2.宙を継ぐもの

10.「キャッチ・ザ・レインボー」

 過ぎ去った時は戻らない。あなたは二日酔いで潰した休日を想い、そう感じた。


 あの酒場での惨劇の後、眼を覚ましたあなたはゴミ捨て場に打ち捨てられていたのだ。腐敗して熱を持った生ゴミのお陰で寝心地は思いの外悪くなかったが、屈辱的ではあった。


 起きて直ぐにメイベルとラウラの姿を探そうとしたが、波のように押し寄せる頭痛と吐き気を前にして断念。例の安宿に向かい部屋を取った。


 以前に店主が言った通り、空いていた部屋は日差しの悪い部屋でベッドが妙に湿気ていたが、当時のあなたが睡魔に勝てるはずも無く、結局その部屋で休日を寝て過ごしたのだ。寝る前にダニなどを警戒してシートを引いたのは褒められるべき行動だろう。


 そして今日の朝、体調を万全に整えたあなたはメイベルを、もとい仕事を探し街に出たのだ。


 とは言え、彼女は消息不明だ。あなたが止まっている安宿にも彼女はいなかった。何処かで生きていると良いのだが。


 少しづつアルハンスクも温かくなってきた。まだ上着を手放せる程ではないが、トレンチコートの前を閉め切ると熱すぎる。ファッションの難しい季節だ――あなたは服など殆ど持っていないが。


 大小様々な船が行き来する様子を見ながら港沿いを歩いていると、何やら香ばしい香りが漂ってきた。眼を凝らすと、カラフルなパラソルが複数集まっている場所があった。人々が列をなし、紙袋やカップを受け取っている。


 興味を引かれ近づくと、それらは出店であると分かった。調理器具とカウンターを備えた簡素な手押し車だが、あなたはそれが信じられなかった。


 装甲板も機銃も無ければエンジンも付いていない。こんな装備で商売など自殺行為だ。あっと言う間に略奪者どもの餌食になってしまう……が、それはあなたの世界での話だ。


 この世界は平和なのだ。酔っぱらって路上で寝てもそれが永眠になる事は無い。


 素晴らしい香りに惹かれ、あなたも列の一つに並んだ。昨日まで吐き気を催す香りも、今では空腹促進剤である。人ごみの間からちらと見えた限りでは、サンドイッチとフルーツジュースを売っているようだ。


 朝焼けの海を見ながら待つ時間は苦でなく、すぐにあなたの番が回ってきた。


「いらっしゃい、何にする?」


 店主の男が指さすメニューには実に多種多様な品々が載っていたが、あなたの背後にも列が出来ている。あまり悩む時間はなさそうなので、おすすめを注文した。


 すると全部盛りのサンドイッチとやたら豪勢なフルーツジュースが出てきた。迂闊だった。彼は商売人だ。おすすめなら一番高いメニューを推すに決まっている。屋台価格でそこまで値が張らないのが救いだった。


 片手に収まり切らないサンドイッチと宝石箱のようなフルーツジュースを抱え席を探すあなた。


 トレンチコートの大男には不似合いな光景だが、今にも中身がこぼれそうな状況ではどうこう言ってられない。


 用意されている席は先客で一杯だ。しかし、花壇の縁にはまだ空きがある。

 そこに向かう途中で、あなたは見知った顔を見つけた。


「あー……身体がダルいわ」


 メイベルだ。疲れ切った顔をしているが、生きていたのか。

 黙って隣に座ると、向こうもようやく存在に気付いたようだ。


「……ああ、あんた生きてたのね。安心したわ」


 それならゴミ捨て場では無く、せめてベンチにでも寝かせて欲しかったのだが。


「人間死んだら生ゴミよ、あの時のあんた死にそうだったし。覚えてない? 覚えてないわよね」


 さっぱり覚えていない。あなたの記憶はあの面妖な発光飲料を飲んだ時から途絶えているのだ。人生初の強烈な体験だったが、そんなに酷い状況だったのか。


 それにしても、人間死んだら生ゴミとは。随分とウェイストランダーらしい死生観をお持ちのようだ。


「あんた椅子の脚にしがみついて神に祈ってたわよ。あんた神なんか信じてるようには見えないけど、意外だわ」


 あなたは神など信じてはいない。ウェイストランドは神に見放された土地、地獄の定員オーバーによって魑魅魍魎が溢れかえった結果なのだ。


 他人の信仰に口を出す気は無い。だが、あの地で祈る者は狂人か本当の博愛主義者だけだ。あなたはどちらも信用ならない。狂人は嫌いだし、博愛主義とはつまり誰も愛さないという事だ。そんな奴も嫌いである。


「今日は仕事よ、それ食べたら行くわよ」


 仕事は結構だが、そんな調子で仕事になるのだろうか。あなたはともかく、メイベルは随分と遅くまで連れまわされていたと見える。


「あー、確か朝日を見た気がするわ。それから……何か虹色の飲み物も」


 やはり幸先不安だ。あなたは豪華なサンドイッチに齧りつき、そう思った。


◇ ◇ ◇


 仕事がある。そう聞いてメイベルについていき、辿り着いたのはラウラの道具屋だった。まさか、今回の依頼主はラウラなのか。


 あの夜であなたの彼女に対する評価は百八十度変わった。以前は気は抜けているがしっかり者の店主だったが、今では歩く蒸留所だ。彼女の肝臓は人間のそれではない。


 臆する暇はない。仕事は仕事だ。あなたはいつの間にか身についていた社畜根性を発揮し、意気揚々と室内へ踏み込むメイベルへ付いて行く。


「おー、メイベルじゃん。元気ぃ?」

「まあ、ボチボチね。あんたのおかげで死にかけたけど」

「でも楽しかったでしょ?」

「……まあね」


 少し照れくさそうに笑うメイベルと、常に微笑を浮かべているラウラ。彼女たちは対照的だが、案外その方が上手くいくのかもしれない。


 ラウラにアルコールが残っている気配はなく、いつも通りの彼女だ。


「で? 仕事があるんでしょ」

「その通り、まあこれを見てよ」


 ラウラが取り出したのは、何時ぞやの紫色の液体で満たされた小瓶だった。小さな肉片がうぞうぞと蠢いている。まるで生きているようだ。


「これを作るためには特別な薬草の抽出液がいる。それを採ってきて欲しい」

「お金を払って人に取りに行かせる程の物なの?」

「まあね、色々と難しいのさ」


 ラウラは分厚い本をカウンターから取り出した。見慣れない植物が表紙に描かれた、付箋が大量に付けられた植物図鑑のようだ。彼女は迷うことなくページを開き、あなた達に見せた。


「これ、この時期の夜にしか花を咲かせない特別な薬草。森の奥深く、小川の近くにあるんだって」

「あんた貴重な友人を夜の森に送り込もうとしているわけ?」

「信用あってのものだよ。あたしは戦えないし、メイベルは強いじゃん」


 夜の森……それはそれは恐ろしい場所だ。月の光は生い茂る木々に遮られ届かず、恐ろしい獣たちがあなたを虎視眈々と狙う。夜の森は人間が許された世界では無い。この世界でも、ウェイストランドでも獣の世界なのだ。


「お代は弾むよ。どうかな」

「……いいわ、受けたげる。昔のよしみでね」


 分かってはいたが、どうやら本当に夜の森に行く羽目になりそうだ。それには周到な準備が必要になる。とはいえ、荷物を抱えすぎれば行動を妨げ、少なすぎれば命が危険に曝される。持ち物はよく考える必要があるだろう。


 恐らく、サバイバルに関してはメイベルよりあなたの方に分があるはずだ。


 今回は大まかな指揮権を任せてくれないだろうか、とあなたは提案した。もしかすると長丁場になるかもしれない。それならメイベルが捜索に集中し、あなたは捜索を手伝う一方で安全なシェルターの管理をした方が良い。そう考えたのだ。


「ま、細かい話は買い物しながらにしましょ。保存食を買わないと」


◇ ◇ ◇


 保存食を買い込んだあなた達は森へと向かっていた。時刻は午後五時半、もうじき暗くなってくる時間帯だ。


 荷物は万が一お互いがはぐれた時を想定して均等に分けている。こうして食料で一杯のバックパックを背負って大自然の前に立つと、まるでピクニックに来たような気分になるが、そんなに甘い話ではない。


「ちょっと来て、地図を確認するわよ」


 しゃがみ込み、地面に地図を広げるメイベル。傍へ寄り、あなたも地図を覗き込んだ。


 雑な手書きの地図だ。大まかな森の全体図に線が一本引かれただけの小川、その一部を縁で囲み「ここらへん」と書かれている。恐らくラウラお手製だろう。あまりアテにならない気がするが。


「私達は多分……ここらへん? かしら」


 頼りない地図を頼りに森へ踏み込んでいく。あなたは迷わないか終始不安だったが、遠くに聞こえるせせらぎを聞くに結果として目的地に近づいているようだ。


 しかし周囲はどんどん暗くなっていく。ものの数分で完全な暗闇に支配されるだろう。魔術で上手い事出来ないものなのか。例えば光を生みだすとか。


「魔術で光を生みだすなんて夢のまた夢よ。単純な事ほど難しいの」


 そんなものなのか。短剣に光を宿らせる技術や光波を飛ばす姿を見た後では信じがたいが。


 メイベルが立ち止まり、バックパックからランタンを取り出した。もっとも、そのランタンはあなたの良く知る燃料や電力を原動力にして稼働するものではなく、中で浮いている魔石とやらを使っているようだが。


 灯りは灯ったものの、淡すぎる。ベッドサイドで常夜灯として使うには問題ないだろうが、暗闇で探し物をするには不向きだ。


 ――この世界ではあまり使いたくなかったが、仕方がない。


 あなたはベルトに下げていた懐中電灯――黄色と黒のハザードシンボルが控えめにプリントされている――を取り出し、スイッチを入れた。


 途端に強烈な光が飛び出し、暗闇を真昼の如く照らし出した。


「凄いわねそれ。ちょっと見せてよ」


 メイベルの好奇心をあなたは突っぱねた。


 この懐中電灯の動力源は原子力電池だ。一応強力な外殻と放射線シールドで保護されているものの、遺伝子を容易に引き千切るほどの危険物を握っている事実に変わりはない。


 あなたがいる世界は放射線に汚染されていない。もし何かの弾みで懐中電灯が破損しようものなら、周囲が一万年の荒野と化してしまう。この世界に放射線を持ち込むことは許されない。それはあなたの知る限りで最悪の悪行、原罪にも勝る罪だ。


 しつこくメイベルと押し問答を続けていたが、あなたは折れなかった。彼女に放射線を説明してもきっと理解できないだろう。あなたが魔術を理解できないように。目に見えない無数の散弾が音も痛みも無く身体を通り抜け、遺伝子をバラバラに引き裂くなどと言って誰が信じるだろうか? 


「なによ、触るくらいいじゃないの――待って、さっきの所照らして」


 あなたは懐中電灯をゆっくりと戻した。


「違う、もっと右よ!」


 言われた場所を照らす。眼を凝らすと、木の根元に何かがある。

 無数のキノコに隠れて見にくいが、あれは……


「あった、あったわ!」


 それはラウラの求めている薬草だった。夜の森で、小川の近く。確かに条件を満たしてはいるが、これほど簡単に見つかるとは。


「普段の行いが良かったんじゃない?」


 きっとあなたの事ではないだろう。あなたは自身の悪行を自覚している。


「何はともあれ仕事は完了……ま、帰るまでが遠足って言うけどね」


 帰ると言っても、今から街まで戻るつもりなのだろうか。


 それなりの距離を歩いて体力を消耗しているし、夜も深い。今から街に戻るよりもここで夜明けを待った方が安全ではないだろうかとあなたは提言した。


 ここは西の森とは違い、言い表せない嫌気を感じない。夜の森は危険と言えど、下手に動かず一か所に固まった方がずっと安全に思えたのだ。


◇ ◇ ◇


 心地よい目覚めである。大自然で木漏れ日を浴びながら飲むコーヒーは素晴らしい。人間として枯れた喜びである気もするが、ウェイストランダーとしては最高の幸福だ。


 昨日は二時間ごとの睡眠で交互に見張りをしたが、脅威は襲ってこなかった。ツキが回ってきたのかもしれない。


 あなたはグラノーラを齧りながら巡回に向かい、奇妙な物を眼にした。

 虹だ。虹が

 アーチ状では無く、一本の線として。


 あり得ない現象だが、異世界にはこういう事もあるのかと、あなたは好奇心に駆られてそれを追った。


 やがてあなたは小川に辿り着き、言葉を失う。


 そこに佇んでいたのは、一匹の白馬だった。その毛並みは美しい以外の言葉が相応しくないほど荘厳で、額からは一本の立派な角が生えている。


 ――ユニコーン。こういった神話生物に疎いあなたでも知っている存在だ。実際に目の当たりにするとあまりに美しい。名画を切り取ったかのようだ。


 あなたが立ち竦んでいると、背後から足音がした。


「なーにやってんのよ。見張りサボるなんて良い度胸じゃ――」


 息を飲む音が聞こえた。メイベルも美しさに圧倒されているのだろうか。


「何やってんのよ! 逃げるわよッ!」


 突然の叫び声に、ユニコーンがあなたの存在に気付いた。

 その時、ユニコーンの瞳を見てあなたは理解した。


 敵意に満ちた虹色の瞳孔。あれは敵なのだ、と。

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