ぽぽちゃんの恋人

日崎アユム/丹羽夏子

第1話 2019年9月、ぽぽと高橋冬彦が付き合い始めたことを知った。

 あれは二〇一九年九月のことだった。


 あの年、平成が終わって令和という時代が始まった。大人たちは改元に熱狂していたが、かけるは部活のことで頭がいっぱいだった。


 当時翔は野球少年だった。甲子園のことしか考えていなかった。それを、声が大きくて人権にうるさい人たちが、灼熱の真夏に遮るもののない球場で運動させるなんて可哀想だ、高校生の青春を搾取し見世物にしている、などと言う。翔は曽祖父の代から四代続く球児の家系で、野球部の夏とは戦前からずっとそういうものだと思っていたので、余計なお世話だった。とはいえ翔が進学した高校の野球部は弱小で地区大会すら一勝できるかどうかだったから、いらぬ心配だった気もしなくもない。


 野球部は弱小だったが、皮肉なことに、それを応援する吹奏楽部とチアリーディング部は強かった。特にチア部は田舎ではそもそも存在が珍しいこともあって地元メディアから注目されていた。


 そのチア部に、ぽぽ、という愛称の女子がいた。正式なフルネームを、高梨たかなしたんぽぽ、という。れっきとした日本人女性である。自分たちはいわゆるキラキラネームの多い世代だが、彼女はとびきり変わった名前だった。


 ぽぽは、チア部に所属していたことからもわかるように、スクールカースト上位の存在だった。日焼け止めをたっぷり塗った肌は白くつやつやしていて、ビューラーとアイプチでキメた目元、生徒指導の教員に文句を言われないよう透明なネイルをした女の子だった。明るく心優しく、ギャルっぽくて勉強はできなかったが、ぽぽが嫌いな人間など聞いたことがない。


 翔とぽぽは同じ中学の出身だったので、高校に入って色気づいてもそれなりに親しくしていた。ぽぽは誰とでも親しくできるからちょっと男子と喋ったぐらいではやっかまれることはなかった。むしろ翔のほうがうらやましがられた。翔は野球一筋のスポーツ少年で脇目も振らずにボールを投げてきた男だ。女子といえばイコールぽぽというぐらい女子との接点がなかった。友達もみんなそんな感じで、ピッチャーなどをやる軟派なリア充どもとはちょっと距離を置いていた。そんな翔がぽぽに話しかけてもらえるというのは幸運なことであった。




 さて、夏休みが明けてすぐのある放課後、ぽぽと翔は教室からそれぞれの部室に移動するために廊下を並んで歩いていた。もちろん二人きりではない。翔のチームメイト二人も連れ立っていたので、合計四人での道のりである。


 ぽぽが言った。


「そうそう、カケルたちに聞いてほしいことがあるんだけどさ、今ちょっといい?」


 翔たちは素直に「なになに?」と返事をした。


 彼女が嬉しそうな顔をした。


「カレシができたの」


 翔の脳内をいろんな男子が駆け巡っていった。ピッチャー、キャッチャー、四番バッター、サッカー部のあいつ、バスケットボール部のあいつ──不思議と嫉妬はしなかった。ぽぽはみんなのアイドルで、オレのものになるわけがない。むしろ彼女が収まるべきところに収まって加熱していた恋愛戦線が落ち着くのならそれはそれでよかった。


「へえ。誰と付き合うことにしたの?」


 ところがそこで斜め上の返答が来た。


「冬くん」

「誰だっけ」

高橋たかはし冬彦ふゆひこくん。同じクラスでしょ」


 衝撃だった。確かに存在する人間だが、あいつはそんなフルネームだったのか、と思うくらい影の薄いクラスメートだ。おとなしくて、ちょっと浮いている。友達といるところは見たことがない。いつもイヤホンで音楽か何かを聴きながら窓の外を見ている印象だ。顔を思い出せない。


「なんで高橋?」


 ぽぽが照れ隠しに声を出して笑った。


「この前の花火大会、みんなで行ったじゃん?」


 七月の最後の週に開催された河原の花火大会だ。言われてみれば、翔とぽぽのクラスの人間はグループLINEで約束をして希望者全員で集まった。しかし翔は誰がいて誰がいなかったのか把握していなかった。あの人混みの中に高橋もいたのか。意外だ。みんなでわいわいするタイプではないように見える。


「あの時、冬くんに告白されたの。好きです、付き合ってください、って」

「マジで?」


 四人で階段を下りる。


「すぐOK出したの?」

「うん。わたし、カレシってものが欲しかったし。こんなに可愛くしてるのにモテなくて自己肯定感下がりまくりだったから、好きになってくれる男子がいるっていうのがなんだか嬉しくて」


 それはぽぽの周りの人間が牽制し合っていたからだ。ぽぽは本当はモテるが、知らぬは本人ばかりなり。みんなのぽぽちゃんを空気の読めない高橋がかっさらっていった形になった。


「わたしのこと、明るくて元気で、見てて癒される、って言ってくれたの」

「あいつそんな奴だったっけ。喋ったことないからわからんけど、ちょっと陰キャっぽくない?」

「冬くんの魅力を知らないなんて損してるね」


 すっかりカノジョヅラしてよくも言ってくれる。どれだけの男子が悲しむかも想像できないとは、ぽぽと高橋は嫌なカップルだ。


 しかし、かえってよかったのかもしれない。同学年のイケている男子たちが壮絶な喧嘩をするくらいだったら、地味な高橋をのぼせあがったぽぽが世話する格好になる、というのもまた人生か。


 ぽぽにカレシができたこと自体はそんなにショックではなかった。翔がショックだったのは高橋という冴えない男子が自分たち運動部のグループに割り込んできたことだ。運動部男子による紳士協定が帰宅部の彼の手で破られたのだ。


 高橋に興味が湧いた。


 けして喧嘩をふっかけてやろうというつもりはないが、ちょっと会話をしてみたい。今度会った時に高橋をもっとよく観察してみよう。そしてぽぽにふさわしい男なのか確かめたい。


「高橋冬彦ねえ」


 四人は昇降口で靴を履き替えるとグラウンドに向かって歩き続けた。頭が痛くなりそうなほど日差しが強く、暑かった。




 こうして高橋冬彦の観察を始めた翔だったが、この高橋冬彦という男、どうもつかみどころがない。


 友達らしい友達はおらず、定期的に会話をする相手はぽぽしかいないように見える。親兄弟についても、昼休みにはふらりと消えてしまうので弁当を持参しているかどうかつかめない。電車通学らしいが、登校も下校も一人だ。中学は結構遠くの隣接学区から来たことが判明、同じ中学の卒業生が見つからない。


 頼りになるのは自分の視覚情報だけだ。


 肌は日の光を浴びたことがないのでないかと思うほど白い。体格は細身だ。いかにも文化系である。野球部で真っ黒に日焼けしている上筋肉質の翔とは真逆だ。顔は眼鏡をかけている上前髪が長いのでよくわからない。黒い髪はまっすぐで、女子のショートヘアのようで男子としてはやや長めだ。


 とっつきにくい。機会があれば絡んでやろうと思っていたが、きっかけがつかめない。翔とはあらゆる意味で違いすぎる。


 ぽぽはどうしてこんな男と付き合っているのだろう。もっと具体的に何が魅力なのか聞いてみたい。だが、いくら中学が同じでもぽぽは学年のアイドルで翔はただの野球バカ、翔のほうからは気軽に話しかけられなかった。


 それに翔も暇ではない。三年が抜けて二年が主力選手となり、レギュラーをかけた熾烈な戦いが始まった。翔が高橋冬彦の観察ができるのは授業中とその間の休み時間だけだ。



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