第2話 抱擁

―ザッザッザッザッ…


吐き気を抑えながら、女騎士の腕の中でじっと息を潜めていると、次第に近づいてくる足の音が聞こえてきた。


そして、髪を乱し大きく息を切らした小太りの中年女が姿を現した。


「…はぁ…はぁ…。…あ、あのぅ、騎士様が何のご用でしょうか?…ッ!そ、その子供は、さ、最近仕入れた奴隷で……」


女騎士は、右手を中年女に向け魔法陣を展開する。


氷魔法

―「”アイスプリズン(氷の牢獄)”」―


中年女は、氷の檻に一瞬で閉じ込められた。


「ヒャァァッ!…わ…ワタシは……」


中年女は震えながら座り込んだ。


女騎士は、私を抱えたまま氷の牢獄にとらわれた中年女を冷たく見下ろした。


「もう隠さなくても良い。さっき、“鑑定のスクロール”を使わせてもらった。二度は言わんぞ。今すぐ、この御方の“隷属の首輪”を解除しろ。」


怒りを宿した視線に耐えながら中年女は、ようやく声を振り絞った。


「わ、ワタシの…安全を…保証して…いただけるのならば…ヒィィィィィッ!」


顔から一切の感情がなくなった女騎士の表情に、中年女は悲鳴をあげた。


女騎士は氷の牢獄にゆっくりと顔を近づけると、中年女の目を覗きこむ。


「お前は大罪人だ。身の安全などするわけがないだろう。”隷属の首輪”の解除など、契約者を始末して闇魔法使いに依頼すれば、簡単に済むのだ。腐った交渉をするのは、我々の怒りを増大させる効果しかない。わかったら、さっさと言う通りにしろ…。怒りを抑えるだけでも身体中の血管が切れそうだ。」


顔を青くしながら首を横に振る中年女に、女騎士は容赦なく殺気を浴びせ続ける。


「ヒィィィィィぃぃぃぃぃッ!わかりましたッ!わかりましたッ!」


中年女は観念したのか、腰につけている鍵をおずおずと女騎士に差し出した。


「やはり、お前が契約者だったか…。」


―バシッ


女騎士が鍵を受け取ると、私の“隷属の首輪”の鍵穴に差し込んだ。


「御嬢様、失礼します。…おい…大罪人…。何をしている?さっさと”リリース(解放)”しろ。」


中年女が震える声で呪文を唱える。


「…ひぃ…り、”リリース(解放)”…」


―パリンッ…


私の首に嵌められている首輪がキレイに二つに割れて地面に落ちた。


パアァ―


…隷属から解放された?…


視界が完全にクリアになり、色が戻った世界に一瞬戸惑う。


女騎士は、地面に落ちた首輪を回収している男騎士に指示を出す。


「オレルアン。その大罪人も領都へ連れて行いくぞ。今回の件に関わった者を聞き出して、一人残らず御嬢様が味わった以上の苦痛を死ぬまで与える。もちろん、女子供関係無くだ。」


女騎士の言葉に、中年女があわてて声をあげる。


「ご、誤解でございますッ!ワタシ達は、お嬢様を大切に育てて参りましたッ!お、お嬢様ッ!そうですよねッ!そうだと言ってくださぁぁぁぁぁいッ!」


中年女は、すがるような表情で私を見つめてきた。


…”隷属の首輪”が解除されたおかげで、思考がさらにクリアになって状況が理解できてきた。…


私は、吐き気を堪えながら答える。


「ごはんは…3日に一回…カビだらけの…パンひとつ…だけ。ねむるとき…以外は…強制労働と…拷問。耐性スキル…がなければ、…とっくに…死んでいた。」


―…


その場にいた全員が息を呑んだ。


中年女が急に立ち上がり、こちらを睨み付けて大声を張り上げる。


「へへっ…。お嬢様…。冗談はやめてくださいよぅ…。育ててもらった恩がありますよねぇ。ワタシの言うことを、よぉぉぉくッ!聞いてくださいと教えてさしあげましたよねぇ?さぁッ!もう一度聞きますよッ!大切に育てましたよねぇぁぁぁッ?おいぃぃぃぃぃぃぃッ!」


…もう従う理由はない。…


私は、落ち着いて繰り返す。


「ごはんは3日に一回…カビだらけのパンひとつだけ。ねむるとき以外は…強制労働と拷問。…これが大切に育てたというのであれば…、このヒトに…大切に育てられた…。…このヒトだけじゃない…、…このヒトの家族…親戚…、そして…拷問”客”達に…本当に大切に育てられた…。」


―ヒュゥ…


中年女は、ショックのあまり卒倒した。


…さて、ここからが勝負だ。…


ショックのあまり立ち尽くす女騎士の拘束からスルリと脱け出して地面に着地すると、女騎士に向かって頭を下げる。


「騎士様…、隷属からの解放…感謝します…。突然…ですが…お願い…あります。…これから…自由に生きたい…。どうか…私を…ここで…死んだことに…して…逃がして…くれませんか?…新しいところに…連れて…いかれても…良い未来が…想像できない…のです。」


女騎士は驚いた表情をした後、悲痛な表情になり首を静かに横に振った。


「…シーラお嬢様。お助けするのが遅くなってしまい、本当に申し訳ありませんでした。しかし、ご安心ください。情勢が安定し、ようやくシーラお嬢様を安全にお迎えする準備が整ったのです。これからは、何一つ生活を脅かされることなく暮らせることをお約束いたします。故に、そのような世捨人のような台詞を仰らなくとも良いのです。」


…やはりダメだ。人と話していると気分が悪くなる。…


更に、深く頭を下げて再度お願いをする。


「正直に…言います。長期間…人間の…悪意に触れて…もう…心が…壊れて…しまった…のです。これでは…人の世では…生きていけません。どうか…私を自由に……」


「御嬢様ッ!」


話の途中で、目に涙をためた女騎士から再度抱き締められた。


……ダメか。…しかし、人のぬくもりは…本当に気持ち悪い。やはり、人の世で生活するのは無理だ。この人達に連れていかれたら、どっぷり人の世界に入ってしまう。目的地に到着する前に、なんとか隙をついて逃げ出せないか。…


とりあえず、女騎士の抱擁を止めさせようと試みる。


「人に…触れられると…苦しく…なります。…お願いです。…やめて…ください。」


お願いは聞き入れられなかった。


むしろ、抱き締める力が強くなった。


「御嬢様。はじめは、お辛いかもしれませんが、これからは人の温かさを知っていきましょう。それがきっと、貴女様の幸せにも繋がると思うのです。」


…壊れたものは、元には戻らない。…


私は吐き気を抑えながら、逃げ出す計画を立て始めるのだった。

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