第7話 父の名は SIDE:光輝


 カップルシートの狭い2人掛け。


 好きな人の匂いに満たされた空間は嬉しい。


 邪魔者もいない。


 幸せな空間のはずだ。


 けれども光輝はもどかしかった。


『もっとピッタリくっついても良いだろ』


 昨日、コンビを組んだ恵は肩が触れても膝がくっついても「普通でしょ?」と平然としていた。むしろ、光輝の方がドキドキしたほど。好きという感情を抜きにしても、季節に早いオフショルダーの素肌が触れてしまったシチュは男の子にたまらない。


 普通の友達でさえ刺激的だったのだ。今日は、恋しい静香と二人きり。


 それなのに……


 手が触れるどころか、目一杯、反対側に座られているのが哀しかった。


『やっぱり、あれでいくしかないか』


 昨日の「二人きり」を生かして、恵からアドバイスしてもらった作戦だ。


『あれは、マジで有意義だったよ』


 モテて当たり前の光輝にとって女の子とは勝手に向こうからやってくるモノだった。だから、自分からのアプローチの仕方がわかわからない。特に静香に対して、どうにも空回りし続けてきた2年間だった。


 現状を変えるにはアドバイスが必要だった。おメグは親身になって相談に乗ってくれた。


 相手が静香だとは打ち明けなかったが、恵はわかっていたはずだ。


『おメグの性格だから、誰かに喋るはずもない。悪いことなんて起きるはずない』


 多少バレても仕方ないと思った部分もある。おかげで、突っ込んだアドバイスを受けられたのは大きかった。


『静香のこともよく知ってるんだから、あのアドバイスを使えば、きっと上手くいくさ』


 今こそ、使う時だ。


 2曲ずつ歌ってから、わざと次の曲を入れなかった。声を落としてテーブルを見つめたまま「実は、さ」と切り出す。大丈夫、このやり方もおメグが練習させてくれたのだから。


「みんなの前では言えなかったんだけど」

「どうしたの?」


 静香の返事に緊張が含まれた。


 普段は忘れたふりをしてくれるが、光輝は「告白してきた男の子」なのである。警戒するのも当然だろう。


 しかし、それには気付かないふりをして紅茶ソーダを飲み干して「オレの親の話だよ」と声をさらに小さくした。


 え?


 怪訝な顔をしつつも微妙に身体を寄せてくれた。やっぱり静香は優しいよね。惚れ直してしまう。


 声を潜めた分だけ、込められた秘密のニオイを受けてのことだろう。それにしてもと思う。


『クソッ、やっぱり警戒心が強いな。おメグは、ここで体をベッタリくっつけてくれたのに』


 とは言え、それも想定の中。


 秘密にしていた自分の親の話を恵にしたら「それって、絶対に使えると思うよ! ご両親の話をしてみたら?」というアドバイスだったのだ。


 静香が中学の頃、お父さんが浮気して出ていったことも恵から聞き出している。だから「親の話」だと言えば、敏感になるのも当然らしい。


『おっ、話を聞こうとしてくれてるじゃん』


 つかみはOK。完璧に近い。恵に本気で感謝する。


 さて、ここからが本番だ。


「ね? ノエルって知ってる?」

「世界的なソリストの?」

「そ」

「それならもちろん知ってるけど」

「本名は知ってる?」

「えっと、ノエルは本名なんだよね。姓は確か、さかい…… え!」

「あれ、母さんなんだよ」

「えええ! そうなんだ! ビックリ! あ~ だから酒井君は音楽の世界に来たんだ」


 早熟の光輝は中学時代に180を越えていた。人並み外れた運動神経もあって、光輝はバスケ部のスタープレーヤーだったのだ。今でも体育の時間にバスケをすると、バスケ部員を翻弄ほんろうするほどのプレイヤーだというのは、よく知られている。


 それが、なぜ合唱部なのかというのはフミ高の七不思議とまで言われた。男子に興味が無い静香ですら、光輝のウワサは聞いたことがある。それが、なぜ合唱部に入ったのは謎だと思っていた。


「いや、母親としてはあんまり自慢にはならないよ。世界中を飛び回っているからね。親子でも、あんまり会ってないんだ。あの人にとっては家族なんて二の次だからね」


 苦い思いを口調に含めないように注意を払いながらの謙遜。子どもの頃から、母親の愛情など感じたことがないのは本当だ。母親は、子どもよりも音楽を取ったのだと光輝はずっと思っていたのだから。


「そうなんだ~ あれだけ活躍なさってらしたら仕方ないのかなぁ。今度はNYホールで『魔笛』だっけ? 夜の女王のアリア役ができるほどの超絶技巧を世界で認められてる人って少ないんでしょ。素晴らしい人だわ、酒井君のお母さん」


 仕方ないの一言で、サラッと流されたのが胸にチクッと刺さるが、そんなことは小さなコト。静香が尊敬する「ノエル」が身近な人物だったという話は確実に興味を引けた。


 身を乗り出してきた。


 チャンスだ。


 今なら、キスだってできそうな距離。


 もちろん、そんなことをするつもりもないが、さっきまで感じていた心の距離が完全に埋まっているのだと嬉しくなった。


 さぁ、ここからだとばかりに、光輝は言葉を続ける。


「そうらしいよ。それが終わったら、国立こくりつホールでの公演も待っているしね」


 近々日本に帰ってくる。久しぶりに母親に会う嬉しさよりも、うざったく思う気持ちの方が強いのが実際のところ。しかし、ノエルを否定すれば静香の不興を買う危険性がある。


「すごいよね~ ノエルさんの歌。憧れなの。あんな風に歌えたら、どんなに嬉しいんだろ」


 目を輝かせて憧れを言葉にする静香。そこには一ミリのお世辞も入ってない。 


 静香がノエルに憧れているのは、前に聞いたことがあった。


 ここまではOK。共通の話題ができると女の子は気持ちが近寄るよというのは恵のアドバイス。


 「2人だけの秘密」が女の子は大好きだから、きっと二人の仲は縮まるよ。


 恵の言葉がありがたい。確かに、縮まっている実感が湧いてくる。


『これも、みんなおメグが「カップルルーム」を提案してくれたおかげだよな』


 二人っきりで話すことなど、こんなチャンスがない限り無かったはずだ。


『ここまではカンペキだよね』


 予想通りの反応に、内心、ニヤけてしまう。


 だが、大事なのはここからだ。


「で、さ、ノエルを世界の歌姫にしたのは誰か知ってる?」


 自分の母親を捕まえて「歌姫」だなんて言うのはバカげているが、ここは静香の憧れを増幅させた方が良い。もちろん「歌姫」はあらゆる宣伝媒体に使われているノエルの代名詞でもある。


「あ! お父さまね!」


 さすがに知っているらしい。


 ノエルは大学生時代から名前が知られ、怜悧れいりなまでの美貌と確かな歌の力で「将来を期待される美人ソリスト」と呼ばれた。しかし、裏を返せば大学時代までは「期待される」止まりの存在だった。


 転機は卒業後すぐに訪れた。


 光輝の父である酒井光延みつのぶに師事することにより奇跡とも言えるほど力を付けたのだ。ファンの間では「進化」とまで言われた成長として有名な話だ。


 二人は師弟の結びつきを愛に昇華させ、やがて結婚に至ったことも知られている。静香だって、もちろんわけだ。


「さすが! そうなんだよ。父がね…… あ、えっと、絶対に他の人に言わないで欲しいんだけど」

「うん、大丈夫だよ。こんな大事な話、ペラペラ喋ったりしないよ」

「あのさ、父が僕の話を聞いてくれて、静香ちゃんの歌を一度聴いてみたいって言うんだ」

「ウソッ!」


 思い切って「静香ちゃん」呼びをしているのに気付かないほどに驚いている。


 無理もない。


 酒井光延と言えば「ノエルを進化させた男」としてしられてはいるが、それ以上に、日本の音楽会の第一人者として知られている大物だ。世界にも通用する才能は「ウィーンフィルに」として有名な指揮者なのだ。


 巨匠という名をほしいままにする、現代の最も有名な音楽家と言って良い。


 そんな人物が自分の歌を聴いてくれる?


 静香でなくとも、興奮して当然のことだ。


『ク、ク、ク 効いてる、効いてる』


 真面目な顔を崩さないようにするのに苦労するほど食いついてきた。膝が触れているのに気付いてないほど。


 そんなにすごい人に、私の歌を聞いてもらえるの? 


 そんなセリフが頭に浮かんでいるのが光輝にも丸わかりである。


 歌をやっている人間が、この巨大な幸運を喜ばないはずがない。ましてや、合唱命の静香にとって、これがどれほどの嬉しさなのか想像に余りある。


『これ以上のエサはないよね?』


 内緒で、と言う条件もバッチリだ。酒井光延に歌を聞いてもらえるという話があまりに大きすぎる。「周りに喋らないで」と言うお願いは、として良くできていた。


 みんなに内緒の話は、おおっぴらに学校で話せない。


 当然のことだ。


 プライベートな問題だから、やりとりもプライベートなときにしてほしい。


 当たり前だろう。


 打ち合わせもしておいた方が良いよね?


 これも、当然のことだ。


 そんな理屈をすべて、静香はあっさりと飲んだのである。


 その日から、光輝との個人的なメッセのやりとりが始まった。




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