ご近所さんで友達未満の可愛い女の子は僕の事が気になっていたらしい

久野真一

第1話 ご近所さんで友達未満の女の子に恋をした

「いってきまーす!」

「はーい。行ってらっしゃーい」


 母さんの声に見送られて、かれこれ十六年は住んだ一軒家を出て、いつものように高校に向かって登校だ。もう六月に入って十日は経っているけど、まだ朝八時にもなっていないのにじっとりと暑さを感じる。


(これからもっと暑くなってくんだよなあ)


 照り付ける朝日に悪態をつきながらとぼとぼと歩いていると、細い路地から見慣れた姿の女の子がちょこちょこと近づいて来ていた。


 箱田優美はこだゆみ。昔からのご近所さんな女の子。

 小柄で親しみやすくて小動物めいた可愛らしさがあって。

 でもって、僕とは知人以上友達未満。


「おはよう、朝日あさひ君」


 僕を見かけるなり笑顔で会釈をするこんな態度もいつものことだ。

 といってもご両親に厳しく躾けられた箱田さんは誰に対してもこうだけど。


「おはよう、箱田はこださん」


 同じく僕も笑顔で会釈をする。

 彼女の家とは近所で通学路が同じだから鉢合うことも多い。

 ただ、わざわざ避けるのも妙だということで、学校まで一緒に行くのがなんとなくの習わしになっていた。


「最近、本当に暑くなってきたよね。嫌になっちゃう」


 既に衣替えが終わって丈が短い夏用の制服に着替えた箱田さん。

 小柄さもあって中学生みたいに見えると思っているのは内緒だ。


「地球温暖化の影響とか言ってるけど、夏なんて滅べばいいんだよ」

「朝日君、それは言い過ぎだって」

「いやいや、冬は着こめばいいけど夏はこれ以上脱げない。滅ぶべきだって」

「昔から朝日君の暑さ嫌いは少し異常だよ」


 クスクスっと笑う箱田さんの笑顔はわざとらしさがなくて昔から可愛い。

 箱入り娘らしく素直な彼女は学校でもどこかマスコットめいた扱いをされていて、天然だの何だの同性の友達からもイジられている。


 タイミングがあって一緒に登校するときはこうして談笑する僕たちだけど、友達と言える程の親しさはない。少なくとも僕はそう思っている。


 だって、学校に入れば休み時間にしゃべることもない。部活だって別だ。放課後に一緒に遊ぶことは……大人数のグループに巻き込まれたときくらい。


(でも、まあこういうのも悪くない)


 教室での人間関係のしがらみがない分、こうして気軽に普段の話題を話せる仲。他人よりは親しくて友達よりは親しくない。そんな距離感が僕は嫌いじゃなかった。


「夏休みが近くなってきたけど箱田さんはなんか計画ある?」

「うーん。おじいちゃんちに行くのと、夏祭りに一人で行くくらい」

「毎年似たパターンだよね。お祭りに一人で行きたがるのも」


 そんなに深く知っているわけじゃない。ただ、夏が近づいてくるとお互いの過ごし方を聞くのもいつものことで、あんまりそれらしい予定が入っていないのもいつものことだった。それと、お祭りには一人でというところも。


「朝日君もわかってないなー。ああいうのはお一人様で行くからいいんだって」

「そうかなー。僕は皆で行く方が好きだけど」

「昔からお祭り好きだもんね」

「夏祭りはなんだか僕の中に眠る血が騒ぐんだよ」


 しかし、こうして話していて不思議に思う。お互い一緒に遊んだことなんて数えるくらい。なのに、何故か箱田さんのことを妙に知っていると感じるときがある。


(まあ、朝にこうしてダベッた回数なら相当だしね)


 ふと、気が付けば僕らの街を北と南にぶった切る駅前へ。

 僕や箱田さんの住む住宅街は駅より南に十分ほど。

 学校がある駅の北側に行くには駅構内を通過しないといけない。


「構内は少し涼しいー!」

「どうせすぐに暑くなるよ?」

「それは言わないでよ」


 僕らの住むところは地方都市でも第一の駅だ。

 この時間帯は通勤ラッシュやら何やらでかなり人で混みあっている。

 眠そうな目をした人たち。

 だるそうに肩を落としつつ歩く人たち。

 時々、元気溌剌といった感じで楽しそうに出勤する人たちもいる。


 ふと、駅構内の柱―よく待ち合わせの目印に使われる―を見ると、何やらおじさんが背中を柱に預けて、どこかしんどそうにもたれかかっていた。

 よく見ると体調が悪そうで肩で息をしているようにも見える。


「箱田さん。あそこにいるおじさん、なんか体調悪そうじゃない?」

「確かにしんどそう。私服だから出勤途中じゃなさそうだけど」


 さらに近づいてみると顔には生気がなくて、時折手足が震えているようでもあった。


「ねえ。もしかしなくても、あのおじさん、まずいよ」

「う、うん。でも、どうしよう」

「ちょっと僕が聞いてみるから」

「え、え?」


 箱田さんはこういう時に臨機応変の対応が得意じゃないからおいといて。

 はぁはぁと苦しそうに息をしているおじさんに駆け寄る。


「すいません。とてもしんどそうですけど、どうかしましたか?」


 まだ四十台くらいだろうか。

 デニムにパーカーというラフな格好で無精ひげが目立つけど、ホームレスという感じではなさそう。


「ああ。すいません。これから出勤なんですけど、寝不足のせいか……ちょっと立ち眩みを起こしてしまいまして。大したことはないんで気にしないでください」


 出勤?スーツじゃなかったけど、私服もOKとかそういう会社なんだろうか。

 ただ、立ち眩みとは言うけど、手足の震え。

 それと、真っ青な顔色。荒い呼吸。

 僕の中の何かがまずいと訴えていた。


「朝日君。おじさん、大丈夫そう?」


 箱田さんが小声で耳打ちしてくる。


「大丈夫じゃないかも。熱中症になりかけな気がする。駅北のセブンで飲み物買ってくるから、箱田さんはちょっと見ておいてくれない?」

「う、うん。わかった」

「すぐ戻って来るから」


 もし熱中症だとしたら、一刻も早い対処が明暗を分ける。

 なんてことを言えるのは僕自身が中学で熱中症になったことがあるせいだけど。

 とにかく、冷えピタに経口補水液に、塩分が特に不足してる可能性もあるし塩タブレットもか。コンビニで急いで会計をして戻ると、


「おじさんは大丈夫そう?」

「なんだかさっきよりも調子悪そう。ぐったりしちゃってる」

「まずいな」


 見ると確かにさっきよりもぐったりしてしまっている。


「すいません。水分補給にこれ買って来ました。飲めますか?」

「ああ。ありがとうございます。いただきますね。それとお金は……」

「そういうのは後でいいですから」


 きっちりした人だなと思った。

 でも、とにかく今はそんな状況じゃない。


 ペットボトルの経口補水液をあっという間に飲み干したかと思うと。


「いやー。とても美味しいですね。水分不足だったのかも」

「よければこちらの塩タブレットも」

「何から何まで本当にすいません」

「いえ。その……熱中症の可能性もありますし。涼める場所に移動しましょう」

「あ。それなら駅北のベンチに日陰になってるところあったよ」

「確かにあそこなら」


 ということで、何やら申し訳なさそうなおじさんを連れてベンチに移動。

 10分、20分と経つ内に手足の震えも、額から出る汗も徐々に収まっていって、


(これなら大丈夫そうだ)


 僕はほっと胸をなでおろしていた。


「ありがとうございます。この分だときっと熱中症だったんでしょうね。最近、テレビでもネットでも特集されてるのに、本当になんと言っていいやら」

「いやいや。熱中症は誰でもなるから怖いんですって。気にしないでください。それじゃあ、僕たちはこれで。差し出がましいですけど、会社には事情を言って休んだ方がいいと思いますけど。それと、念のために病院にも」


 彼の様子を見る限りいったん落ち着いたようには見える。

 でも、僕の経験から言えばそのまま暑い中を動くのは危ない。


「そうですね。嘘でもないですし、病院に行って、会社には熱中症ってことで言っときますよ。残り少ない有給が……てこれはこっちの話ですけどね」


 そして、後ほどお礼をしたいとおじさんが譲らないのでラインを交換してようやく一件落着。


「そういえば、箱田さん。無理やり付き合わせてごめんね」


 おじさんの容態で手一杯ですっかり忘れかけていたけど、気が付けば時刻は9時を大幅に過ぎていて、二人とも遅刻確定だ。巻き込んでしまったことに少し申し訳なさを覚える。


「ううん。私はほとんど何もできなたったけど。見過ごしてたら後味悪かったし」

「僕だけだったら間がもたなかったし、ベンチの場所も思い出せなかったよ」


 遅刻はもう避けられないと諦めムードなので、歩幅はゆっくりだ。


「でも、朝日君。凄い手際よかったよね。こういうのよくあるの?」


 感心したような驚いたようなそんな表情で尋ねられるけど。

 うーん……。


「熱中症に関しては僕も中学でなったことあるから、それっぽい人は勘でわかるんだよね。それと、しんどそうな人放置するの寝覚め悪いじゃない?」


 別に人助けなんてたいそうなものじゃない。

 放置して後で重症になったり、最悪死んでしまったり。

 そんなことを想像すると寝覚めが悪いだけ。


「朝日君、カッコイイよね。普通出来ることじゃないよ?」


 微笑みをたたえての誉め言葉は、茶化す色は欠片もなくて。

 急に何か凄く恥ずかしい気持ちになってくる。


「え?いや、別にそこまで言われるほどでも……」


 そりゃ、人助けは気分がいいとかそういうことくらいは思うけど。

 別に褒められるためにしてるわけじゃないし。

 でも、こうして正面切って褒められると悪い気はしない……というか照れる。


「ふふ。照れてる、照れてる。良いことしてるんだから、照れなくてもいいのに」


 くそう。


「箱田さん、意外と小悪魔系女子だった?僕めっちゃ恥ずかしいんですけど」


 なんでこんな辱めを……。


「そうじゃないって。本当に凄いなって、カッコいいなって思っただけ」

「あー。そこで真正面に言われると滅茶苦茶照れるんだけど!」

「いいじゃない。でも、朝日君にこんな一面があったんだねー」

「あー、もう。忘れて!人助けはひっそりと自己満足に浸るからいいんだよ」

「本当に格好いいと思うんだけど」


 それはもう、生涯これ以上褒められることがないのではないかというくらい。

 箱田さんに褒め殺しをされながら登校したのだった。


 そして、職員室で二人して遅刻した事情を話した後。


「じゃあ、箱田さんはお先に」


 一緒に登校するのは校舎に入るまで。

 それが僕たちの間の暗黙のルールだった。

 二人で同時に教室に入れば勘繰る奴だって出てくるし、僕も箱田さんもきっと望むところじゃないだろうから。


「うーん。今日くらい一緒に堂々と入ろうよ」

「いや、でも……」

「別に二人で人助けしてただけ。後ろめたいことはないでしょ?」

「それは……わかった」

「わかればいいの」


 何故だろう。いつもなら、言わずとも彼女は了解してくれたはず。

 それがなんで、今日に限って。


「おはよう!」


 元気よく堂々と。

 そんな形容が似合う声で教室の前から入る彼女に合わせて。


「おはよう……」


 少し気まずい気持ちになりながら、同じく教室の前から入ったのだった。

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