第14話

「坂井……くん!」


 少し頬を紅潮させてやってきた圭太の右手から、シャンパンゴールドのケースが見えた。


「これ、内田さんのだよね? さっき宮崎さんと話してるのが聞こえたから」


「そう、これ! どこにあったの?」


「エレベーターホールの隅っこ。でも肝心の内田さんが見つからなくて、10分くらい彷徨さまよっちゃった」


「逆に探させちゃったんだ、ごめんね。拾ってくれてありがとう。助かった……」


 圭太からワイヤレスイヤホンを受け取った。

 良かった、中もちゃんと入ってる。

 もしかしたら、杏香に呼ばれて急いで取引先に向かおうとした時、弾みで落としてしまったのかもしれない。


 じゃあお先に、という彼を引き留め、凛果はラウンジにある自販機で、圭太がいつも飲んでいるスポーツドリンクを買って差し出した。


「お礼なんていいのに」


「ううん。すごく感謝してるから」


 そう言うと、圭太はにこーっと笑って受け取った。凛々しい眉毛がたらん、と下がるのが可愛いよねぇ〜と小夏が前に言っていたっけ。


 圭太が去っていくと、小夏のスマホが鳴り出した。


「あ、ごめん凛果。…………もしもし? えっ?! 明日じゃなかった? いやいや今日なんて聞いてないよ。でも来ちゃったんでしょ? もーう……うん、うんうん。はーい」


「……どうしたの?」


「お母さんから電話。明日来るって言ってたのに、新幹線のチケット間違えて今日の日付の買ってたらしくて、もうマンションの前にいるんだって」


「忙しい時に付き合わせてごめん」


「いいのよ、私も今知ったし。ほんとお母さん、こういうとこあるから……じゃ、お先に! 見つかって良かったね」


「うん、ありがとね。お疲れ様」


 コッコッとヒールを響かせて走っていく小夏を見届け、凛果もデスクに戻る。鞄はまだデスクに置きっぱなしだった。


 定時から一時間近くが経とうとしているオフィスはがらんどうで、照明も半分程度切れていた。エアコンも恐らく弱められ、先ほどまでの快適さはもうない。

 右手で握りしめたワイヤレスイヤホン。ゆっくり手を開けば、シャンパンゴールドのケースが僅かに光る。


 その途端、猛烈に、駿平の声が聴きたくなった。

 彼が手元に帰ってきてくれたような、そんな気がして。


 一度あたりを見回して、誰もいないことを確認する。そしてスマホを取り出し、音楽アプリを呼び出して、『日陰の星』をタップ。

 平日は日付を過ぎてすぐに駿平の声を聴くことが多いので、一日一回のルール上、この時間帯に繋がることはできない。でも昨晩は早い段階で寝落ちしていたので、今日はまだチャンスがあった。


『リン? 今日はいつもと違うタイミングだね?』


「あ、シュン。仕事終わったばっかり……というか、このイヤホンを探し出したばっかりで」


 イヤホンを無くした経緯を手短に伝えると、『今日も大変だったんだね』と優しい声が両耳に届いた。


「なんかね、このイヤホンじゃないともう、シュンと繋がれない気がして、怖かったの……今度こそ、シュンはあの世に行ったままになっちゃうんじゃないかって」


『もしそうなっても俺はリンを探すだろうけど……でも確かに、またこうして話せる保証はないかもしれない』


「でしょう? こんな奇跡的なことが二ヶ月続いてるだけでも幸せすぎるのに、一旦繋がると、もっと長くって思っちゃって」


『それは天国こっちの人達も同じだよ。中には自分から天国こっちに来たくせに、もっと話したいってゴネる人もいる』


「やっぱ人間は、どこにいても同じなのかな」


『そうかもね』


 少し沈黙が訪れる。その沈黙さえも、駿平となら味わいたいとすら思っている。

 でもやっぱり少し勿体無い気もして、凛果は駿平に尋ねた。


「ねぇシュン。……に、帰って来られない?」


『え?』


「そろそろ、お盆も近いし。きっとユウさんも待ってる気がする」


『ユウはきっと腰抜かすよ。あいつ中学生の時、遊園地のお化け屋敷で情けないくらい叫んでビービー泣いてたし』


「そこは私が安心させるよ。それに、シュンのお父さんお母さんも会いたがってるんじゃないかな」


『どうだろう……勝手に死んじゃったし、今更顔出すのも少し申し訳ない気もして』


「シュンを責める人は誰もいないと思う。完璧な形の幽霊じゃなくていいの。魂の気配だけでもいいから。なんならポルターガイストでも歓迎する。だから……」


 知らないうちに、視界がぼやけてきた。鼻水も出てきて、思わずすする。


「会いたい」


 再び多少の沈黙の後、駿平は『考えとくね』と返した。

 駿平の気持ちがどこにあるのかは読み取れなかった。自分の気持ちを整理したり、天国の管理人のおじいさんに話をつけたりする必要があるのかもしれない。


 五分間が終わり、別の音楽のストリーミング再生が始まった。夏なのにクリスマスのバラードソングが流れてきて、凛果は真夏の曲を探しながらオフィスを後にした。




 ◇




(スマホ忘れてきちゃった……きっとデスクの上だ)


 汗と湿気ですっかり重たくなったシニヨンを揺らしながら、松井杏香きょうかは十階のオフィスまで戻ってきていた。

 照明は半分程度がオフにされ、空調も効きが悪くなっている。すぐにうなじが汗ばんでくるのを感じた。


 もう誰もいないや、とオフィスに足を踏み入れようとした瞬間、声が聞こえてきた。

 そっと覗くと、内田凛果が何やら誰かと話している。スマホを耳に当てていないということは、ワイヤレスイヤホンが見つかったんだろうか。


「……今度こそ、シュンは——に行ったままに——じゃないかって」


 どこに行ったままなのだろう。シュン……とは、凛果の彼氏なのだろうか。

 しばし聞き耳を立てていると、


「ねぇシュン。……この世に、帰って来られない?」


「……はっ……?!」


 この世?

 シュンという人は、死んでいる?


 驚いている間に通話が終わったようで、スマホを素早く操作しながら凛果が出てきた。こちらに気づいた様子はない。


 杏香の頭の中では、大きなクエスチョンマークがぐるぐると彷徨っていた。

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