48.「高い塔の男」

「僕の名前はレイ・アローン、ラザロ3環境分析官だ。ネームプレートに全部書いてあるけど……出身はマサチューセッツ、MITを卒業したんだ。その後色々あって軍部に行って、ラザロ計画に志願した。ラザロ3号はこの有様だけど――」


 アローンがつらつらとホワイトボードに自己紹介を書き連ねていく。それはまるで学校の講義のようだった。


「好きな食べ物はチョコドーナツかな、お酒は飲まないよ。身体に悪いし酔うと思考がぼやけるし……ああでも洋酒入りお菓子は好きだよ。この世界にもあるのかな? 中々出歩かないからね、僕は。言葉も通じないし、あまり言いたくないけどこの辺りの人は野蛮だしさ――もしかして、僕の話は退屈かな?」


 アローンの話に興味を持っていないのがバレたようだ。あなたはパイプ椅子の手摺に肘を突き、全身全霊で“興味がない”と示しているので当然と言えば当然だが。


 この世界で別の世界の人間――あなたと同じであろう世界から来た人間と会えたのは驚きだが、別に世間話をしたかったわけではない。あなたが聞きたいのは、どうやってここに来たのか。ここで何をしているのか。そういった建設的な話だ。


「それもそうだね、それじゃあ……待てここは禁煙だ!」


 退屈の友に煙草を誘おうとしたあなただが、激しい口調で止められた。僅かに驚いたあなたに、アーロンが申し訳なさそうに言った。


「ごめんよ、換気システムが不調でさ。でも吸える場所はあるから、案内するよ」


 アローンに続き部屋の外、廊下を右に曲がって奥――つまり塔の上部へ向かって壁を歩く。当然、壁の掲示物や固定された器具は全て九十度傾いている。気の狂いそうな光景だ。


 一体何がどうトチ狂ってこうなっているのか見当もつかない。


「重力制御システムの設定を変更しただけだよ。宇宙では方向の概念が希薄だからね」


 案内されたのは先程の部屋と同じような場所だった。しかし、ここは壁に大穴が開き、豊かな大自然を一望できる。


 あなたはようやく煙草に火を付けることができた。爽やかな風が吹いて、紫煙が散る。隣でアローンがむせ返った。


「……それでその、確認したいんだが、君の出身地もアメリカ連合国なんだよね? 正直今でも信じられないけど」


 間違いなく、そうだ。ただ不思議なのは――異世界転移以上の不思議もないが――あなたとアローンでは元いた時間が違うように思えることだ。


 あなたはマサチューセッツを知っているし、MITなる建物も知っている。しかし前者は爆心地の一つ、完全な廃墟で後者も同様である。とても学業など修められる場所ではない。


 そもアローンはどうやってこの世界に来たのか。それが一番聞きたいことだ。


「プロキシマ・ケンタウリbってエリアを目指して半年経った頃だったかな、船が超高エネルギーに衝突したんだ。真空が崩壊したような凄まじい……320EeVを超えるような物だった。それ程のエネルギーを受けるとあらゆる物体は崩壊する筈なんだけど、どういう訳かこのラザロ3は生き残った」


 そうしてこの世界に来た。あるいは墜落した。


「そういうこと。気付くと船は推力を失ってて船内には僕一人。僕は操縦士じゃないから立て直せるわけもなく、あれよあれよと地面に突き刺さったってわけ」


 砂の民が塔と呼んでいた物は、実際には宇宙船だった。何とも馬鹿馬鹿しく、荒唐無稽ではないか。一体砂の民にどう説明したものか……あなたは今から頭が痛くなった。そもそも、説明云々の前に宇宙船を、宇宙を知っているかすら怪しい。


「説明って、誰かの使いでここに来たのかい?」


 あなたは事のあらましを説明した。過程はどうあれ、とにかく仕事をやりとげなければ厄介なことになる。


「ふむ……それなら協力できると思うよ。つまりこの船を破壊したと思わせればいいんだろう? それなら自己消失機構と記憶処理剤の併用で対応できる。近づくまで船の姿は見えなかっただろう、あれは自己消失機構で処理しているからさ。物理的ではなく、存在的なステルスだよ」


 どちらも物騒な単語だ。特に後者は……人の記憶に手を加えるのは、あなたは感心しない。あなたは下の階で睡眠ガスで眠らされたカレンやメイベルの姿を思い出す。


「科学的にノーリスクだと証明されているよ、大丈夫。それより今度は君の話を聞きたいな、出身地とか。名前もまだ聞いてないし」


 あなたの産まれはウェイストランドであり、名前はどうでもいい。ウェイストランドには地名など存在しない。最早国家自体が存在しないのだから。


「ちょっと待てよ……話が食い違ってる。君は何年生まれだ? 僕は一九九八年だけど」


 正確には定かではないが、二一六六年だと記憶している。


 ――どうやら不都合な真実を告げなければならないとあなたは思った。


 アローンは世界が滅んだことを知らないようだ。結局全ての試みは失敗し、あらゆる努力は水泡に帰した。残ったのは永遠の汚染と白い灰のみ。ラザロもノアもSDIも、全て徒労に終わった。


「――おお、神よ。なんてことだ……」


 言い忘れたが、多分神も死んだ。あなたはそう付け加えた。


「じゃあ、じゃあだよ。仮に元の世界に帰れたとして、そこに僕の故郷はないってことかい」


 故郷の範囲を母なる地球にまで拡大すれば、故郷はある。しかし概念としての国家は存在しない。それをどう受け取るかはアローン次第だ。


「向こうにはチョコドーナツもなし? 感謝祭も?」


 あなたは一からウェイストランドを説明してやらなければならなかった。


 全ての期待を最悪な方向に裏切る世界。灰色の死の大地。地獄の窯さえ凍り付くコキュートス……当然チョコドーナツも感謝祭もありはしない。


 あらゆる面でこの世界の方が充実している。この世界には全てがある。緑溢れる生きた大地。ウェイストランダーにとってのユートピア。感謝祭だってあるし、工夫によってはチョコドーナツも作れるかもしれない。


「……負けたのかい、僕たちは」


 間違ってはいないが、正しい表現ではない。初めから勝者など存在しない戦争だったのだ。負けたのは人類だ。己との闘い、内に潜む愚かさとの戦いに負けたのだ。


 ただ、何も悲観することはないとあなたは思う。


 どのような因果でこの世界を訪れたか知らないが、ここには全てがある。求めたって手に入りようがなかったものが、ここでは手に入る。それを噛みしめてここで生きていれば良い。


 アローンはこの世界の言葉が分からないらしいが、それも学べばいい。メイベルとカレンに事情を説明すればきっと分かってくれるし、言葉だって教えてくるはずだ。あなたと違ってアローンは賢そうだし。


 あなたは普段他人の面倒を見たりしないが、同じ世界出身のよしみとして旅の仲間に加えても良いとまで考えている。


 こんな薄暗い塔に引きこもってないで、外へ出るべきだ。外には知らないことが沢山ある。楽しいことばかりではないが、苦痛はウェイストランドよりずっと少ない。


「――君の申し出はありがたいよ。でも、僕は元の世界に帰るって決めたんだ」


 あなたは本気で理解できなかった。アローンほど頭の回る――彼を詳しく知らないが――男が、なぜ地獄に戻ろうとするのか。最早知っている大地ではないと、何故分からない?


「理解して貰おうとは思ってないよ。もう決めたんだ――折角、元の世界に帰る鍵を見つけたところだしね」


 一瞬、あなたは時が止まる感覚を覚える。聞き捨てならない言葉だ。

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