第8話 再燃

第三部 2020年


 絵里と陸が権厳寺ごんげんじ家から去って、10年の歳月が流れた。


 空と優子は結婚して、2人の子供に恵まれていた。

 そして、3年前に権厳寺グループの経営権を咲弥から空へと任されていたが、すべての事業で不振が続き、倒産の危機に追い込まれていた。京介の経営手腕がいかに強靭だったかを思い知った空は、なりふり構っていられないと、金策に走り回っていた。


 そんな時、ガンと診断された咲弥が56歳で他界してしまった。

 葬儀の知らせは絵里と陸の元へも届き、通夜会場へ二人が現れた。


 10年ぶりに顔を合わせた空と陸。


 お互いに、その関係性の距離を詰めようとも広げようともせず、あいさつもそこそこに、また長い別れを続けようとしたが、空は陸を引き留め、助けを求めた。

 大学を中退してから、仲間と事業を立ち上げた陸は成功し、巨大ITベンチャー企業の取締役となり、資産を築いていた。そのことを知っていた空は、経営危機の権厳寺グループを救ってほしいと嘆願したがしかし、陸の返事は「考えておく」と、そっけのないものであった。


 通夜会場から去ろうと、建物の地下駐車場まで来た陸を、優子が追いかけてきた。

「今日は来てくれてありがとう。陸ニィ」

「僕も咲弥さんにはお世話になったから。元気だったか?優子」

「うん。あの、その、話は特に無いんだけど、今日来てくれたお礼だけ言おうと思って、、、」

 優子の心は疲れ切っていた。母の死に加え、空との結婚生活はうまくいっておらず、空が銀座のホステスと半浮気していることを知っていたからだ。

「優子。僕にそんな目をするな。僕は君を癒してあげたいけれど、そんな立場じゃないんだ。今はこれで我慢してくれ」

 優子がとても参っていると気づいた陸は、優しく抱き寄せて、頭をなでて、わずかな安らぎを与えた。優子は目を閉じ、陸の厚い胸の中で徐々に癒され回復する自分の心を実感すると同時に、10年前に交わした陸の唇を思い出していた。

 その時、最後にもう一度丁寧に融資のお願いをしようと考えた空が、陸を追いかけて地下駐車場に来てしまった。抱き合う陸と優子の姿を目撃してしまった空は、驚きの表情を浮かべるが、それはすぐに怒りの表情へと変わった。

「なっ!そういうことか。わかった。オレの会社が潰れようが刺し違えてでもお前の会社を終わらせてやるからな!覚えておけ!陸!」

 陸は、優子の悲しみに気づかずに癒してあげようとせず、勝手に勘違いして怒っている空にあきれて、弁明することなく車に乗り、その場を去っていた。


 数日後、優子は絵里に、咲弥の遺品整理を手伝ってほしいと誘い、権厳寺家に招き入れた。

 二人は咲弥の部屋で、段ボールを広げて片付けながら話をした。

「私ね、絵里さんの言ってくれたように、本当に好きな人と付き合うべきだと、今頃になってわかったわ」

「何言ってるの。私はそれで失敗したんだから。今のあなたは、大きなお屋敷で二人の子供もいて、十分幸せなのよ。それ以上何かを望もうとすると、私みたいに取り返しのつかないことになるわよ」

「ありがとう絵里さん。もう少しここで頑張ってみるわ。ところで、夫の空と、陸さんの関係がとても良く無いの。何とか仲直りさせる方法はないかしら」

「大人になってからの兄弟喧嘩はやっかいね。私から二人に話をしてみるわ」

 世間話を続けながら、咲弥の遺品整理をしているとタンスの奥から、10年前に亡くなった京介の手記が出てきた。それは、京介が1980年に会社を立ち上げた時から、亡くなる2010年まで使わていた物で、備忘録としてのメモ書きが、細かい字でぎっしり書かれていた。咲弥はこれを京介の形見分けとして受け継いでいたようだ。

 絵里はなにげなく、手記が書かれた最後のページを開き、京介が最後に何を書いていたのか、興味本位で開いてみた。


・・・・・・・・・・

2010年5月

東京ライジングタワーが、とうとう念願の日本一高い建物になった。しかし、喜んでもいられない。また絵里に嘘をついてしまった。耕太の偽装死亡は私の提案で、絵里と双子を奪うための計画であったが、その責任を全て耕太へかぶせてしまった。今後どうつくろっていこうか、耕太が日本に戻ってきてしまった以上、何か手を打つ必要がある。1990年8月の嘘を守るために。

・・・・・・・・・・


 絵里は、耕太が京介を刺した際の最後の言葉が、ずっと気になっていたが、この書き込みで納得がいった。だが、ここに書かれた『1990年8月の嘘』が気になり、手記のページをさかのぼり、その日までめくってみた。


 そのページを読み終えると絵里は、険しい表情を浮かべたまま黙りこくり、優子の問いかけにも反応せず、何かを考えはじめた。


 そして、さらにしばらくすると、何かを決意した顔つきの絵里は、優子へあるお願いをするのであった。

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