第12話


 璃子の事件発生から四日目、学校では後期が始まった。

 不安はあったが千聡のおかげで無事に生徒達を迎え、笑顔で見送ることができた。

 私に張られた結界は外からの悪影響を防ぐものではなく、私から呪詛が流れ出るのを防ぐためのものらしい。素人目には全く見えないが、ちゃんと機能しているのだろう。今のところ、新たな憑き物は現れていない。

 ただ目に掛かっている呪詛の対処も結界も、毎日改めなければ維持できないものらしい。結果として、仕方ないことではあるが、毎晩千聡を我が家へ迎え入れることになってしまった。

 町へ戻って来いと言わないのは、千聡も分かっているからだろう。あの町が、地域が私を受け入れるわけがない。私は、千聡の傍にはいられないのだ。


「こういうのって、ほんとにあるんすね。ドラマの中だけだと思ってた」

 櫛田は溜め息をつきつつ、私の向かいで栗ごはんを頬張る。

「百合原の家はいろんなとこと太い繋がりがあるからな。百合原が死んだのはともかく、暁の旦那との不倫が広く知られるのはまずいんだろう。噂が流れるのは止められないにしても、捜査であちこちに聞いて回られるのは痛手だ」

 斜向かいで、千聡が豚汁の椀を手に答えた。

 予想もしなかった面子での食卓は、約束したわけではない。元は対処の謝礼として、千聡にだけ食べさせる予定だった。でも病室の荷物を届けに来た櫛田がひどく落ち込んで見えて、そのまま帰せなかったのだ。

「中室さんは抗議してますし、課長も突っぱねてますけどね。まあ、現実的な捜査が難しい事件なのは確かですよ。でも家の体裁を保つために四人死んでるのをなかったことにしようなんて、間違ってます」

 憤懣やるかたない様子の櫛田に頷き、私も栗ごはんへ箸を向けた。

 落ち込みと怒りの理由をまとめれば、簡単だ。百合原家が、これ以上事件の捜査をしないよう「お偉いさん」に頼んで現場に圧を掛けてきたらしい。

「私の実家には璃子の両親が来て、口止め料を置いて行ったそうです。ただ、これからのことを考えると心配で。祖父母は口の堅い人達ですけど、二人とも九十を過ぎてるんです。何かあっても、自分達ではどうにかできません。かといってこちらへ呼び寄せれば、勘ぐる人が出てくるでしょうし」

「大丈夫だ。信頼できる若いのに、交代で寝泊まりするよう頼んである。ついでに家の修繕もするよう言ってある」

 不安を口にした私に、千聡は汁椀を置きつつ事もなげに告げた。驚いたが、しそうなことではある。でも私が言わなければ、話さないつもりだったのだろう。「ありがたい」だけでは済まないと、私は知っているからだ。百合原家は檀家総代で、事あるごとに莫大な寄付をしていた。

「ありがとう。でも日羽を庇うな、私を守るなって、お寺にも圧力掛かったんじゃないの」

「問題ない、住職の許しは得た」

 え、と驚きはしたが「住職」だ。先代の血を継いだのは、住職ではない。

 先代には娘が三人、住職を婿として迎え入れたのは長女だった。奥様は二人目の娘を産んだ十年後、四十を過ぎてから千聡を産んだ。

「奥様は、なんて?」

 控えめな私の問いにも千聡は眉一つ動かさず、ご飯茶碗を掴む。

「あの人は、俺が何をしても気に入らない」

 「何をしても」ではない。檀家四百軒を抱える古刹のたった一人の跡継ぎが三十になっても結婚せず、こんなところで栗ごはんを食べているからだ。

「それで、今後の捜査はどうなりそうなんだ」

 都合が悪くなったからだろう、千聡は素知らぬ顔で話題を変えた。逃げたな。

「まだ分かんないです。ただうちの課長、キャリアで若いんですけどキレッキレなんですよ。食い下がってくれると信じてます」

「捜査、続けられるといいですね。私も、できることがあれば協力しますので」

 既に関係者なのだから、協力は「せざるを得ない」ものかもしれない。それでも、できる限りは快く力を貸せる関係でありたいとは思っている。

「良かったです。この前無理やり聞き出してしまったのが、気になってて」

 櫛田は明らかに安堵した表情を浮かべ、豚汁の椀に視線を落とす。もう半分以上減っているから、多分おかわりが必要だろう。多めに作っておいて良かった。

「嫌われるのが仕事みたいなとこはありますけど、つらい時もあるんですよ。俺も早く、中室さんみたいに図太くなれたらいいんですけど」

 刑事になってから、まだそれほど経っていないのか。櫛田は、中室に比べればかなり線が細い。

「私も、生徒の相談に乗ると未だ一緒に凹んでしまうんです。一線を引かなきゃいけないのは分かってるんですけど、難しくて。何を聞いても冷静にアドバイスできる重鎮に、早くなりたいですね」

「慣れと無関心は紙一重だぞ」

 差し込まれた千聡の声に、二人揃って手を止め視線を向ける。

「こっちはこなせば慣れていくけど、相手は初めての犯罪被害だったり大学受験だったり葬式だったりする。どうせ一緒だからって、家族の葬式に坊主がCDで読経を済ませたら軽んじられたと思うだろ。こっちにとっては百分の一でも向こうは一分の一、『自分だけの特別で大事なこと』なんだよ。『私』の犯罪被害、『私』の大学受験、『私の家族』の葬式だ。それを忘れないでいる方が、慣れるより大変だぞ」

 そんな、まともな説教もできたのか。良かった、ちゃんとした僧侶に。

「俺も初心を忘れないように、一度目はちゃんと言って聞かすからな。殴るのは二度目からだ」

 なっていなかった。

「ほんとに、殴ってるんすか」

「ああ。今のとこはまだ、正当防衛で御仏の慈悲を叩き込んだくらいだけどな。ほとんどの方は一度で実によく言うことを聞いてくださるから、殴る必要がない」

 ふふ、と笑む千聡に得も言われぬ圧を感じて、溜め息をつく。まあ同世代の輩は昔殴られているか殴られたのを見たか、とにかく千聡の凄まじさを知っている。

――あいつ、陰でなんて呼ばれてるか知ってるか。「日羽の狂犬」だぞ。いくら成績が良くても、この素行じゃ行ける高校は限られる。こんなことで殴らないように、ちゃんと言って聞かせなさい。

 教師達はいつも、私を腐した連中ではなく千聡をどうにかしようとした。私を腐す連中はたくさんいるし腐されるのも「こんなこと」だったから、一人で立ち向かう千聡が常に悪とされたのだ。

「昔はよく、腫れた手を見て泣いたね。悔しくて」

 あの頃より大きく分厚くなった手に過去の痕跡は見えないが、一時は腫れが収まる暇もないほど殴り続けた。私のせいでも千聡のせいでも、ましてや殺された両親のせいでもない。全ては嘘を垂れ流し、それを信じた無責任な連中のせいだったのに。

――気にすんな。殴らなかったら、俺は死んでも後悔する。

 千聡の慰めには、いつも同じ優しさがあった。

「俺がしたくてしたことだ」

 久しぶりに聞く優しさに込み上がるものを抑え、豚汁を啜る。それでも胸に残る鈍い痛みに、視線を落とした。



 櫛田から中室を伴った来訪を告げるメールが届いたのは、翌日の昼休憩だった。二人揃ってくるのは、何か理由があるからだろう。櫛田曰くの「キレッキレの課長」が、何か考えついたのかもしれない。あちこちに手を回して情報統制をしたのは、多分その人だろう。

 病院での一件は「計画停電に備えた非常用電源の稼働訓練中に、人為的ミスによる誤作動が起きた」ことになっていた。ただそれも事件翌日の地元新聞の三面にひっそり『市立病院で電源トラブル』と掲載されたのみで、今も続報はない。警察署の方に至っては完全に黙殺されているらしく、一切流れてこなかった。

 葬儀を終えた千聡の話では、加東の死因は心臓発作となっていたらしい。澤田も同じだろうか。

 私を恨んだ過去はどうあれ、私への呪詛が巻き込んだのも事実だ。命を奪うほどの罰が正しかったのか、私には判断できない。死後に生前の罪を映す浄玻璃の鏡は魂を平等に扱うが、多少融通も利くと言う。何もできないなりに取り成しを願って、手を合わせておいた。

 ただやっぱり璃子には、まだ。

――こんなことして、人として恥ずかしくないの?

 私の教科書類が掃除バケツの中でずぶ濡れになっていた時、ためらいなく手を突っ込んで救い出してくれたのは璃子だった。美しい眉を顰めて、うろたえる女子グループを睨みつけた。

 璃子はいつも、私の味方をしてくれた。私の机に花が供えられれば教壇へ移し、落書きされれば自らの手で倉庫へ取り替えに行こうとした。

――許せないの、当たり前でしょ? 卑怯なことする人、大嫌いなの。

 礼を言う私に、璃子は笑みで答えて頭を横に振った。毅然として思いやりがあって、美しさだけはとても追いつけなかったが、せめて心だけは璃子のようであろうと誓った。

 それなのに。

 再び揺れた携帯を、弁当の蓋を閉じつつ横目で確認する。てっきり櫛田からの返信かと思ったそれは、朝晴からのメッセージだった。

 『今日の夜、離婚届持って行くよ』

 ……馬鹿、なんだろうな。今となっては疎ましくて仕方のない指輪を眺め、溜め息をつく。自分がこれほど切り替えの早い人間だとは思わなかったが、もう、本当に無理だ。不倫の挙げ句に我が子を見捨てる父親が一時でも夫だったなんて、後悔しかない。

 郵送しろと言ったのに持参するのは、不毛な「話し合い」をするためだろう。

 多分、中室に脅されて離婚届はちゃんと書いたが、どうせ「書くとは言ったけど出すとは言ってない」とか「話し合いをしないまま出せない」とか。考えただけで疲労感が増す。

 仕方ない、今日は三枚岩で対応してもらおう。

 『主人が今夜離婚届を持って来るそうなので、来たついでに助けてもらえませんか』

 櫛田に追加で送信すると、一分も経たず返信が来る。

 『もちろんです 中室さんがキレてるので任せてください』

 うわあ、と思わず小さく漏れた声を飲み込む。

 心強い言葉ではあったが、一瞬、朝晴に同情してしまった。まあ、ここまで来たら非情に徹す方がいいのかもしれない。櫛田に短い礼を返し、五限目の準備に取り掛かった。

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