千古、玉を埋むるの地

清瀬 六朗

第1話 私の「座右の銘」

 とざきとおる様主催の自主企画「3つの質問に答えてくれる作品を募集!」に参加させていただこうと、その質問へのお答えとしてこの文章を書いています。



1 あなたの座右の銘、あるいは心に残っている名言を教えてください


 「出処しゅっしょ真跡しんせきもとむることをもちいずして かえって忠良ちゅうりょう話頭わとうとなるをよろこぶ」

 (不須出處求眞迹 却喜忠良做話頭)


 昔の有名な書家の書いた文字、摸写もしゃではなく、確実にそのひとが書いたほんものを「真跡」と言います。

 「出処」は「出どころ」です。

 だから、「出処に真跡を求める」とは、書道のお手本にするのに、ちゃんとした書家の、ほんとうにそのひとが書いたとわかっている文字を使う、というようなことでしょう。

 そこで、「出処に真跡を求める」で、「生きかたのすみずみまで由緒ゆいしょの正しさを求める」という意味になるのだと思います。


 「忠良」は「忠実で善良な人たち」、「話頭となる」は「話題に上る」、「話題になる」です。


 だから、このことばは「何ごとにも由緒正しさを求めるような生きかたはしなくていい。みんなが(いつまでも)語り草にしてくれるように生きられればうれしいな」というような意味でしょう。

 これが、私が小説を書くときの「座右の銘」としていることばです。



2 それはどこで見た・聞いた言葉でしょうか?


 『水滸伝すいこでん』(百二十回本)の終わり近くに出て来る詩です。


 『水滸伝』は、当時(みんの時代)の中国の話しことばに近いことばで書かれた「白話はくわ小説」ですが、ヤマ場には詩(漢詩)が入ります。

 日本語で「読み下し文」にすると「なんで小説のなかに堅苦しい漢詩なんかが入ってるの?」と感じるのですが、中国語(漢語)で読むと、詩は、たとえば(七言絶句しちごんぜっくだと)「七音‐七音‐七音‐七音」で、いんを踏んでいて、「口に出して調子のいいのことば」となります。

 感極まる場面に、その場面に適した詩が入り、物語の余韻よいんを適度にしずめて次のエピソードに移る、という仕掛けです。


 この詩は、『水滸伝』の長い物語を締めくくる部分でうたわれる詩の一部分です。

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