第25話 再び孤児院へ

 ドンドンドン。


 ラブローは自分の背丈を遥かに越える頑丈なドアを必死で叩いた。


 セレスティアと別れてから、一旦寄宿舎に戻り、ランタンを持って出て来た。一日の任務を終え帰って来た隊員たちと出会し、仮病はバレてしまった。


 何らかの処分が下るかもしれないが、まあそれでもいいだろう。ラブローは自分の処遇などすでに全く気にしていなかった。


 そもそも、孤児院を再訪するのだって、明日にしてもよかったのだが、ラブローはいても立ってもいられなかった。


 捜査が自分の目の前で転がり始めている実感があった。一刻も早く真相に近づきたい。そんな興奮状態がずっと続いていた。


 真っ暗な道をランタンの灯りだけで走って来た。時刻はすでに夜の八時を回っている。孤児院では夕食も終わり、就寝の準備をしている時間だろう。すでに失礼なのは承知していた。


ドンドンドン。


 なかなか応答はない。


──昼間の若い修道女が出てきてくれんかなあ。そしたら話が早いんやけどな。


 大きな目をパチクリしながらしゃべる愛嬌のある修道女の顔を思い浮かべながら、念を送っていた。


 しかし、しばらくして玄関のドアを開けたのは、警戒心を剥き出しにした初老の男だった。


「何ですか? こんな時間に」


「不躾に申し訳ありません。巡察隊の者なんやけど」


「でしょうね。隊服を見たら分かります」


「ベクトールさんの件で、昼間に一度おうかがいしちょるんですが」


「聞いてませんね。もう子供たちは寝る時間です。明日、出直してください」


「いやあの、これ」


 ラブローはセレスティアから預かった手紙を男に見せようとしたが、男に突き返された。


「とにかく、今日はもうお帰りください」


 すると、中から声がして男が振り返った。

「ゴイセンさん、私が対応します」半開きのドアを開けて出て来たのは昼間の修道女だった。「こんばんは、えっと……」


「ラブローです。ラブロー・デン・モーテン。二等巡査です」


「私はアンビー・ローアです」


「アンビーさんいうんですね。よろしくお願いします。お互い、名乗っちょらんでしたけんね、アハハ。大変失礼しました」


「そうですね、フフ」


 アンビーは、ラブローが気に入っている人懐っこい笑顔で応えてくれた。男はまだ怪訝な目で見ているが、ラブローは一気に緊張が取れた気がした。


「ラブローさん、そのお手紙を拝見しても?」


「は、はい」


 ラブローから手紙を受け取ると、素早く一読した。


「倉庫にあるベクちゃんの荷物を見たいのですね。院長も承認しているのなら、断る理由がありません」


「しかし、もう就寝の時間だよ、アンビー。明日でもいいんじゃないか?」初老の男が横槍を入れた。


「あなたはもう休まれて構いませんよ」アンビーが言った。


「ああ、わかった。じゃあな」男はあっさりと引き上げていった。


 アンビーはその背中を見ながら小声で言った。

「用務員のゴイセンさんは自分が早く上がりたいだけなんですよ。お部屋でお酒を飲むんです。本当はお酒自体、院内に持ち込んではいけないんだけど、フフ」


「まあ、そう言う人はどこにでもおるけん」


「ラブローさんは熱心なんですね、こんな時間まで」


「早く解決したいだけですわ」


「アハハ、頼もしいこと、ちょっと子供たちの部屋を見て来ますから、お待ちください」


 五分後、戻って来たアンビーはランタンと鍵を持って来た。そして、一旦外に出て裏庭にある倉庫に二人で向かった。


 倉庫は意外と大きく、一つの家族が暮らせそうなほどだ。


 アンビーが鍵を開けて、中に入る。


 いくつか天井からぶら下がっているランプに火を灯し終えると、薄暗いが全体が浮かび上がってきた。


 背の高い棚がしつらえてあり、大きな籠がいくつも置いてあった。


 一つずつ、ここにやってくる子供たちの持ち物がまとめられているのだろうと、ラブローは思った。


「私も久しぶりなんです。ここに入るのは」アンビーが言った。


「あなたが入所した時に持っちょった荷物もここに?」


「いいえ、私は生まれてすぐに大聖堂の前に捨て置かれていたので。もともとの持ち物なんて何もないんですよ」

 そう話すアンビーの横顔は少し陰があるように見えた。しかし、口元には笑顔を忘れずに続けた。


「大聖堂の前に子供を捨てる親は多いんですよ。神の御加護がありますようにって子供を捨てる親たちの最後の親心なんでしょうね……私のローアっていう苗字は、大聖堂に捨てられた親の分からない子供たちが神様からいただく名前なんです。この孤児院にも”ローア”が何人もいるんですよ」


「そうやったんですか……」


「あ、そんなことより、ベクちゃんの荷物を探さないと」


 アンビーはホコリをかぶった棚に手を伸ばし、服が汚れるのも厭わず、籠の縁に縫い付けられている名札を確認し始めた。


「ありました!」


 奥の方からアンビーが引っ張り出して来た籠には、小さな子供サイズのシャツに半ズボン。パンツや下着が入っていた。ボロボロになった熊のぬいぐるみもあった。


「男の子なのに、こんなものも持ってたんだ。ベクちゃんもこんな可愛い時代があったんだよね、フフ……アハハ……」


 アンビーの乾いた笑い声は、次第にむせび泣く声に変わった。


 ラブローは何も言えずにいた。目の前で女の人が泣いている。こういう時に自分はどうしたらいいのだろう。


「あの……」

「ご、ごめんなさい」アンビーが涙を堪えて言った。「何か手がかりは……」


「……じゃ、ちょっと失礼して」


 ラブローはまるで神聖な儀式を行うかのように、一つひとつ丁寧に籠から出していった。一番下にあったのは、分厚い本だ。めくってみると、一目でそれは日記だとわかった。


「これはベクトールさんが書いたものでしょうか?」


「そうですね。ベクちゃんの字に間違いありません」


「孤児院では日記を書くように言いつけちょんのですか?」


「いいえ。ベクちゃんは自分で書きたいと思って書いたんですよ」


「感心なお子さんやったんですね。僕、学校で書けと言われたこともあるけど、日記なんち一回も書いたことないもんやけん」


「孤児院にくる子たちはいろんな体験をしています。それこそ人に話せないようなことも。でも、吐き出したい。吐き出さないと自分が壊れてしまいそうで……そんな思いで日記を書く子は少なくありません」


「そうなんですね……」


 ラブローは頷きながら思った。アンビーも同じように日記を書いたのだろうか? アンビーの横顔はどこか寂しげに見えた。


「ベクちゃんが日記を書いていたのは入所して三年くらいでしょうか」


「三年? その後は全く書かんくなったんですか?」


「はい、そう記憶しています。多分、その頃にやっと心が落ち着いたんだと思います」


「……これ、読んでもいいもんやろか?」


「どうでしょうねえ。まあ、読んでもいいんじゃないですか? ウン、いいと思います! ベクちゃんはそんなことで怒ったりしませんよ」アンビーはいつもの笑顔でそう言った。

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