第2話 林の中で

 俺は結局、坂のある駅の隣の駅に部屋を借りた。急行が停まるからという理由だった。


 俺が部屋を借りた辺りも、わりと緑が多いところだった。俺はその頃ジョギングが好きだったから、そういう環境に惹かれていた。それに、その時期は色々嫌なことが重なって、知り合いが全くいない路線を選んだんだ。週末は人に会わず、一人でいたかった。都心から離れているから、誰も尋ねて来ないし、俺も出かけて行くのが面倒になっていた。だから、休みの日は筋トレしたり、ジョギングしたり、家の近所で写真を撮ったりして過ごしていた。


 俺は一人暮らしのくせに、2階建てアパートの2LDKに住んでいた。田舎だから、家賃はすごく安かった。都心なら1Kの賃料というくらいの値段。車は持ってなくて、近場の移動は自転車と歩き。


 ある週末、俺は駅から歩ける距離にある、大きな公園に行った。その時期に咲いていた花をカメラに収めようと思っていたんだろう。凝り性だから、Canonの30万くらいの一眼レフのフィルムカメラを買って、毎週写真を撮りに行っていた。もう、20年以上前のことだから、そんなに給料も高くなくて、かなり奮発して購入したんだ。その頃すでにデジカメが出始めていたが、しばらくはフィルムカメラが好きで使っていた。そのうち、デジカメの性能が上がったことや、フィルム代や現像代がもったいなくて、やっぱりデジカメに切り替えてしまったけど。

 でも、今もカメラが好きだ。


 俺はとにかく、写真集みたいに上手な写真が撮れるようになりたかった。

 構図、アングルにこだわって、1枚1枚気合を入れて写真を撮る。毎週、新しいフィルムを現像に出すんだけど、毎回、仕上がりを楽しみにしていた。人生であんなに一人で過ごした時期はなかったけど、わりと充実していた。


 俺はその日も、より趣のある写真を撮ろうと、公園の植え込みの中まで入って行った。みんな舗装された道を通るから、人気がない。


 すると、木が密集している辺りに、人がいるのに気が付いた。カップルかなと思うと、ちょっと冷やかしてみたい気がした。さりげなく横を通る。青姦してたらさすがに遠慮するけど、立ってキスでもしてるみたいだったから。


 すると、そこには意外な人たちがいた。小学生の女の子2人と、眼鏡をかけた若い男が立っていた。一瞬、親子かなと思ったけど、ちらっと見たら女の子がスカートを履いていなかった。上は着ているけど、下はパンツでスカートを足首までおろしていた。そして、男がパンツのゴムに手をかけようとしているところだった。


 俺は何してるんだろうと思った。

 もしかしたら、そこで用を足しているのかなとも思ったけど、公園だから公衆トイレがある。

 あ、痴漢かもしれないとようやく気が付いたんだ。

 

 俺たちは目があった。

 男は慌てて手を止めたようだった。

 それで、俺が通り過ぎるのを待っていた。

 男は早く行けという不満を醸し出していたが、俺が立ち去ったら、女の子はパンツを下ろされてしまう。


 俺はとっさにその男の顔写真を撮った。猥褻犯だから証拠を残そうと思ったんだ。

 すると、一瞬だった。そいつはすごい勢いで俺に掴みかかって来て、顔を殴りつけた。俺はあっけに取られて頬を抑えていると、男は俺が首にかけていたカメラのストラップを無造作に持ち上げた。「あ、盗られる」と思って、俺はストラップに手を伸ばしたが、男はカメラをむしり取ると、全速力で走り去っていったんだ・・・。


 俺それを何もせずに見送った。追いかけて行って、刺されたりしたらどうしようという恐怖からだった。俺がもたもたしている間に、30万のカメラが森の中に消えて行ってしまった。ショックだった。自分がそんなに弱かったことも、子どもの前でいいところを見せられなかったことも。


 俺はスカートを下ろされてた方の女の子に声を掛けた。


「あの人痴漢だよね?」


 女の子は暗い顔で頷いた。

「触られてない?」

 また、頷いた。

「じゃあ、交番行こうか・・・俺もカメラ盗まれちゃったから・・・」

 女の子たちは戸惑っているようだった。

「行った方がいいよ。そしたら、警察もパトロールしてくれるよ」

 

 俺はクレジットカードでカメラを買ったから、買い物保険がついていると思っていた。だから、カメラは惜しくなかったが、保険金を請求できるように被害届さないといけなかった。俺は今思うと、自分が殴られたことや、カメラを取られたことばかりが気になって、女の子のフォローを全くしていなかった。


 歩きながらカード会社に電話して、買ったばかりのカメラを盗まれたことを説明した。俺は本当に無神経なクソ野郎だった。


 女の子たちは俺の後を無言でついてきた。


 交番に行くと、警察官は男だけだった。50代のベテランぽい人と、若い警官1名。女の子たちは、ますます不安になったのか泣き出した。


 彼らは俺をお父さんだと思ったらしい。

「実は、カメラを盗まれて・・・」

 俺は話し始めた。「公園の林の中に男がいて、女の子のスカートを下ろしていたから、痴漢だと思って写真を撮ったら、いきなり殴られて、カメラを盗まれたんです」


 警察の人は、痴漢の方を先に言うだろう・・・という顔をしていた気がした。

「保険請求しようと思うので・・・、盗難届出証明書っていうのを出してもらえませんか?」

 傍らでは女の子たちが泣いていて、若い警官が声を掛けていた。さっき痴漢に遭ったばかりで、男に話しかけられたら怖いだろう。誰もが痴漢に見えて来るに違いない。下を向いたままずっと泣いていた。

 でも、俺はそれよりカメラの保険の方が心配だった。多分、月の手取りがそれくらいだったと思うから、俺にとっては大金だったんだ。


 警官がどうにか女の子の家の電話番号を聞き出して、そのうち親が迎えに来た。


「その人がここまで連れて来てくれた方です」

 と、両親に俺のことを紹介した。お母さんは2人の娘を抱き寄せて泣いていた。


「ありがとうございました」

 父親は頭を下げた。

「あ、いえ別に何もしてないので・・・直接触られたりはしてないみたいなので・・・大丈夫ですよ」

 すごく気まずい空気が流れた。

「大事になる前に見つけていただいて、本当によかったです」

 俺は別に大したことない。と、本気でそう思っていた。パンツを脱がされたわけじゃないし、ただそれだけのことだ。直接触られたらもっと気持ち悪いし、黴菌が入ったりするかもしれないけど・・・スカート下ろされただけだから。

 

 











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