第2話 血筋じゃない!

 閑静な住宅街の一角に、そのケーキ屋はあった。


『La Pâtisserie de Lilly』。


 創業早5年、フランスで修行してきたパティシエがやっているケーキ屋で、おすすめはアップルパイ。個人経営の狭い店なので毎日個数は限られているが、種類の豊富さとリーズナブルな値段で、地元の学生や主婦にはお陰様で好評だ。


 七色の風船。白い泡。キラキラ光る豆電球。


 一歩店に足を踏み入れれば、まるでお城のようなカラフルな装飾に、軽やかに流れるクラシックが出迎えてくれる。スイーツ好きはもちろん、誰しもが思わず頬を緩めそうになる空間だった。小綺麗に整えられた店内に、不良中学生アルバイト(もちろん学校には許可を取っていない)・佐々木小夜子はいた。


 ボサボサの金髪に、寝不足なのか、トゲトゲしい瞳の下に大きな隈を作っている。


 時刻は17時。黄金色の日射しが眩しかった。店内に客はいない。小夜子が仏頂面でレジに突っ立っていると、カラン、と明るい音がして、店の扉が開いた。


「ただいま、小夜子お姉ちゃん」


 入ってきたのは、ランドセルを背負った小学生くらいの女の子だった。女の子はレジに立っていた小夜子を見上げると、にっこりとほほ笑んだ。


「……莉里お嬢様!!」


 すると、突然ぱあっと小夜子の顔が輝いた。


「おかえりなさいませ! お元気ですか!? 学校で嫌なことはありませんでした!? 帰り道大丈夫でしたか!?」

「大丈夫だよぉ。今日も楽しかったよ。それに、学校から家まで歩いて3分もないもの」

「本当ですか!? 良かったぁ……!」


 小夜子はレジに飛び乗って女の子に駆け寄ると、ぎゅうっと女の子を抱き上げた。莉里と呼ばれた女の子は、どうやらこの店のパティシエの娘らしい。


「もー、小夜子お姉ちゃんは心配しすぎなのよお」

「だって、最近物騒じゃないですか……帰り道にサメに襲われたり……」

「え? サメ……?」

「はッ!?」


 どうして知ってるんだろう? そんな風に不安げに顔を曇らせる莉里に、小夜子はサッと視線を逸らした。


「ち、違います……カメです! カメ! 最近のカメは凶暴で、噛みつかれたら大変なことになるんですよ!」

「変なの。川も湖もないのに、帰り道でサメにもカメにも襲われるはずないじゃない!」

「そ、そうですよね……ア、アハハ」

「それより、敬語はやめてって言ってるじゃない。お嬢様なんて呼ばれたら、私恥ずかしいよ」

「だって、お嬢様はお嬢様じゃないですか」

「もう……」


 ぷくう、と頬を膨らませた莉里だが、怒った顔も可愛らしくて、小夜子は思わず見惚れてしまう。このまま時が止まってしまえば良いのに。至福の空間を前に、小夜子は本気でそう思った。莉里は膨れた頬を凹ませて、照れたようにほほ笑んだ。


「じゃ、私、奥の部屋で宿題してるから」

「はい!」

「あの……」

 奥に続く扉の前で、莉里がふと振り返った。

「集中したいから、絶対部屋のぞいちゃダメだからね!」

「はい!!」

 

 念を押して奥の居住区に引っ込んでいく莉里に、小夜子は勢いよく頷いた。


 小夜子は知っている。

 莉里が、毎日自分の部屋で一所懸命、宿題だけをしている訳ではないことを。

 

 決して人には見られてはいけない、大好きなおともだちにも、お父さんやお母さんにさえ知られちゃいけない、莉里だけの秘密の秘密を、実は小夜子は知っている。

 小夜子が秘密を知っていることは、莉里本人すら気づいていなかった。小夜子は小さくため息を漏らした。


 守りたい、あの笑顔……。


「あの……」


 小夜子が頬を染め涎を垂らしていると、ふとカウンターの向こうから見知らぬ声がした。振り返ると、サラリーマン風情の中年が、ケーキを注文しようとこちらを見つめていた。


「あ? 何だおっさん?」

「あの、ケーキを……」

「見せもんじゃねえぞ! 帰れ!」

「いや……あの、ケーキを……」

「帰れって言ってんだろ! さてはテメーも魔人なのか!?」


 小夜子はそう叫んで、棚からホイップケーキをむんずと掴むと、おっさんの顔目掛けて思いっきり投げつけ……たりはしなかった。

危ないところだった。

それで先日も、バイトをクビになりかけたところだった。本来なら視界を潰したところで、ニー・キックで顎を粉砕して、その後はアレしたりコレしたりしたいところだったが、今は耐えなければならない。それもこれも、全部莉里のためだ。


「あー……いらっしゃいませ。ケーキのご注文ですね」

「…………」


 ヒクヒクと頬を引き攣らせ、苦渋に近い笑みを見せる小夜子に、おっさんは若干引きつつも、目当てのケーキを買って帰っていった。


「お疲れ様、今日も頑張ったね」


 バイトが終わり、パティシエでこの店の主人でもある莉里のお父さんから声をかけられる。更衣室で制服に着替えていると、ちょうどTVから臨時ニュースが流れていた。


『……速報です! 先ほど突如町に現れた包帯男は、魔法少女スイート・リリィによって見事退治されました!』

「莉里様……さすがです!」


 TV画面で踊るピンク色の衣装をきた魔法少女を見て、小夜子は泣きそうになった。莉里は本当に良い娘だ。勇敢で、正義感も強く、それでいて優しくて、思いやりの心もあって……。


『なお警察は、逃げた包帯男の仲間を追っていて』

「逃げた男……」

『付近に怪しい人物がいないか、引き続き警戒を』

「後は任せてください……この私に!」


 小夜子はそう叫び、急いでスポーツバッグから肉切り包丁を取り出すと、転がるように店を後にした。


 小学生の頃。

 小夜子は魔法少女になりたかった。


 綺麗なドレスに変身して、不思議な魔法の力を使って。みんなの夢を、笑顔を守りたかった。


 残念ながら、彼女は魔法使いの血統でも何でもなく。魔法のステッキをくれる、小さな異世界のマスコットは、いつまで経っても小夜子の元に現れなかったけれど。


 おまけに勉強もからっきりで。男の子に混じって喧嘩ばかりしてたから、威勢ばかりよくなってしまい。

 母親は小夜子が物心着く前から弟を連れて家を出て。挙句親父はギャンブルに明け暮れ一家離散。

 覚えたのは、下卑た大人の嗤い声、口の中に広がる鉄の味と、野暮ったい煙草の匂いくらい。


 本当にどうしてこうなってしまったのだろう……あの頃の自分の憧れとは、てんで逆の方向に突っ走ってしまったのだけれども。


 だけど、


 今の私には莉里がいる。

 それだけが小夜子の希望だった。

 彼女のそばにいると、あったかい。莉里も、莉里のお父さんもお母さんもみんな良い人で、アルバイトの小夜子にもまるで家族のように暖かく接してくれる。


 莉里お嬢様は、路頭に迷い、薄汚れてしまった私の前に現れた、天使なのだ。小夜子は本気でそう思っていた。


 莉里の……リリィの笑顔を曇らせる輩は、この私が許さない。


 小夜子は肉切り包丁を握りしめた。

 莉里お嬢様は、私が守る。たとえ自分が、どんな目に遭ったとしても……!

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