情報の整理

 Web小説では分かりやすさが重要、ということで、情報の整理について考えてみましょう。

 大学のレポート課題でも会社のプレゼン準備でもよく言われることですが、分かりやすく話をするときの基本は、主旨や主張を最初に提示して、徐々に具体的な細かい情報を加えていくことです。


 もちろん、小説を書くことを考えた場合、この書き方は決して万能ではありません。一般的な随筆エッセイの書き方とも真逆と言えます。

 Web小説はWeb小説を求めている人に読まれるものですから、あまりかたい文体では敬遠されてしまうでしょう。

 しかし、だからといって、情報伝達の基本を無視して良いという話にはなりません。


 分かりやすい書き方の好例として、夏目漱石の『三四郎』冒頭部分を、少し長くなりますが、ご紹介したいと思います。


――――

 うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂とんきょうな声を出して駆け込んで来て、いきなりはだをぬいだと思ったら背中におきゅうのあとがいっぱいあったので、三四郎さんしろうの記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。

 女とは京都からの相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州きゅうしゅういろであった。

(夏目漱石『三四郎』、冒頭)

――――


 まず注目したいのは、第1文の主語が「女は」であることです。

 そう、格助詞「は」が使われています。

 当然ながら「いつのまにか、隣のじいさんと話を始めている」という少し残念そうな描写もまた効果的なのですが、実はこの主語を見るだけで、主人公(=三四郎)にとって「女」の存在が新しいものではなく、この文より前の時点から気にかけていることが分かります。

 ここで読者は、主人公とこの「女」の関係が、本文によって語られることを期待します。


 そこに、予想に反して、「じいさん」の話が始まります。

 ですが、この「じいさん」を重要キャラだと思い、彼の描写をじっくり読む読者はいません。

 なぜでしょうか。

 書き手の立場から、注目しておきたい技術的なポイントは3つ。


 1つ目は、先ほど見た通り、第1文の主語が「女は」だったことです。

 2つ目は、改行がないことです。分かりやすい文章では、基本的に1つの段落には1つの話題を書くものですから(Web小説はその限りではありませんが)、この時点で、「じいさん」の話はメインではなくサブ以下であり、手早く片付けられることが察せられます。

 3つ目は、最初に「このじいさんは……いなか者である」と明言されることです。一般的に、仲良くなりたい相手のことを「いなか者」とは呼びませんから、三四郎が彼に興味を持っていないことが分かります。


 言ってしまえば、「じいさん」は舞台に奥行きを持たせる背景美術くらいの意味しかないことが、文章から読み取れるわけです。

 重要な情報とそうでない情報を区別できるように書かれているので、読者も、一言一句に気を遣いながら読む必要はないと察することができます。


 とはいえ、もちろん、背景美術も作品世界を構成する大事な要素であり、果たすべき役割を負っています。

 だからこそ、このモブの「じいさん」も、ただそこにいるだけのにぎやかしではなく、人間としての厚みを感じさせるキャラクターになっています。


 「じいさん」が「発車まぎわに頓狂とんきょうな声を出して……」とありますが、直前に「いなか者である」と明言されているので、そこまで唐突な印象はないと思います。

 仮に「じいさん」の具体的なエピソードを書いてから、「どうやらいなか者のようだ」と書くと、読者の中に「じいさん」の事情を心配する人が現れかねませんし、三四郎が彼に関心を持ってじっくり観察していたような誤解が生じるかもしれません。

 最初に人柄についての端的な評価を持ってきているおかげで、モブにしてはやや長い描写も、すらりと読めるようになっています。


 また、Web小説を念頭に置いて考えたときに少し意外なのは、モブにしては妙にイキイキとしたこの「じいさん」について、外見的特徴は一切書かれていないということです。

 我々(というか私)は、人物を描写しようとするとつい外見について書きがちですが、そのキャラクターがどんな人物であるかを読者の前に提示するとき、それは絶対的な要素ではありません。

 「前歯が欠けている」とか「服が汚れている」とかよりも、「あわただしく汽車に乗り込んできて、人目もはばからず汗をき始めた」という一幕を描いた方が、そこに人間がいるという臨場感が出るわけです。


 さて、段落が変わって、いよいよ「女」の話に入ります。

 ここでも、早い段階で「乗った時から三四郎の目についた」と書かれているおかげで、彼女とその外見について三四郎視点であれこれ言い始めることにも違和感がありません。

 小説としてうまいのは、先に紹介した「じいさん」を三四郎視点で「いなか者」と言っているおかげで、三四郎と「女」はそうではない、という対比がされていることです。

 きっと三四郎は「女」について何か洗練された印象を語るでしょうし、それによって読者も徐々に三四郎と「女」に興味を持つであろうことを、読者自身に期待させるわけですね。


 引用部分はひとまず第2段落で終えたのですが、実はこの後に2つ段落を使って「女」の品評を続けます。

 引用した部分までだと、読者としてはまだまだ三四郎の人柄も「女」のそれも全容は分からず、感情移入もしにくいと思いますが、「女」について語る中で三四郎の人柄も明らかになってきます。

 また、第三人称の地の文が、時に三四郎に視点を重ねながら、時にユーモアと皮肉をもって彼にツッコミを入れながら、物語を描写していきます。


 以上のように、数々の目配りと工夫があって、登場人物たちが人間味を帯び、作品世界の中へ中へと、読者は誘われていくわけです。

 分かりやすい文章を書くための工夫は様々さまざま考えられますので、文章チェックの際にも、情報の整理を意識してみてください。

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