44.「偶発」

 体内時計があなたに起床を促した。起きると、確かに雨が降っていた。小雨ではあるが、地面の濡れ具合を見るに結構長く降っているらしい。


 あなたは幌馬車の客室の下から這い出て、周囲を見渡した。


「おはようございます」

「おはよー……」


 二人とも先に起きていたようだ。カレンは昨日の残りのコンポートを温め、メイベルは寝ぼけ眼で首を鳴らしていた。誰が作ったのか――恐らくカレンだろうが――いつの間にか幌馬車と木の間に簡易的な布の屋根が設けられていて、ダッチオーブンが濡れないよう覆われている。


「眠れましたか? あんな所で……」


 とカレンに聞かれたので、あなたは寝床を振り返った。


 昨日は二人が寝静まった後もしばらく夜空を眺めていた。それからぼんやりと睡魔がやって来たので寝たのだが、雨が降りそうとの事であなたは幌馬車の下に潜ったのだ。


 そこらに無防備で転がるより安心感があるし、何より雨から身を守れる。濡れた地面へは毛皮のロールマットを敷きポンチョに包まることで対策した。寝袋を使わなかったのは、有事の際に素早く対応するためだ。カレン宅の外で寝た時は人里だったので寝袋を使えたが、ここは危険な野外である。


 いかなる場合でもロールマットは必要だ。地面に直接横たわると、猛烈な勢いで体温が奪われ、初夏であっても下手をすれば低体温症になってしまう……冷間な土地では尚更に。


 経験豊富なあなたにとって、この程度の野営は慣れたものだ。


「朝は昨日の残り?」

「ええ、朝の果物は身体に良いそうですよ」

「ありがと、朝の支度してくるわ」


 メイベルはローブを羽織ると、ポケットに手を入れて近くの川へと向かった。あなたも歯磨き用の木の枝をバックパックから取り出し、続いて支度を行った。


 シロアッフの用意した荷物に乾パンしか主食が入っていなかった事にメイベルが愚痴を吐く等の一幕もあったが、無事にあなた達は出発した。


 二頭の馬にも餌を与え、準備は万全だ。


「で、この道を道なりに進めば良いんですね」

「ええ、昨日ぐらいのペースで行けば夕方までには着くわ」


 順調な滑り出しを見せた矢先、あなたの視界に木の看板が現れた。見ると、『これより先王都管轄外、各自警戒せよ』と赤い塗料で大きく記されている。


「……だってさ、見たわね」

「大丈夫です、腕利きの護衛がいますから!」


 カレンが笑顔を浮かべてあなたを見ている。期待に応えねばならないと、あなたは帽子のつばを整えた。相変わらず雨は降り続き視界を曇らせているが、帽子もコートも撥水加工が施されている。これで衣服が濡れる不快感に邪魔される事なく仕事ができるだろう。この程度の雨なら嗅覚も生物の接近を感知できるはずだ。


 ちなみにカレンはあなたから借りたポンチョを被っている。彼女が身に着けている革鎧にも撥水効果はあるが、ゴアテックス製のポンチョの方が遥かに優れている。緑と黒を基調としたデジタル迷彩はこの世界で浮いているが、実用的だ。


 なお、メイベルは客室に座り地図とのにらめっこを継続している。


 二頭の馬は速足で体力を温存しつつ進んでいるが、未舗装の道と緩衝もへったくれもない木製の車輪の組み合わせでそれなりに揺れる。あなたはまだ若いが、長くこうしていると腰を痛めそうだ。この調子で仕事が続くのなら、どこかでクッションを調達しようとあなたは心に決めた。


「ねぇカレン、雨がどのくらい続くか分かる?」

「んー……」


 カレンが手綱を手に天を仰ぐ。


「しばらくは続くでしょうね、正確な時間は分かりません」

「そっか……ところでさ、どうやって天気見てんの?」


 あなたも興味を引かれたので、左手を腰に差したラッパ銃のグリップに添えたまま耳を傾けた。


 サバイバーとして恥じるべきだが、あなたに天候を読む能力はない。何故なら、ウェイストランドでは雪と雨と酸性雨しか天気がなかったのだ。そのいずれも強烈で、特に酸性雨に至ってはコンクリートの色が変わる程度では済まず、物理的に肉体が溶解するほど強い。


 完全に歯車の狂ってしまった世界であるが故、天候を読もうなどと思う者はいなかったし、不可能だったのだ。


「主に雲と風、特に雲の形をよく観察します。ただ、技術上雨が止む時間を当てるのは苦手なんですよ。いつ降るかは予測しやすいのですが」

「ふーん、晴れ間にかかる雲なんかが得意分野ってわけ」

「そういうことです。例えば……空の上層に小さくて丸い、綿みたいな白雲が浮いているとします。それは巻積雲と言って、しばらくは晴れが続きます」


 あなたは空を見上げる。厚い鈍色の雲は切れ間なく水平線まで続き、青空を重く閉ざしていた。何の変化もない停滞した空だ。


 目線を右に逸らすと、低空で幾つかの黒い点がくるくると不規則に周回しているのを発見した。それが猛禽の群れであると気付くと、あなたは意識を緊張させた。すぐに二人に伝え、指示を仰ぐ。


「あれは……カラスね」

「この道を少し進んで右に逸れた辺りですね。メイベルさん、どうします」

「無視して進むわ。勿論警戒は強化して」


 カラスは理由なく集まったりしない。群れを成す理由が必ずある。


「死体ですよね、多分」

「見慣れたもんよ」

「まあそれはそうですけど、生き残りの方とかいたら……」

「どうするかは時と場合によるわ」


 真っ先に思い浮かんだのは死体だ。何の生物か定かではないが、死体が転がっている可能性が高い。仮に生き残りがいたとして、その処遇は考える余地がある。


 手当してやっても良いが、王都まで送ってやる時間はない。あなた達はラフな感じでやっているが、これは一応国家の重要任務なのだ。事と次第によっては、通りざまに車輪で轢いて現世から解放してやるのが手っ取り早く思える。


 臨戦態勢のあなた達を乗せた幌馬車は道を進む。周囲にはぽつぽつと木が生えている。それぞれの感覚はそれほど広くないものの、絶妙に視界を遮っており見通しが悪い。


 これでは奇襲を受け放題、あなたは下車して警戒しようとした。古今東西、戦地を進む車両には随伴歩兵がセットと決まっている。


 その時、あなたの嗅覚を殺人的な腐臭が襲った。


「うぇぇ……」

「人間の死体の臭いじゃないわ。あんた、分かるわね?」


 呼吸を抑えているのか、メイベルが鼻声気味で問うた。


 臭いの記憶は脳に深く刻み込まれる。あまりにも強烈だったので、思い出すのに時間はかからなかった。


 グールのレバーだ。一部の物好きが高値で買い取ると言っていた。とすると、この先に旅人か物好きがいるのだろうか。


 何はともあれ警戒しなければ。あなたが幌馬車から降りかけた時、襟を強く引かれた。振り返るとカレンが腕を伸ばしていて、あなたの耳元で一言。


「左側、木の上に一人こっちを見ています」


 あなたは目線を向けず、気付かないふりをした。車輪の軸に乗せた左足を戻し、客室のメイベルに状況を伝える。すると彼女はローブのフードを被り、傍らの杖を掴んで無言のままカレンの隣へ躍り出た。多少なりとも作戦会議があると思っていたあなたは出遅れ、ラッパ銃片手に客室から顔を覗かせる。


「ちょい、そこの!」


 メイベルの叫び声が木霊した。あなたが先程人影を見た場所に目を向けると、そこは既に誰もいない。


 すると、男の声が聞こえた。


「看板は見ただろう、ここは王都管轄外。我々の行動に制限はさせない」

「随分高いとこから話してくれるじゃない。それが初対面の人間に対する態度?」


 声を追ってその主を見つけた。粗雑な金属鎧を身に着け、弓矢を携えた一人の男が木の上に立っている。一人だとは思えなかったが、この悪臭であなたの嗅覚は機能不全を起こしていた。


「名乗れと言うからにはそちらから名乗れ」

「……ちょっとこの先に用があるだけの行商人よ。あんたらの邪魔はしないわ」

「利害の衝突が無いようで幸い。早く立ち去れ」

「そっちの名前を言いなさい、このボンクラ」


 男が微笑を浮かべるのが見えた。そして、男は言った。


「私は砂の民、その一員。これで満足か?」

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