第27話 ベクトールの絵と地下街の頭領
朝日が窓から差し込んでいる。鳥のさえずりが朝の雰囲気を醸し出す。ラブローは倉庫でベクトールの日記を読みながら、すっかり寝込んでしまっていた。
扉が開く。入って来たのは用務員のゴイセンだった。
目を覚ましたラブローは、目が合った。ゴイセンは気怠そうに横になったいるラブローを見下ろしたいた。
ラブローは気まずい感覚を覚え、立ち上がった。昨日の夜の疎ましげな態度からすると、自分の邪魔をしてくるのかもしれない。
心の中で身構えながら声をかけた。こういう場合、先に声を出して敵意がないことを相手に伝えた方が得策だ。
「おはようございます」
ゴイセンはラブローを一瞥したが、それには答えず、倉庫の奥へと行ってしまった。
──何を考えちょるんか、全く分からん人や。
眠い目をこすって、日記に目を落とす。まだ、半分も読みきれてなかった。とにかく日記を読み進め、情報を集めなければ。
すると、いつの間にかゴイセンが戻って来ていた。
「ひっ!」
驚いたラブローは思わず声を出していた。
「な、なんですか?」
すると、ゴイセンは一枚の絵を差し出した。
「これもベクトール君の持ち物だよ」
それは、美しくも不気味な絵だった。一面の黄色い花畑の中に大勢の人が倒れている。ナイフを突き立てられているものもいる。そして、その前に立って見ている二人の人間。肩を寄せ合っている。小さな男の子と、その横にいる女性は母親だろうか?
「これはベクトールさんとお母さん? いや、違う。たしかセレスティアさんは両親ともに亡くなったと言っちょったし」
「お姉さんだよ、きっと。最近、ベクトール君は孤児院の外で女の人と会っているのを何度か見たよ。私はこの絵の女性は、お姉さんなんじゃないかなと思っていた」
「どうしてですか?」
「この絵と同じように、二人で支え合っているような印象だったからだよ」
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地下街のはずれの暗い道を、ネイピアとジューゴは歩いていた。少し前を歩いていたエレメナが振り返って言った。
「覚悟はいいですか?」
「ああ」ネイピアが答えた。
エレメナはドレア人の説得に力を貸してくれることになった。ネイピアはドレア人であるエレメナに敬意を表して〈契約〉を結ぶことにした。名目上、エレメナは通訳としてネイピアに雇われることになったのだ。金を出しているのはジューゴなのだが。
この先からいよいよ居住区に入っていく。さっそく、ネイピアとジューゴの姿を認めたドレア人が騒ぎ始めた。通りにいるドレア人たちから、殺意に満ちた視線が送られてくる。
エレメナは、ドレア人たちに向かって何か叫んでいた。
「なんて言ってるんだ?」ネイピアが聞いた。
「『なんで異教徒なんか連れてくるんだ?』って怒鳴られるから『ビジネス契約だから仕方ない』って答えてるところです」
「そう言えば許されるのか?」
「まわりを見てください。許されてると思います?」
通りに沿って立ち並ぶコンテナ型住居の二階や三階から石やゴミが容赦なく投げつけられる。すでに、ジューゴは頭から流血していた。
「まあ、歓迎はされてないよな」ネイピアは苦笑した。
「チッ、犯罪者にでもなった気分だぜ」ジューゴが眉間にしわを寄せて言った。
「痛ッ」ネイピアの顔面にも石があたった。「ありがてえこった! 大歓迎じゃねえか‼︎」ただの痩せ我慢をネイピアは言った。
「ただ、さっきも言いましたけど、ドレア人は商売であれば異教徒と関わってもいいことになっています。そして、取引における契約は神であるモウラ・レーラから保証されます。だからこれくらいで済んでいると思います。本当だったら、今ごろ切り刻まれてるかもしれません」
「ふーん、で、まだ着かねえのか? エレメナちゃん」ネイピアは言った。
「もう少しです」
怒号のアーチの中を十分ほど進んだろうか、エレメナが立ち止まった。
そこには周囲の家よりも一層古いコンテナ型住居があった。
「ここが頭領の家なのか?」ジューゴが聞いた。
「そうですが、何か?」
「いや、随分と……みすぼら、いや、質素だなと」ネイピアが言った。
「ドレア人の社会には特権階級がないんです。だから、頭領だって、暮らしは普通の人と何ら変わらない」そう言いながらエレメナはドアを開けた。
彼女に続いてネイピアとジューゴは狭い入り口から入った。
中は、外から見た通り狭かった。部屋の中央にランプが一つあるだけで、薄暗い。
「ちょっと待っていてください」
エレメナは一旦、奥へ入り、そして、歩くのがやっとといった様子の小さな老人をかばいながら出て来た。
「頭領です」
『頭領』という言葉のイメージから、屈強な大男を想像していたネイピアは面食らった。頭領というより長老だ。
「私のおじいちゃんなんです」
「おじいちゃん? エレメナちゃんって、中々すげえ家の出なんだな」
「※∈」頭領が聞き馴染みのない言葉で言った。
「『用件を言え』ですって」エレメナが通訳する。
「まず、話に入る前に、謝罪したい。あなたの土地に無断で入り、一人に暴力をふるってしまった。申し訳なかった」ジューゴは深々と頭を下げた。
横柄で偏屈極まりないと思っていたジューゴの恭しい態度にネイピアは面食らったが、一緒に頭を下げることにした。
「すみませんでした!」
「大丈夫ですよ。縛られちゃった人は、怪我もしてないし、お金をもらえて喜んでいました」
すでにエレメナの仲介で昨日縛り上げてしまったドレア人との和解は成立していた。
「∈⊆♂」
「おじいちゃんも『問題ない』って言ってます」
「そうか。なんか話の分かる人で良かったぜ。他の連中みたいに、いきなり石でも投げつけれるのかと思ったぜ。二、三発は覚悟してたんだが」ネイピアはホッと胸を撫で下ろした。
「おじいちゃんは、地上の人に慣れてるから。おじいちゃんが若い時は、地上で暮らしていたこともあるんですよ」
「街の連中が失礼をしたようじゃな」いきなり頭領は、ボミラールル語でしゃべった。
「え? しゃべれるんですか?」ジューゴは驚きを隠せなかった。
「エレメナ、もう小芝居はいい」頭領は低い声でさすがにドレア人を率いている男の威厳を感じさせた。
「はーい、おじいちゃん」エレメナはペロッと舌を出してネイピアたちを見た。
「エレメナちゃんもなかなかやるぜ……」ネイピアは苦笑した。
「小芝居は新聞記者の得意技ですから、アハハ。さっき言ったでしょ。おじいちゃん、若い時は、地上で暮らしてたからボミラールル語ペラペラなんです」
「しかし、なんでわざわざそんなことを?」ジューゴが尋ねた。
「あなたたちを試したんです。地上の人の中には言葉が分からないと思って、平気で侮蔑的なことを言うひとが多いんです」
「あなた方は礼節を重んじるようじゃ。で、用件はなんじゃい?」頭領は単刀直入に切り出した。
ネイピアがジューゴと目を合わせてから一歩前に出て話し始めた。
「取引があるんです。俺たちが欲しいものは、ここに潜んでいる犯罪者の身柄です。そして、代わりに俺たちが提供するのは、船着場の工事の権利です。お孫さんから聞きました。船着場の出入り口が狭いために、物資の搬入が大変だと。だから、工事して広げればいい。あなた方の建築技術ならたやすいはずです」
「無理じゃ。強度が足りない」
「それは通路の出口の上に建物があるからでしょう?」ジューゴが言った。
「そうじゃ。入り口を広げ、通路を拡張するとなると、上の建物が支えられず、崩れてしまうじゃろ。あれが限界なんじゃ」
「大丈夫です。上の建物は撤去しましょう」
「そんなことができるのかい?」
「自警団の所有だからなんとでも。一階は詰所で二階と三階は間貸ししてあるんです。説得すれば、なんとか空にできます」
「ね? おじいちゃん、悪くない話でしょ」エレメナが頭領の肩に手を置いて言った。
「しかし、安全じゃない。今までは隠し扉を通じて船着場から荷物を運んできたんじゃ。それは、地上の連中の略奪を恐れてのことじゃ。工事をすれば、そこに出入り口があるのが周知の事実となるじゃろう。あなた方に知られただけでも、こちらは安全保障上のリスクなんじゃ」
よぼよぼの高齢者だと思っていたが、さすがに頭領だとネイピアは思った。目つきは数々の修羅場をくぐりぬけてきた鋭さがある。話次第では、生きては帰れないかもしれないと肌で感じた。この老人が一声あげれば、すぐに屈強な男どもが集まって来て自分たちを囲むだろう。
「安全は自警団が保障する」ジューゴが胸を張った。
「どうやって?」
「もともとあった詰所を隠し扉の前に持ってきます。そこで警備にあたる」
「それでどうなる?」
「安全に物資を地下街に運ぶことができる」
「信用できないのう。話は終わりじゃ」
頭領の言葉は有無を言わせない迫力があった。
「ちょっと待ってください!」
頭領が踵を返したところに、ネイピアは言葉を投げかけた。
「頭領、分かりました。捜索は諦めます。しかし、俺が地下街で商売するのは認めて欲しい」
頭領が立ち止まった。
「神の名のもとに契約を結ぶのなら、それを止めることのできる者はいない」
そして、ゆっくりと歩き始め、奥に消えた。
「商売って何する気ですか?」エレメナがネイピアに問いかけた。
「買い付けだよ」ネイピアは澄ました顔で言った。
「何を買い付けるんですか?」
「情報だよ」
「おっさん、金まだあるか?」
「は? また金かよ‼︎」
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