32.「フロントライン」

 静謐な森に鋭い笛の音が長音で二度響き渡る。まるで、一次大戦の突撃号令のように。


 しかし、殺到したのは銃剣を構えた兵士たちではなく、血のように真っ赤な魔術弾だった。


「後退する! 身を隠せ!」


 エゴールが両手で拳銃を一発ずつ放ち、叫んだ。 


「レフはどうした!」

「諦めろ!」


 その魔術弾はメイベルの物と比べると幾分小さいが、破壊力は互角かそれ以上。地面に着弾すれば熱と閃光を伴って弾け、木に着弾すれば樹齢数十年はありそうな太い幹を砂糖菓子を齧るような容易さで砕いてしまう。そうして倒れた木々が、撤退をより困難なものとしていた。


 あなたはブラスターガンを握り、状況の把握に努めていた。


 一体何が起こっている? 簡単だ。レフの足元の死体が爆発し、それから間を置かずしてこうなった。たった数秒、瞬く間に全滅の危機に晒されている。


「アクサナ、発煙弾を使え!」

「りょ、了解!」


 あなたの隣で倒木に身を隠していた少女がエゴールの命を受け、野球ボール大のガラス球を握り締め上体を起こして投げようとした。そんなことをすれば格好の的になってしまうのは明らかで、健闘虚しく少女は身体に複数の魔術弾を浴び、一瞬で砕け散った。降り注ぐ肉片と脳漿があなたを汚す。


 あなたは口元に付着した少女の甘美な血を舐め、先程の光景から可能な限りで情報を整理していた。


 少女が撃たれた時、他の場所に攻撃は行われなかった。この攻撃をレニーの仕業だとして、奴が撃てるのは一方向だけだ。連装砲ってわけじゃない。


 発射音はサプレッサーを装着した銃声に近く、耳元を掠めれば擦過音がする。


 発射速度は見た限りではおおよそ一分間に七百発。これはあなたの知る機関銃に近しい値だ。


 例えるなら、全弾が赤い曳光弾の重機関銃。


 弓矢や単発銃で対抗するのは良い考えではない。ブラスターガンでなら幾らか勝負になるだろうが、あなたはセミオートで向こうはフルオートだ。一般常識に当てはめれば、あなたが圧倒的に不利である。


「おい、そこの!」


 ユーリが声を張り上げた。あなたは伏せたまま顔だけを向ける。


「早く発煙弾を投げろ!」


 恐らく先程の少女が手にしていたガラス球だろう。


 足元を少し探せば、それはすぐに見つかった。ヒビが入っているが、幸運にも中身の灰色の液体は零れていない。多分このドロリとした液体が肝要な部分だろう。


 しかし、使い方が分からない。コルクで栓がされているが、外すべきなのか?


「早く投げろ! 叩きつければいいんだ!」


 成程、手榴弾と変わらないなら簡単だ。猛烈な掃射に襲われていなければ。


 あなたはブラスターガンを右手に、発煙弾を左手に伏せてタイミングを窺う。先程の少女の二の舞は御免だ。


 レニーの魔術弾重機関銃――便宜上こう呼ぶ――は舐めるように部隊全体を掃射している。射撃が集中するのは誰かが迂闊に身を晒してしまった時だけで、それ以外は行動を阻害することに集中しているようだ。何となくレニーの慎重さが伺えた。


 この場のルールを支配しているのが向こうである以上、従うしかない。


 赤い魔術弾が連なったレーザーが離れたタイミングであなたは上体を起こし、少し離れた地面に発煙弾を叩きつけた。


 ガラス球は景気よく砕け、散らばった灰色の液体は瞬く間に沸騰、周囲を大量の白煙で包む込む。


「行け行け! 退け!」


 好機到来。相変わらずの雨で滑る足元に注意しつつ、白む視界の中を駆ける。


 背後から笛の音が聞こえる。長音一つに短音一つ。意味が気に掛かるが、そこら中に魔術弾が飛んできている状況では考える暇がない。


 必死の思いで走り、ようやく何人かとの合流を果たした。その中にカレンの姿を見つけ、あなたは安堵する。どうやら目立った傷もなさそうだ。


「何人残った!?」

「後にしろ、何もかも安全を確保してからだ」


 ユーリの問いにエゴールが答える。あなたを除くと、この場にいるのはエゴール、ユーリ、カレンだけだった。まさかこれが全員ではないだろうなと、あなたは僅かに戦く。


「……危ない!」


 あなたは雨音に混じり、背後で僅かに草木が擦れる音を聞き取った。それはカレンも同じだったようで、素早く弓に矢を番え、あなたの顔を掠めるように放った。数瞬の後、男の悲鳴が上がる。


 それを皮切りに五人の男が姿を現した。手にはそれぞれ粗雑な剣や棍棒が握られている。


「回り込まれていたか……構えろ!」


 エゴールが吠える。


 一方が強力な火力で敵を封じ、もう一方が回り込む。これは戦術としては定石だ。レニーという男、なかなか頭が切れるらしい。たが、たった五人ぽっちではあなたを相手取るに不十分である。


 あなたはブラスターガンで瞬く間に二人を無残な肉塊へと変えた。エゴールとユーリが拳銃と弓でそれぞれ一人を射殺し、カレンが最後の一人に長剣を叩きつけた。


 右から袈裟に入った斬撃は肋骨を砕いた後胸骨で止まり、男は力なく両膝を突いた。死体の胸を蹴って長剣を抜いたカレンが言う。


「これで打ち止めですか」

「気を抜くな。機をうかがっているかもしれん」

「随分友達が多いんだな、レニーは」


 ユーリの皮肉を最後に沈黙し警戒。しばらく待っても何も起きなかったので、警戒を少しばかり緩めて自らが置かれた状況の把握に努める。


「で、何人残ったんだ?」

「レフとアクサナが死んだのはこの目で見た。カレンはどうだ」

「ソフィアさんとアリサさん、ポリーナさんが」


 唇を噛みながらカレンが言う。死んでいなくとも、混乱の中はぐれてしまった者もいるだろうとあなたは思う。あれは実際潰走と言って良い惨事だったし。


 こういった場合に備えて合流地点を決めるのは戦術の基本だ。いや、仮にそこで落ち合えたとしても作戦を中止すべきというのがあなたの意見だが。


「合流地点は森の入り口、馬を置いてきた場所だ」

「まさか撤退を?」

「ああ、これ以上の犠牲は払えない」

「……私は行きますよ」


 既に決定事項だと言わんばかりにカレンは言い放った。


「駄目だ、許可できない」

「お言葉ですが、許可を求めた訳ではありません」

「頭に血が上ってるんじゃないか。君らしくもない」


 二人がかりで説得にかかるが、どうも旗色はよろしくない。


 あなたが説得に手を貸さないのは、カレンに行動を委ねているからだ。彼女が撤退するなら共に退く。首を追うなら共に追う。それだけの話。


 さてどう転ぶかと高みの見物を決め込もうとしたあなただったが、鋭敏な聴覚が背後に異音を捉えた。雨音とは違う、何か野生動物がゆっくりと近づいてくるような感じだ。


 あなたは論争を続ける三人に異変を伝えたが、音の正体がレニーの一味だとは思えなかった。ただ一点、奇襲にしては稚拙に過ぎるという理由で。


 先程仕掛けて来た五人組は残念な結果に終わったが、少なくとも静かに接近していた。奇襲を防げたのは主に狩りに慣れたカレンとあなたの功績で、彼らが立てる物音は雨に紛れる程度だったのだ。今聞こえているこれは程遠く、奇襲のきの字も知らないような素人とさえ思える。


「……手負いの獣ですかね」


 カレンの呟きに同意で返す。

 あれだけ派手にやり合ったのだ。獣の二、三匹巻き込んでいても不思議はない。

 しかし、姿を現したのは予想だにしていないものだった。


「――おい、お前ら、歩くのが速ええぞ……」

「レフさん!?」


 これには流石のあなたも驚いた。


 目の前にいるのは間違いなくレフである。息も絶え絶えで這ってこそいるが、彼はレフその人だ。信じがたいことだが、未だにラッパ銃を持っている。


「おいおい、死んだんじゃないのか」

「俺が知るかよ……」

「喋るな。傷に障る」


 ユーリが驚愕に声を震わせ、エゴールが駆け寄って怪我の手当てをする。全身に裂傷が見られるが特に酷いのは右足で、死体に最も近かっただけあって何本かの腱と骨でどうにか繋がっているような状態だ。しかし、なんと五体満足である。


 人体が内側から爆ぜると、それは手榴弾と似たような振る舞いになる。


 人体を構成する骨や歯といった硬質な部品は、鉄の破片と同じように高速で飛翔して人体を加害する。あれ程の至近で――正に目と鼻の先といって差し支えない距離で爆発の直撃を受けて生きていられたのは、最早幸運としか言いようがない。


 ひょっとして、敬遠な宗教徒だったりするのだろうか。食事前にはこっそり祈ってたりして。想像すると少しばかし面白い。


「あのガキが爆発したかと思えばすげぇ魔術が飛んでてよ……巻き込まれちゃかなわんと死んだふりしてたら、お前らからも置いていかれたってわけよ」

「完全に死んだと思ってたよ。すまない」

「謝るのは病院に着いてから頼む。クソ痛てぇんだよ……!」


 これだけ喚けるなら病院まで持つだろう。世の中には不思議なこともあるものだ。


「よし、レフを連れて戻るぞ」

「エゴールさん、私は」


 ごく短い間、エゴールとカレンの視線が交わる。

 そして、どちらかが折れる。


「……好きにしろ。だが、増援は望めんぞ」

「ええ、分かっています。ありがとうございます」


 折れたのはエゴールだった。彼はレフを担ぎ、あなたに視線を合わせる。「お前はどうする」と。答えはとっくに決まっていた。


「そうか。カレンを頼むぞ」

「幸運を祈るよ。どうか神のご加護を」


 エゴールとユーリに適当に手を振って返し、あなたはカレンの隣に立った。あなたが彼女を守るのだ。何があろうと、誰が相手でも。


 カレンは何か言いたげだったが、手で制した。聞くのは後でも良い。


 さて、いざ行かんと一歩を出しかけたあなただったが、レフに声を掛けられて立ち止まる。


 予想外の方向からで少し戸惑う。


「これを持ってけ」


 差し出されたのはラッパ銃と火薬等の一式だった。爆発を喰らってさえ手放さなかった代物である。そんなものを貰っていいのだろうか。


「こいつは……レニーにぶっ放してやろうと思ったが、火薬が湿気って打てなかったんだ。肝心な時に……もう火薬は使わねぇ。これからは弓にする」


 要するに厄介払いである。捨てるのもアレだしどうせならあなたにやろうとか、多分そんな所だろう。


「火薬は新しくしたから、お前のコートで濡れないよう隠してれば撃てるはずだ。可笑しな魔道具を持ってるみてぇだが、手数が多いに越したことはねぇからな」


 恐らくはブラスターガンのことだろう。これは強力な武器だが、いずれは弾切れで撃てなくなる。その日に備えておくのも悪くない。


「カレンを頼むぞ……美人を死なせちゃ罪だからな」


 任せておけ、死なせはしない。

 そうあなたはサムズアップし、来た道へと踵を返した。

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