第5話 屋上で見る彼女の姿は

 本をめくった。紙の匂いとれる音、インクの匂い、黒い文章たち。ページを一枚一枚めくるごとに世界が広がり、現実から知らない世界へと引き込んでくれる。


 僕は校舎の屋上で一人、本を読んでいた。毎日は来ないが、本を買った翌日なんかはよくここに来て読んでいる。


 この学校には屋上が二か所ある。ここは入口が入りにくい場所にあるせいか人が来ない。だけど僕はここが誰にも邪魔されず本が読めるので好きだ。


 しばらく本の世界に入り、ふと本から視線を外すと、紺色のプリーツスカートが目に入った。流れるようなロングの黒髪に、一見華奢きゃしゃにも思える細く長い肢体したい。彼女はフェンスに手を当て、じっと遠くを見つめていた。


「……雪乃?」


 僕は思わず声を出してしまった。今年から同じクラスになり、今まで話したことはなかった。そもそも、雪乃が男子と話しているところ自体見たことがない。祐介の言った通り、本当に男子を拒絶しているのだろうか。


 雪乃は背中越しに、少し驚いた様子を見せた。そしてゆっくりと、こちらに振り返った。


 視界に映る雪乃はとても弱く見え、何かにおびえているように見えた。


「……いたの……」


 何故なぜかその声は、今にも消え入りそうで、とても美しく、でもどこか寂しげだ。


 風が優しく吹いた。その風は雪乃の髪を優しくなで、そして雪乃をどこかへ連れて行ってしまうようだった。何故か分からないけどそれが嫌だった。


「あの、朝はごめん」


 何故か少し緊張して、声がうわずった。雪乃は考えるように、しばらくうつむいた。そして雪乃の身体をまとう空気がゆるんだように感じた。


「私の方こそ……ごめんなさい」


「……え?」


 変な声が出てしまった。雪乃の言葉に少し驚いた。文句の一つや二つ言われると思ったからだ。


「え?」


 雪乃も僕から素っ頓狂すっとんきょうな声が返ってくるとは思わなかったのか、同じような反応をした。


「いや、ごめん、雪乃が謝ってくれるとは思わなかったから」


「なによ、それ」


 僕は自分の肩から力が抜けていくのを感じた。


「でも、仕方ないわよね、自分の噂くらい知っているし、私は男子と話すことはできないから」


「できない?」


 僕はその言葉の意味が理解できなかった。今、こうして話している。互いに視線を合わせて話している。


「ごめんなさい」


 雪乃が発した声には悲しさが混じっていた。そしてその手はかすかに震えていた。雪乃は僕から視線を外すと、そのまま屋上を後にして、校舎へと戻っていった。


 僕はその背中をずっと見つめていた。そして昼休みの終わりを告げるチャイムが悲しげに校舎中に響き渡った。




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