第31話 失くした者。
やはりか、とも、ようやくか、とも言わず。
ノーカは変わらず黙ってそれを聞くことにした。それこそ過去、彼女が酒を煽ってそれでも酔い切れず、愚痴をこぼしたときと同じように。
宇宙空間における光速、亜光速という戦闘速度に人間の知覚や身体機能を対応させる為には、ナノマシン投与は一般的な兵士でも当たり前だが、それが使えないということは実質兵士として現役の引退勧告がなされたも同然だ。
その後、戦場に生きる兵士ではなくとも、軍学校の教官ならこれまで培った技術と経験を生かすことが出来るだろうと、指導者としての道を宛がわれたということだが、そこで出来るのはやはり座学がほとんどで、
「……流石に、
軍人として生きられるのなら、それに越したことは無いのだろう。しかし、それを差し置いても、彼女はパイロットでありたいのだ。軍人でなくとも兵士として生きる者達には独自の理念や信念、誇りを持つ者が多いが。彼女はあくまで軍人であると同時にパイロットで居たかったのだろう。かつては軍人として生きることに何よりも誇りを持っていたが。
ノーカは、かつての同僚を取り巻く様々なものも、自身と同様変わってきているのだと理解した。彼女の離職後の就職先も決まっている、という話ではないことも分かった。しかし、
「……で?」
「……で? ね。……そう言うと思った」
だからなんなのかというノーカの視線に、マリーは可笑し気に苦笑する。
そんなことをわざわざ言いあぐねたのか、嘘を吐くほどの隠し事なのかと、尚も目で問うそれに、
「……要するに、アンタと違って臆病風に吹かれた、って訳よ……。完全に軍人を辞める、それまでの時間に。……その後の生活にもさ? 怖気づいてるの。だらだらだらだらと、……まったく、情けないったらありゃあしない」
自嘲気味に呟いた元同僚は、歳をとっても人間の機微にまだまだ疎いそれを咎めるでもなく、それどころか、諦観と達観が入り混じった安堵のような微笑を浮かべる。
もしかしたら、その身に訪れた転機――不幸を励まされることも、悲しまれることも嫌っていたのではないかとノーカは思う。
それを彼女らしくないと思うが、しかし、なるほど、とも。
自身が辞めるときは、誇りもクソもなく、どこでだって生きて行こうとしていた、その時の自分は確かに怯えはなかった。それと比べた、その理屈は分かった、しかし、
「……そういうものか?」
「ええそうよ? そういうものなの」
ノーカは、やはり励ますでも慰めるでもなく黙って彼女を見つめる。
イマイチ、共感に至らない。
彼女が仕事に掲げていた理想は
それすらも、変わるかもしれない、というそれを恐れているのか。
分からない、だがしかし、自分が変わるというそれに関しては、ノーカも身に染みて分っていた。あくまでいい方向にだが、それでも変わらないと思っていたことが変わる可能性については否定できなかった。
だから、ノーカはマリーの隣に佇んだまま、それ以上余計な口は挟まなかった。
しかし鑑みる。聞く限り、彼女の軍人としての経歴、これまでのそれもそしてこれからのそれも、理想的な航路だと思った。教導隊なんて軍人の中でも一握りしかいない特別な技能集団で、その後の軍学校の教官も、軍人の軍人たる精神まで考慮されなければ採用などされなかっただろう。
これから彼女が選ぶであろう兵士を辞めたその後も、そのスキルと経験を活かした仕事ができる。彼女ほどの腕と経験を持つパイロットの判断なら、乗客に危険はないだろう、それはとてもいいことだ。
他にも、自身に勉強を教えてくれたときも彼女の指導は分かり易かった。現職の、しかし座学のみという教官職は、それでも彼女の天職の一つとすら思う。
だがそれは彼女が望まない事で、生き甲斐が、生き方が消えるというなら……そこに異論はないと思う。
なら、それを口に出して肯定すべきか。――それも、押しつけにならないか?
これから彼女はどうするのか。
彼女が言う通り、このまま、だらだらだらだらと、怯えながら、怖気づきながら、時間切れに背中を押されるのを待つのか。
これはきっと、これまでの生き方に拘ればいいというわけでも、新しい生き方を探せばいいというわけでもないのだろうと思う。
それは、自身が十年間この田舎で農業をしながら感じていたことでもあった。
なら、さほど問題ない。
それでも生きていける、そしてその内、いい事もあった。
何が来て、何が変わったのかといえば、と。アンジェの顔が思い浮かんだ
そしてその中で、もしどうしようもなく取り零してしまったこと、失ったこと、消えてしまったものがあったとするならば……。
そこでふと、彼女の顔が思い浮かんだ。
ずっと忘れていた、それを思い、ノーカは――
「……多分だが、大して変わらない」
「……なにがよ?」
「何をして生きるのかを、変えることだ。俺が一つの例だろう。兵士であることも、それ以外をやることも、大差などない。……だから俺もこうしてやってこれたんだろう、でなければお前たちの言う通り宇宙海賊だった」
「いや海賊って、せめて傭兵でしょ」
「じゃあ傭兵崩れだ。……それもだんだん年を取って使えない老兵、老害になって不様に死んで終わりだった筈だ。今ただでさえ白髪が増えたとか体力が落ちたとかあるからな……現役として最前線に立つことを考えるのなら、どう見積もってもあと三年が限度だろう。後は足手纏いだ。だから最近、あのとき軍を辞めておいて本当に良かったとも思っているくらいだ。……あのまま軍人を続けていたら、本当にどうにもならなかったのは今ならよく分かる。……逆に、続けていても、ただの軍人として、死なずに歳で退役して、年金暮らしをしていたかもしれないがな」
「……なぁに? あたしを勇気づけてくれてんの?」
「いいや。そんなことは考えていない」
ノーカは溜息を吐く。
そして、
「……だが……、おまえは、自分の仕事とか、主義とか、生き方とか……誇りだけでなく……そこに居る、自分の周りに居る人間と、どう付き合うかを考えた方がいいんじゃないのか?」
それは、それだけは、決意とか、信念とか、覚悟とか、自分一人の生き方、それでは片付かないとノーカは思う。
どんな理由であろうと、今から生きる場所が
そして、彼女達が目の前から消えていくのかと、それを思った。
すると……これからどんな生き方を選んでも、そこで未練を残すとしたら……それはそういうものだと思ったのだ。誇りとか信念とか、己の形なんてモノではなくもしかしたら“他人”ではないかと。
それから、ふと頭の中で“彼女”がふと通り過ぎていった。
忘れていた、屈託なく、溌溂と笑う彼女を思い出した。
そこで、もしかしたらあのとき、悲しかったのかもしれないと思った。
後悔こそしていなかったが、寂しかったのかもしれないとも思った。
それを思い、隣にいる元同僚が、これから、どのような生き方を選んでも、その中で、残されるモノのことを――どう伝えたらよいのかと、分かるだけ全部吐き出しただけだ。
決して勇気づけようとしたわけではない、が、説教臭かったのは自覚しながら、横に居るマリーに眼を合わせるのがどことなく
そして顔を洗うよう両手で揉み、そのまま短い髪をグシャグシャ洗髪するよう掻き乱す。
すると、やるせない苦笑を浮かべて、
「……はぁ、あたしもいよいよヤバイわ……あんたなんかに人生の何たるかを教わるなんて……」
「今すぐ帰るか?」
「ごめんごめん。……褒めてんのよ? 確かにあんたの言う通りだわ、あたし自分のことしか考えてなかった……そうよね、あたし一人の問題じゃないのよね」
マリーはそう告げると、奥歯に物が挟まったよう頬を歪め、訓練中、誰かに一本取られた時のよう執念を燃やす顔をする。
「……もうすこし今の同僚とか、受け持った生徒とかと顔合わせて話してみるわ……もちろんあたし自身の人生だもの、最後に決めるのは私よ? アンタに言われたからじゃないんだからね?」
「……そうか」
しかしそれを聞きながら、ノーカは感じた。
元同僚にとって、仕事を変えることで失う誇りとは、実は自身が軍人としてどうこうより遥かにその部分が大きかったのではないか?
仕事はそれをする意義や技能を通し、誰かが必要としたそれを成すものだが、彼女は自己の部分を注視するあまり、彼女にとっての本当の本意を見失っていたのではないのかと。
たとえば過去、自身が勉学をしていたときも、途中から彼女の方が熱心に、そして単位を取得する度に自分以上に自分の事のように喜んでいたが。それと同じように、彼女にとって軍人であるということは、その栄誉や名誉、その中にある理念や信念――自負に類するそれが目的ではなく、それを通して他人になにを成すのかということこそが重要であったのだろう。
口に出すと恥ずかしがる(殴る、蹴る)から言わないが、過去も、そして今も、それはマリーという軍人の好ましいところだとノーカは思っていると、
「まあ、流石結婚した男ってところかしら? 守るべき人が出来たってのは、やっぱり違うのねえ……」
「……そうか?」
「そりゃもう――言葉の熱? 重み? 温かみってのが前と比べて全然違うわよ。そもそもこんなこと自体話さなかったし、本当に変わったわ」
「……そんなことはない筈なんだが……」
マリーは粗野な男くさい仕草に、ニヤニヤと、そういう意味が含まれたイヤらしい笑みを浮かべる
ノーカは、本当に、微々たるものしか変わっていない、と思うのだが、他人の目から見てそんなに顕著なのかと甚だ疑問に思う。だが守るべきもの……優先事項というそれではない、今、守りたいという明確なそれが確かに存在していることには自覚があった。
それが――他人から見て、言葉の熱、というそれまで変わったように見えるのか。
それは、一人の人間としては間違いなくいいことなのだろうと思う、しかし、これから先、兵士として、否、兵士でなくとも、一人でも生き延びる為にはよくないと思い……だが。
これから先、また、独りになるのか? と、自問した。
それは、何故だか、嫌な気がする、と、アンジェの事を思い浮かべた。
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