『来い来い』

 遊園地で迷子になった子供の気分だった。小さな手に導かれるようにして、小夜子は人混みの間をスルスルと進み続けた。一体どう言う魔法なのだろうか、さっきまであれほど進まなかったのに、少女の手を握っていると、まるで嘘のように人が避けて行くのだった。大勢の魔法少女の間を縫って、小夜子は導かれるまま進み続けた。


 やがて拓けた場所に出た。


 見知らぬ場所だった。渋谷交差点、ではなさそうだった。莉里もいない。それどころか、ついさっきまで大勢いたはずの魔法少女も、1人もいなくなってしまった。静かだった。真っ暗だった。天井は一面真っ暗で、いや上だけでなく、右も左も、辺り一面、真っ黒な世界。闇に包まれたこの場所は……


「此処は……」

「案外簡単に騙されてクレたな」


 先ほどとは打って変わった、低くざらついた声が耳に届く。顔を戻すと、握っていたはずの少女の手は、いつの間にか人骨に変わっていた。


「あんたは……!?」


 小夜子はぎょっとして手を引っ込め、すぐさま身構えた。


 目の前にいたのは、背の高い、全身を黒装束ですっぽりと覆った、見知らぬ男だった。

 いや、実は小夜子は一度会ったことがある。あれは学校に入学する前、ケーキ屋でチラシを忘れて行った客に違いなかった。あの時はさほど意識もしなかったが、思えばあのチラシを見て、小夜子は魔法学校に入学を決めたのだ……。


「そう警戒するな。何も殺してしまオうと言う訳ではなイのだ」

 嗤いながら、男がフードを取る。フードの下は、骸骨だった。それも人間の頭蓋骨ではなく、牛の頭のような、角の生えた動物の頭の骨だった。目のところに空いた窪みから、妖しげな赤い光が見え隠れし、煙のように立ち昇っていた。


「魔人、か!」

「そう、魔人だ。だがオマエと戦う気はないのだ、早とちりするな」 


 小夜子は話を聞いちゃいなかった。「だが」の時点で彼女が素早く手榴弾を構えると、しかし闇の中からスルスルと触手が伸びて来て、あっという間に爆弾を取り上げてしまった。

「な……」

 くすくすと、周囲から低い嗤い声が上がる。姿は見えないが、闇の中に相当な数の魔物が潜んでいるらしい。だとすれば此処は敵の拠点か。どうやら自分は、敵の罠に嵌められてしまったようだ。


「だから、罠ではない。殺すつもりナら、道の真ん中でも造作ナかった」

「だったら何の用だ!?」


 小夜子が歯ぎしりした。私としたことが。不用意に誘いに乗るべきではなかった。牛頭の魔人は、そんな小夜子の様子を可笑しそうに眺めながら、囁いた。


「勧誘だよ」

「勧誘?」

「そうダ。こっちに来い、佐々木小夜子。オマエはこっち側の人間だ」


 シン……

 と辺りが静まり返り、しばらく誰も喋らなかった。

 闇の向こうで、微かな雨音がさあさあと聞こえてくる。


「…………」

「オマエももう、気づいてイルだろう?」

 小夜子が黙ったままだったので、牛頭が歌うように続けた。


「その破壊的な性格、殺人衝動、他人を蹴落とすことを躊躇わぬエゴの塊。どれを取っても一級品だ。オマエは立派な魔人になレる」

「…………」

「魔人の才能があるよ。。オマエは光よリも闇に愛されている人間だ」


 牛頭が握手を求めるように、すっと右手を差し出した。骨ばったその手には、真っ黒な薔薇の花が握られていた。


「こっちに来い、小夜子。オマエが真に輝けるステージは、こっち側だ。我らとともに、この世界を思う存分破壊し尽くそうじゃないカ……!」


 闇が四方から、じわじわと小夜子の方に迫って来た。敵の数はどれほどだろうか。、数百、数千、いや数万……多勢を極める闇の軍勢に対し、今や小夜子は1人だった。周りに里見たちもいない。断れば命の保証はなかった。冷や汗が頬を伝い落ちる。牛頭が嗤った。


「『花札』をもらったダロウ? ククク……狙い通りだ。あの女は誰にでも渡すからな。あそこに一言、『魔人になりたい』と書けば良い。簡単ダ」

「…………」

「何故魔法少女にこだわる? そんなに魔法少女になリたいか? 才能がないのに? 容姿も、血筋にも恵まれていなイのに?」

「黙れ……」

「一番になりたいのだろう? 『No. 1』に。魔法少女になったトころで、オマエは下から数えた方が早いさ。自分が一番良く分かっているダろう? 自分には華やかな世界は向いてナイって。ところが、だ。『逆もまた真なり』で、こっちの世界じゃ、オマエはたちまちトッププレイヤーだ」


 魔法少女として一生うだつの上がらない人生を送るか。

 それとも魔人になって、悪のカリスマとして大輪の花を咲かせるか。


「『No. 1』……」


 小夜子はポケットから『花札』を取り出した。『藤に短冊』の札。『願い事』は、まだ何も書かれていないままだった。


「我らの仲魔になれ、小夜子……」


 気がつくと牛頭が目と鼻の先まで迫って来ていた。真っ黒な薔薇の棘が、小夜子の指先をつく。微かな痛みとともに、真っ赤な血がつう……と流れ出て、手のひらを伝って滴り落ちた。牛頭が小夜子の手をとり、赤く染まった指先を札に這わせた。


「一言、それだけでイイ。オマエの意思が大切だ。そうすレば、絶大な闇の力が手に入る。その力があリャ、あの小学生も助けられるかもしれないナァ……」

「……!」

「いい子だ」


 やがてゆっくりと、黒の中で赤が動き始めた。牛頭がニヤリと嗤った。


「私は……」

 小夜子は。

「私は、魔人には、ならない」

 ゆっくりと、言葉を切るようにそう言い切った。小夜子は顔を上げ、牛頭を真正面から睨みつけた。


「私は魔法少女になる! 私がなりたかったのは、魔法少女だ。誰がお前らの仲間になるもんか!」


 小夜子の指が止まった。闇の中で少女の声が反響する。こいつらの仲間になるくらいなら、ここで死んでやる。それもできるだけ大暴れして、道連れにあの世に送ってから、だ。そう思った。牛頭は、しばらくそんな小夜子をじっと見下ろしていたが、

「そうか」

 案外呆気なく、そう呟いただけだった。


「では我々の敵になると言うことか。残念だ」


 それから牛頭の魔人は、目の前でパン、と手を叩いた。


 それで、一気に闇が晴れて行った。闇の中から現実に、渋谷の交差点に一瞬にして引き戻される。再び喧騒が訪れた。

「何だ……?」

 てっきり闇の住人から総攻撃を受けるものだと思っていた小夜子は、拍子抜けした気分だった。

(我々……?)


 魔人の言葉が頭の中に木霊する。しかし、それも戻って来た瞬間、吹っ飛んでしまった。

「何だ……? こりゃ」


 小夜子は息を飲んだ。


 目の前に異様な光景が広がっていた。あれほど犇めき合っていた魔法少女が、全員その場に倒れていた。死んでいる……訳では無さそうだ。どうやら眠っているらしい。それにしても、全員が全員眠りこけるなど、異常事態には変わりなかった。あの牛頭の魔人の仕業だろうか?


「何があったんだ……?」


 そこら中で少女たちが山のように積み重なっている。その山の頂上に、人影が二つあった。


 そこで、小夜子は見た。一人は、間違いない、スイート・リリィこと白石莉里だった。そしてもう一人は、


「あれ? おかしいな、全員眠っているはずなのに」


 もう一人の少女・業平千鶴が、小夜子に気づいて小首を傾げた。


「お前……死んだはずじゃ……?」


 小夜子は声を上ずらせた。業平千鶴。目の前にいたのは、確かにあの日殺されたはずの『No. 1』魔法少女だった。小夜子もあの日、その死体を、その顔をしかと確認したのだ。それと全く同じ顔が、妖艶な笑みが月夜の下で光り輝く。千鶴は片手で莉里を持ち上げ、もう片方に握りしめたナイフで、今にも彼女にトドメを刺そうとしていた。

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