第30話

 仕事が終わり、坂井に連れられてきたのは、会社近くのチェーン展開のカフェだった。だが、凛果の地元にはない店だ。


「あまり食欲もないかな? って思って……でも食事メニューもあるから、良かったら食べて」


「あ、うん」


 坂井はナポリタンとグラタンを頼んだ。凛果はミックスサンドイッチを注文する。

 食事が来るまでの空白で、坂井は話し始めた。


「来てくれてありがとう。あの、その……僕が伝えたい話みたいなのが、内田さんにあって……えっと、それは……」


「坂井くん。ゆっくりで大丈夫だよ」


「あ、うん……えっと、僕が伝えたいのは、『終わりと始まりは大事』って話で……」


「終わりと始まり?」


「うん。あぁ、ここからは僕の話になるんだ。……嫌になったら、途中で止めて帰ってもいいから」


「あ、うん……」


 途中で帰るくらいに嫌な話になるのだろうか、と疑問を抱えつつも、凛果は坂井の話を聞くために椅子に座り直した。


「僕はまぁ、この体型から見ても分かるように、柔道をやってた。今も体力には自信があるし、力仕事を頼まれるとやりがいを感じる時もある。でもね……でも、僕は本当は、オリンピックに出たかったんだ」


「オリンピック?」


「うん。小さい時にオリンピックで、柔道の日本人選手が何人も金メダル取ってるのをテレビで見て、自分もああなりたいって思ってね。それで両親に頼み込んで、道場に通わせてもらうことになったんだ。やる気に満ちてたし、元々周りより体格が良かったこともあって、スムーズに1級の茶帯まで取れた。その後中学で柔道部に入って、14歳のうちに黒帯も取れたんだ。地元の大会では何回も優勝できたし、県大会でも準優勝して。中学では部長もやった」


 そこに凛果が頼んだミックスサンドイッチがやってきた。お先に、と言って食べながら坂井の話に耳を傾ける。


「高校でももちろん柔道部で、高二でインターハイに出て。その時は入賞だったけど、高三のインターハイでは三位になれて、世間の注目も浴びた。連盟から強化指定選手に選ばれて、国際大会も目の前に迫ってたんだ。でも……そこで怪我をして、国際大会に出られなくなって、呆気なく指定から外れた。大学のスポーツ推薦でも故障の人間を取ってくれる所もなくて、夏から一般入試の勉強を始めた。猛勉強して何とか中堅の大学に入って、その頃には怪我も良くなってて、柔道部に入ったんだ」


 坂井のもとにナポリタンが運ばれる。一口食べてから、坂井は再び話し始める。


「その大学では僕が一番強くて、部員の中で常に一番の成績を取ってた。最初はやっかみもあったけど、実力を見せていくうちにみんな何も言わなくなっていって。ただ怪我でスランプがあったから、自分の中では100%の出来じゃなくて。全日本にも毎年出たけど、なかなか入賞できなかった。だけど最後の大会では、古傷が時々痛むけど、調子もかなり戻ってきてて。オリンピックを目指せるほどの位置にいないことはもう分かってた。だけど今までで最高位に入って、有終の美を飾れるんじゃないかって思ってて…………ごめん内田さん。退屈してないかな」


「そんなことないよ。すごい努力してきたんだなって思って聞いてる」


「それなら良かった。……で、大会の要項が発表されて、エントリーをした矢先に事件が起こったんだ。顧問と部員の一部が大麻を使ってて、麻薬取締法違反で逮捕された」


 坂井は少し操作をしてから、自分のスマートフォンを凛果に見せた。そこには『××大学柔道部 顧問と部員が大麻を常用!』という見出しが大きく映し出されている。


「当然大きな問題になった。逮捕された部員の中には僕の同期も、大会に出る予定の部員もいて。さらに余罪も発覚して、連帯責任として僕達は、大会の出場停止処分と、学内での活動停止処分を言い渡された。大会に挑戦できないまま、柔道人生が終わったんだ。その後、もぬけの殻になってた僕をゼミの先生がひどく心配して、先生が勧めてくれた通年採用のこの会社を受けて、何とか拾ってもらって、今なんだけど」


「大変、だったね……」


 グラタンも運ばれてきた。坂井は話しながらだというのに、ナポリタンはもう半分以下になっている。


「長々と話して申し訳なかったけど、言いたかったのは、終わりが曖昧だとなかなか次に進めない、ってことで……。内田さんが何に悩んでるのかは全然分かってない。僕はそういう所、鈍いから。でも悩んでるってことは、次に進むために重要なことだと思ってて。進むってことは新たな始まりを作らなきゃいけない。でもそのためには、悩んでたことをきっちり終わらせないと、次には進めないから……。僕は柔道としっかりお別れするのにすっごく時間がかかって。今までのトロフィーも柔道着も全部、自分の部屋から実家の納戸に移して、見えないようにしたんだ。柔道関係のニュース通知も全部ミュート。ただ、最後に『柔道の父』って呼ばれる、嘉納治五郎さんって人が造った講道館の資料展示だけは見に行って、そこで区切りをつける決心がついた」


「区切り……」


「内田さんはまだ、区切りの付け方と新しい始まりの作り方を、見失ってるんじゃないかなって……ごめん、何も知らない僕が言うのも良くないけど」


 坂井の言うことは図星だ。

 駿平との区切りの付け方、本当の意味で駿平がいない日々の過ごし方が分からない。


 黙り込んだ凛果を見て、坂井は「ごめん、気に障ったかな……」と消え入りそうな声で言った。

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