈夫みたい、心配しないで」


「そうなの? だったらいいんだけど」


 雪乃の言葉に楓は何故か不思議そうな顔をした。


「お待たせしました。車に乗ってください。出発しますよ」


 日野先生は大きな鍋とカセットコンロが入ったコンテナを運んできた。


「あ、青の人」


 僕はつい声に出してしまった。


柏木かしわぎ君には次のボランティアにも参加してもらう必要があるようですね」


「すいません」


 僕の腰は九十度の直角に折れ曲がった。僕の腰にはダメージが蓄積されていく。


 僕たちは車に乗り、目的地へと向かった。


 この野外ボランティアが僕にとって、大きな決断をすることになるとはこの時思わなかった。いや、やっぱりちょっと何かあるかなと思ったけど気のせいかもしれなくて、やっぱりよく分からなかった。



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