第2話 トレーニング

「音楽かけて、いつもので」

 言い終わった直後に、室内に大音響で音楽が流れ始めた。コウキは派手な洋楽がお気に入り。ロックやパンクと呼ばれていた古い時代の楽曲だ。両親には「そんなうるさい音楽……」と揶揄されたが好きなのだから仕方がない。ボーカルが叫び、ギターやドラムが激しく鳴り響く音楽を大音量で聞くと気分がスッキリした。

「コウキさん、新しい楽曲を見つけたのですがお聞きになりますか?」

 腕時計から落ち着いた感じがする女性の合成音声が鳴る。過去の履歴から好みを特定して推薦してくれるのだ。精度はかなり高く、これまに薦められたものは、ほとんどが気に入るものだった。

「じゃあ、お願い」

 了解しました、との返答のあと部屋中にロックが流れた。曲の最初は静かな入りだった、途中から絶叫の連続。初めて聞く楽曲だったが、気がつけばコウキはビートに合わせて首を前後させていた。

「いいね、お気に入りに入れておいて。ちなみに、いつの曲?」

「1990年代のアメリカのものです。バンド名は――」

 女性の声が解説を始めた。音楽にかき消されてよく聞き取れなかったが、お気に入りに登録したのであとで調べようと思った。

 大音響が両隣の部屋に響きそうなものだが心配は無用だ。建物には高いレベルの防音構造が施されていた。他の部屋から物音どころか、足音一つ聞こえたことはない。そもそも、コウキは隣に誰が住んでいるか知らなかった。男性か女性か、単身か家族か……。知ったところで他の住人とは顔を合わせることがなかったので興味がなかった。

「じゃあ、次はいつもの曲で」

 そう言ったコウキは、食物生成機の扉を開けた。中には湯気が立つステーキができあがっていた。いつもながら、美味そうだと思った。

 聞きなれた楽曲に合わせて体を揺さぶりながら、テーブルでステーキを平らげた。

「別の曲をかけますか?」

 曲が終わったタイミングで女性の声が問いかける。

「いいや。トレーニングに出てくるよ」

「洗濯済みのトレーニングウェアをクローゼットに用意してあります」

 ありがとうと、軽く礼を言ったコウキは、皿を食器洗い機に突っ込んでからクローゼットに移動した。ハンガーに掛かっていた新品同様のシャツとパンツに手早く着替えると、運動靴を履いて自宅を出た。


 まずは、ウォーミングアップとして1キロほど歩いて、川沿いまで移動する。大きな川に沿って綺麗に整備された散歩道が続いている。木々がほどよく植えられており雰囲気は穏やかだ。

 コウキは上流に向かって走り始めた。5キロほどの距離を控え目のペースで30分かけて走る。走りながら河原に目を向ける。春の日差しの中、様々な鳥を目にすることができた。家で筋肉刺激機を使ったのでは得られない爽快感があった。

 5キロ先の公園で休憩をとる。ここまで、誰ともすれ違っていない。今の時代、自らの力で走っている人間は天然記念物のようなものだ。しかし、コウキは気にしなかった。遊歩道の景色を独り占めできて気分が良かった。

「じゃあ、次は筋トレだな」

 外では腕時計は反応しない。通信が途絶えているのではなく、話し返さないように設定をしているのだ。その方がトレーニングに集中できる。


 コウキは公園の芝生の上で、筋トレを開始した。腹筋、背筋、腕立て伏せを三十回ずつ、これを5セット。最後のセットは苦しみながら、なんとか終える。筋肉に直接、激しい刺激を与える感じがたまらなく好きだ。筋肉痛になることもあるがそれも心地よい。

 昔の筋肉刺激機は、高周波やら低周波で筋肉を直接、収縮させていたが今の時代は違う。限りなく無刺激だ。すこしピリピリする程度。それでも刺激は与えられているらしく、筋肉の発達と脂肪の低減を確実に促す。しかし、コウキにしてみればトレーニングをしている実感がなくつまらなかった。


 一通りのトレーニングを終えると、自動販売機でスポーツドリンクを購入して水分補給をした。これも日課の一つだ。

「さて」誰もいない公園で一人、勢いをつたあと、帰路のジョギングを開始する。帰りはペースを上げる。温まった体で空気を切りながら全力で走る。息が上がり、体が辛くなるが決して歩きはしない。


 帰宅すると一時間半ほど経過していた。

「午後からはお仕事ですよね。お昼ご飯はどうされますか?」

 部屋に入るなり腕時計が話はじめた。律儀に外では無言、家で起動、さすがは機械だ。言った通りに行動する。

「お昼はいいや。シャワーを浴びたら着替えて出る」

「では、外出着を用意しておきます。いつもの感じでいいですか?」

「ああ、カジュアルで派手なのをお願い」

 指示を出しつつ服を脱ぐ。浴室には浴槽はなくシャワーだけが設置されている。古来の日本人は浴槽にお湯を張って入るのを好んだようだが、今では少数派だ。

 熱めのシャワーで汗を流しながら、コウキは少々の憂鬱を感じた。

「仕事か、面倒だなあ」

 思わず口からこぼれていた。コウキは小さい商社の事務処理をする部門に勤務していた。希望して入った会社だ。

 この時代では職に就くことは必須ではない。製品の生産も事務処理も全て自動化が可能だ。資源は枯渇しないようにリサイクルされている。人がわざわざ働かなくても生きていける仕組みが成り立っていた。

 しかし、多くの人が仕事をしていた。どうやら、人間から仕事を取ると堕落しか残らないらしい。だから、政府も働くことを推奨している。機械でできることを、堕落を避けるために人間が行うなんて滑稽だと、コウキは思っていた。

 そんなコウキは仕事をすること自体は肯定派だ。めんどうだと思うことが少しくらいあってもいい……その程度の理由。

 どんな仕事に就くかは、事前に細かく要望を出すことができた。コウキが出した条件は以下だった。

・上司が厳しくないこと

・服装が自由なこと

・勤務は午後のみで、週で最大三日まで

・過度なノルマがないこと

 その結果、推薦されたのが今の商社だ。二年ほど勤めているが、希望通りで居心地は悪くない。それでも、出社前は気が引き締まった。

 シャワーを終えたコウキは用意された服に着替えた。好きな派手なロックバンドのイラストの入ったTシャツに短パン。首にはドクロのミニチュアが下がった鎖のネックレス。最後にサングラスをかけた。趣味を全面に押し出した様相で家を出た。

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