第15話:病を抑え込むために


 『白熱病』


 ダウナーサイドに広まった流行り病を人々がそう呼び始めた。

 出始めた当初は微熱が少し長引く程度のものだったが、次第に罹患者の熱は上がり、期間も長くなる。そしてついに最初の死亡例まで出た。

 これにより、流行り病は単なる『風邪のようなもの』から『最後は肌が真っ白になり、高熱に苦しんで死ぬ』恐ろしい病へと変わる。

 最初の死亡例が出ると、翌日にはそれが10人に増えた。その勢いは増していき、1週間後には100人、2週間後には数100人が毎日命を落とすようになる。


 まさに異常事態だった。


 ダウナーサイド、特にダウナーイーストサイドの人間に対する偏見や非難、運が悪い時には暴力沙汰にまで発展した。また、工場地域に労働者が集まらずに停止に追い込まれるケースも増えてきた。その付近の医療はすでに飽和状態を超えてうまく機能しなくなっている。

 増え続ける罹患者と死者数に人々は震えるも、感染の経路や原因、適切な治療や予防策は見つかっていない。特に肌が白く変色し高熱になる『白熱状態』になってしまえば、もう打つ手はない。鎮静剤で苦しみを和らげるくらいしかできない状況だった。

 その死の病がダウナーサイドを急速に蝕んでいる。

 人々は、感染がダウナーサイド以外のエリアに広がらないことを祈るほかなかった。

 当初は流行り病、もとい白熱病を軽く考えていた市政府も、早急な対応が求められた。



「どうなっているんだ!」

 アダム・ゴードンが、市庁舎の市長執務室に足を踏み入れた瞬間に投げかけられた言葉がこれだ。

 声の主はもちろん市長のサイラス。

 沈痛な面持ちでアダムは顔を伏せる。


 白髪を後ろに撫でつけ、顎には立派な髭を生やした老紳士。長身で体格にも恵まれ、切れ長の目はさぞ若い頃はモテたことだろう。

 それが大学附属病院の医師長を務めるアダム・ゴードンだった。さらに彼はニュージョージ医師会の長でもある。当然、今回の白熱病の対応の責任者にも任命されているが、進捗は思わしくない。どれほど調べても、類似する病気を発見できない。未知の病気なのだ。そのためどのような対処をするのが適切なのかも分からず、医師会でも頭を悩ませていた。

 ダウナーサイドのみで広がっていることから、サイラスも特に口を出すことはなかったが、罹患者や死者数の増加に伴い、アッパークラスからの不安の声が上がったのだろう。


「白熱病とは一体なんだ?」

 押し黙っているアダムにサイラスは声を荒げて問い詰める。

「申し訳ございません。あらゆる資料を探っているのですが、似たような病、感染症が見つかりません」

「では、新種の病気ということなのか?」

「断言はできませんが、今の時点ではそうと考えられます」

 部屋に入ってきたままの状態でサイラスに睨まれ、普段は威厳のあるアダムもさすがに委縮してしまう。彼の声一つで、自分の築き上げてきた場所が崩れ落ちる可能性もある。

「お前たちは何をしているんだ? これを見たか?」

 サイラスが投げて寄こしたのは新聞紙。紙面には『白熱病、感染拡大! 震えあがる市民たち。市の対応未だ見えず』と書かれていた。

「この私ではこの状況に力不足だそうだ」

 市の対応の遅れを指摘する記事だった。

 アダムは汗をかきながら頭を下げるしかない。しかし、実際は感染を抑えるためにさまざまな案を提案していたが、そのほとんどが却下されていた。曰く、市の経済を回すため。曰く、必要以上に不安を煽らないようにするため。だそうだ。

 ただそれは建前であり、おそらくは支援者に不都合が生じるからだろう。

 それでも、責任者たるアダムの失態として、頭を下げるしかなかった。

「市長にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」

「お前の申し訳ございませんは聞き飽きた!」


「あなた、あまりゴードン先生をお攻めにならないであげてください」


 サイラスの怒声を制するように女性の声がした。

 その時初めてアダムは、その部屋のソファに夫人のナタリーがいることに気付く。

「私たちの都合で、ゴードン先生も苦しいお立場なのです」

 ナタリーに言われ、サイラスも口を閉ざした。アダムは内心ホッとする。

「すみませんね。ゴードン先生。ご家族が帰省中だったとか?」

「はい、息子夫婦が来ています。この白熱病の騒ぎがあり、予定を繰り上げて街を発つ準備をしていました」

 別の街に暮らしている息子夫婦が孫を連れて遊びに来ており、心安らぐ昼下がりに、急遽呼び出しを食らった形だった。

「急な呼び出しにさぞ腹を立てているでしょうね。しかし、実は大切なお話があるのです」

 ゆったりと話す彼女はアダムの心を落ち着かせる。

「どういったご用件でしょうか?」

「お前には、白熱病の治療薬の開発に携わってもらう」

 答えたのはサイラスだった。

「しかし、そんな簡単には……」

 できるはずがない。アダムはその言葉を飲み込んだ。サイラスの逆鱗に触れそうだったためだ。しかし、それでも言わずにはいられない。治療薬などが簡単にできていれば、こんな状況にはなっていない。未知の病の薬など、まさしく未知の存在に等しい。

 そんなアダムの様子に、ナタリーは見透かしたように笑みを浮かべ続ける。

「もちろん、簡単なことではない。いえ、至難です。市としても全力でバックアップします。市長はすでに、ミッドサイドにある製薬会社と話をつけています。あなたが治療薬開発に専念できるように」

 すでに環境が整えられている状況にアダムが驚いてサイラスを見ると、彼は渋い顔をしながらも頷いている。ソファから立ち上がったナタリーは近づくと、アダムの右手を両手で包み込むように握る。

「市長は少し言葉が鋭すぎる所がありますが、それはこの街のことを思ってのことなのです。ゴードン先生。これは市全体の危機です。お力をお借りできますか?」

 ジワリと右手から伝わるナタリーの温かさがゆっくりと全身を包んでいく。安心と勇気が不思議と湧いてくるようだった。

「もちろんです。ストロング夫人」

 考えるよりも先に口から出ていた。自分でも予期してなかったので、少し声が上ずっている。

 恥ずかしさに赤面するアダムにナタリーはクスリと笑いながら、「ナタリーで結構です」と言って手を放す。

 だが、大事なことを忘れている。

「白熱病への、ダウナーサイドへの対応はどうなさるのですか?」

 今までアダムが取り組んできた役目(ろくに動けていなかったが)はどうするのか。このまま感染を放置することはできないはずだ。

 そのことについてはすでに予想していたようで、サイラスは少しため息を吐きながら言う。


「そのことだがな、ダウナーサイドを封鎖する」


「え?」

 突拍子もない発言に聞き返してしまう。街の3分の1を封鎖すると言ったのか?

「幸いなことに白熱病はダウナーサイドから出ていない。そのためダウナーサイドを封鎖すれば、漏れる心配もない。工場を動かすことができずにかなりの損害が出るが、しばらくの間なら何とかなる」

「そ、それはそうですが、ダウナーサイドに住む者たちはどうなるのですか」

「もちろん、封鎖区域から出ることは許されない。彼らには白熱病の危険が収まるまで耐えてもらうしかないだろうな」

「見捨てるのですか?」

 アダムの発言にサイラスの視線が厳しくなる。が、すぐに隠すように笑って見せた。

「人聞きの悪い言い方をするな。もちろん必要となる物資などは、配給する予定だ。見捨てなどしてない。ただ、どうやって広がるかも分からない中で街全体を守るには、これが最善の選択なのだ。私としても苦渋の決断だよ。早く事態が治まるか、治療薬の開発に祈るほかない」

 言葉でどれだけ取り繕おうが結局はダウナーサイドに住む人間を見捨てる選択をしたのだとアダムには分かる。狭い区画に多くの人が密集し、衛生環境も悪い。そして、封鎖をされればさらに環境は悪くなるだろう。人々の心は荒び、犯罪も増えるに違いない。もしかしたら暴動になるかも。それでも、アダムには代替案を示すことができなかった。ダウナーサイドの住人を見捨てることで、自分の家族や友人が少しでも危険から遠ざけられるのなら、そう思ってしまう。ニュージョージに遊びに来ている幼い孫息子の顔がチラついてしまう。だから、彼も「そう……ですか」としか言えなかった。


 その時、廊下が騒がしくなった。

 引き留めようとする声と、それを無視して近づいてくる足音。

 真っすぐ執務室まで来ると、軽くノックがされた後で、サイラスの返事も聞かずに扉が開かれる。

「申し訳ございません。市長。お停めしたのですが……」

 秘書が涙目になりながらも謝罪するその隣には、金髪を後ろに撫でつけた上質なスーツの男が薄っすらと笑みを浮かべて立っていた。

「なんだお前は?」

 突然の訪問者にサイラスの口調もついきつくなる。

 鋭い声にも男は動じず、やけに耳に残る声で礼儀正しく挨拶した。

「こんにちは、みなさん。私は連邦政府から来ました。ホワイトと呼んでください」

 お辞儀をするとホワイトはサイラスの元まで近づき懐から書類を差し出す。

 そこには連邦政府の印が押してあった。

「未知の病気が発生したとの報告を受け、派遣されました」

 訝しげな視線を送るサイラスに、ホワイトは笑みを崩さない。

「ダウナーサイドを封鎖されるおつもりだと聞きました」

 まだ内密にしていた計画を知られ、驚くサイラスに構わず話し続ける。

「いい案だと思います。あそこで抑え込めれば、被害も最小限だ。数ではなく、あくまでも価値としての話しですがね」

 ニヤリと笑う顔は背筋を寒くする物があった。

「ただ……実は、それだけでは足りないと、連邦政府は考えております」

「足りない?」

「えぇ。まったくもって足りないのです。私が来た目的は、白熱病の解決、そして抑え込みです」

 そう言ってもう一枚、紙を取り出しサイラスに渡す。

 それを見た彼は、目が飛び出るほど見開き、呼吸も浅くなる。

「こ、こんなことが、許されるはずがない!」

 サイラスは顔を真っ赤にしながら怒鳴る。

「いえ、可能です。白熱病を他の街に出すわけにはいかないのです。従わないのであれば、実力行使になってしまいますな」

 ナタリーも書面の内容を覗き込むと眉を顰める。そしてアダムも……

 彼は目を疑った。

 紙に書かれている指令は1つ。



 それはニュージョージの完全封鎖だ。

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