39.オリヴィア出生時
◆◆◆オリヴィア出生時
カークランド公爵邸の二階の一室では、公爵夫人フローラが多数の侍女・メイドに見守られながら分娩に臨んでいた。
フローラは出産用に設えた寝台で幾重にも重ねたクッションに背を預け、正面で赤ん坊を待ち構えている助産師と呼吸を合わせ、両側で自分を挟みこむように支えてくれている侍女二人の手をきつく握り、我が子が産道を通る痛みを堪えていた。
「奥様! お子様の頭が見えて参りました。もう少しですよ」
「お水をどうぞ、フローラ様。ここからもうひと息ですわ」
「そうです。私どもが付いておりますよ!」
寝台の周りでも乳母になる者の他、侍女やメイドが産湯や清潔な厚布、産後の母体養生の用意をしながら今か今かと待っている。
部屋のすぐ外の通路には当主のランドルフや男性医師、執事らがこれも祈るような面持ちで男子禁制の分娩部屋の扉を凝視している。
「正午過ぎに始まった分娩が、もう日暮れ……フローラは大丈夫だろうか」
「旦那様、中に侍る者達は、みな
それでもランドルフは手元の懐中時計を睨みながら、扉に片手を押し当てて愛しのフローラと赤子、双方の無事を祈る。
(日没後の出産は不吉な事象を呼び寄せると聞く……フローラ! 頑張って早く産んでくれ)
だが、期待も空しく、扉の向こうからは苦しそうに息むフローラの声が届くばかりで、日没も過ぎていく。
夜空には双月の上方に珠月が等間隔に並び、珠月は薄ら赤い光を鈍く放っていた……
月が等直列を解くかといったその時――
分娩部屋内では、フローラがひときわ大きく息むと、正面の助産師の表情が明るくなる。
「ああっ! 奥様! お生まれになりましたよっ」
助産師は、柔らかな厚布で赤ん坊を受け止める。
――が、次の瞬間には厚布で優しく赤ん坊を包み、フローラから離れて隣接の小部屋に向かう。さらに通路に控える医師を分娩部屋を通らない形でその小部屋へと誘う。
いくら貴族は子育てを乳母らに任せるとはいえ、生まれてすぐの赤ん坊を母親の胸に抱かせないということは無い。
助産師の行動を訝しんだフローラは、産後養生のメイド達に囲まれながらも助産師に声をかける。
「どうしたの? 何かあったの?」
「いっ、いいえ! こちらで産湯を使わせて頂こうかと……。すぐにお連れ致しますから!」
医師を伴って小部屋に入った助産師が厚布を解くと、そこには肌を青白くしてピクリとも動かない赤ん坊がいた。
その女の赤ん坊は、大きさこそ標準的な大きさながら、未だに産声をあげていない。
「これは……心拍・呼吸ともに弱まっている。と、とにかく温めよう」
医師は、赤ん坊の様子を見て、隣室の様子を窺う。
幸い母体――フローラ夫人の損傷具合は命に係わるほどでは無いようなので、この赤ん坊に集中する。
一方、通路に残される形になったランドルフは、大きな不安に襲われる。
いくら高位貴族であり、潤沢な分娩費用を持ち人員も揃えていようと、この国では出産による赤ん坊および産婦の死亡率が低くない。そんななか医師が呼ばれた事態は、初代様に次ぐ銀狼公と評される歴戦のランドルフを以ってしても動揺を隠せないでいた。
「しばらく執務室にいる。何かあれば、すぐに呼びに来い!」
ランドルフは、傍らに控えていた執事長に言い付けると、急ぎ足で三階の執務室に向かう。
しんと静まった執務室で机に就いたランドルフは、大きく息を吐いて鍵付きの引き出しを開錠し、手の平をはみ出すくらいの大きさの鍵付き小箱を取り出し、両手で静かに机上へ置いた。
これも開錠して蓋を上げると、そこには箱の対角線に沿うように、手の平よりもだいぶ大きな獣の鉤爪が納められていた。
誰にも見せても伝えてもいないが、カークランド家に伝わる初代様の奥方の物とされる爪だった。
ランドルフは両手でその
(ガルフ様、銀狼様、どうか私の子をお救い下さい! どうかっ)
目を瞑り、何度も何度も繰り返し祈った。どうかお救い下さいと……
しばらくすると、鉤爪と赤ん坊の双方が同時に仄かに光を発したが、ランドルフも二階で赤ん坊の手当てをする者も、それぞれに集中していて気が付かなかった。
赤ん坊は光ると同時に、血色が良くなり、体温も上昇し、呼吸も深くなった。
必然的に大きな産声を上げる。
「ア~~! オギャッ、オギャァアア」
「おおっ! 持ち直してくれた! すごい生命力のお子――女の子だ」
「旦那様に報せて参ります! フローラ様にもお会い頂きましょう!」
赤ん坊はオリヴィアと名付けられた。
産後、安静に過ごし体調を取り戻したフローラとランドルフは、医師や助産師から当時の詳しい状況を聞き、オリヴィアの奇跡的な回復を神に感謝の祈りを捧げ、オリヴィアは乳母の腕の中ですやすやと寝息を立てていた……
◆◆◆
「……では、オリヴィアが誕生した時……お救い下さったのは銀狼様だったと?」
お父様は当時の状況を思い出したのか、話しながらお母様の肩を抱き、お母様もお父様に寄りかかった。
「そうだ。せっかく
銀狼様が少し胸を張っている。
「そのようなことがあったのですね……」
「今となっちゃあ呑気に言えるが、ありゃあ珠月に命を持ってかれるところだったんだぞ、オリヴィア?」
「ええっ! そうだったんですか?!」
「そうだ。たまたまアタイが聞き取ったとも言えるが、それでもアンタの為に必死に祈ったオヤジには感謝しろよ?」
そんな話をしていたら、お父様は「そうだ!」と、執務机に駆け寄り、引き出しから何やら取り出して戻ってくる。
「あの時これを握り締めて願いを掛けていたのですよ! 銀狼様」
お父様の手には、完璧と言ってもいいくらいに澄んだ白色の大きな鉤爪が握られていた。
すごい! わたしの肘から先くらいはあるのでは? それに鋭く尖っていて、何でも引き裂けそう……
「なんだ、そんなモンを持ってたのか? そりゃアタイの爪……の垢みたいなモンさね」
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